137話 次代の王太子
再び王館に帰って来た。といっても帰館したのは木の王館だ。林さまと別れてこれから水の王館に向かうところだ。
「彼は何度気絶したら気が済むのでしょうか」
潟さんが呆れたように呟く。林さまから仲位への昇格と王館への出仕を命じられて、桀さんはまた気絶してしまった。今度は後頭部を打っていたけど柔らかい土の上だったから多分大丈夫だと思う。
「気絶したくてしてるわけじゃないですから」
とは言ったものの、また潟さんが担ぐ羽目になってしまった。文句も言いたくなるだろう。
林さまが道を開いてくれたので帰りは雲ではなく地を行った。花茨城と王館を繋いでいた根の道は今回の楚の襲撃で切られてしまったそうだ。
その道は直らなかったから林さまが新しく草の道を作ってくれた。草の道に踏み込むと体が草に運ばれる。勝手に進んでいくのはどうも不思議な感覚だった。ちなみに芳伯の木が大きくなったら草ではなくちゃんと根の中に道が出来るそうだ。
「桀さん大丈夫かなぁ」
気絶したまま運んでしまったから、目が覚めたら王館だ。起きた瞬間にまた気絶しそう。
「大丈夫ではないでしょうが、慣れるしかありません」
「高位になったんだから花茨に残れたような気もしますけど」
「ひと口に高位精霊と言いましても
確かに。廃城にならなかったとは言え、独りだと言うことに変わりはない。
「それに花茨は修繕が必要ですから頻繁に帰ると思いますよ」
「あ、行き来は自由なんですね」
僕は本体をなくしていたせいか、十年以上帰っていなかった。その感覚で考えてしまった。
「根の道……草の道が繋がりましたので雫さまのお部屋から御上の執務室まで行くのとそう変わらないでしょう」
雲で行くときは風向きによって速かったり遅かったりするけど、草の道なら風に左右されない。桀さんにとっては良い話だ。
「それと
「
潟さんが頷いた。木理王さまを苦しめていたのが木偶だったなんて誰も思わなかっただろう。止めを刺したのは雷伯だけど、最初に違和感を訴えたのは桀さんだ。
周りの壁が黒くなっている。水の王館に入った合図だ。
「
何もないところで
「い、いきなり王太子ですか!?」
高位になったばかりなのに王太子なんて……急すぎると思うのは僕だけ? 潟さんは平然としている。
「御上に聞いた話ですが、雨伯の領域に広がった疫病は木精から始まっています。すぐに収束したとは言え、
焱さんの母上はまだ治りきってないのか。焱さんには言っちゃダメって
「
潟さんが悔しそうに物騒なことを言っている。シバく内容について詳しく聞いちゃいけない気がする。聞いていない振りをしたけど、この距離では無意味かもしれない。
「まぁ、それはさておき。今、木精が出来ることは
木理皇上が動ける内に王太子の教育をしなければいけませんからね、と潟さんは続ける。階段を上りながら少し疑問が湧いた。
「桀さんって後ろ楯あります?」
僕も高位精霊になったばかりでまだまだ不安だけど、母上も養父も伯位だ。自慢するわけではないけど偉大な精霊に背中を守られている気がする。
「休眠状態とは言え
利用って言い方はどうなんだろう。今、存在できていない精霊でも後ろ楯になるのかどうか。それは木精の考え方次第だろう。
「おや、帰ったのかな」
「あ、淼さま!」
執務室の近くまで来ると扉から淼さまが顔を出した。帰館の報告に来たのに淼さまが気づく方が早かった。
「ちょうど良かった。雫に」
「お兄ちゃん!」
部屋から飛び出してきた金の塊が太ももにぶつかった。背丈は僕の腰くらいだ。見下ろしても頭部を覆った金ピカの兜しか見えない。
「て、
ぶつかった太ももが痛いのを我慢して
「お兄ちゃん、あのねっ。お使いに来たよ」
鈿くんが下を向くとフェイスガードがガシャンと音を立てて閉じてしまった。小さな手で上に持ち上げると、澄んだ青い目が僕を捕らえる。
「おひー……違った。
鈿くんが甲冑の隙間から何かを取り出して手を僕に伸ばしてきた。
「『ご助力に感謝します』って」
「ありがとう。何かな?」
屈みながら両手を器のようにして差し出す。鈿くんはそこに五連の玉を落とした。五色の玉は等間隔に結ばれてそれぞれが異なる輝きを放っている。
「えーっとね、
「冠かぁ……」
困ったな。僕には付けるところがない。
「
「いや、僕は被らないよ」
そういえば淼さまも冠なんて被ってるところを見たことがない。一度だけ、美蛇の謁見擬きに立ち会ったことがあるけどあのときも淼さまは冠なんて被ってなかった。冠があるのって金精だけなんじゃないかな。
「んー? でも鑫さまが『坊やも
「僕が?」
鈿くんは意外に鑫さまの口真似が上手かった。それはさておき、返答に困って顔を上げると淼さまは執務室の入り口に背中を預けて困ったように笑っていた。
「水理皇上ぉ、お兄ちゃんも冠被るんだ……ですよね?」
僕の曖昧な返事が気に入らなかったらしい。鈿くんは痺れを切らして淼さまを見上げた。
「そうだね……どうする?」
淼さまは鈿くんの質問に答えたはずなのに、何故か僕が問われている。淼さまの視線は感じるのに感情が読めない。
何を?
何をどうするって?
「
「あ! そうだった。他にもお使い頼まれてたんだ。僕行くね」
「水理皇上、失礼します」
「はい、ご苦労さま」
忘れ物は挨拶だったらしい。わざわざ挨拶に戻ってきたのか。偉い。鑫さまの教育の賜物だ。淼さまが壁から背中を外して挨拶を返した。腕組みはそのままだったけど鈿くんに合わせて優しい口調だ。
「じずうちょうどの、さようなら」
「……うん、またね」
侍従長って言いにくいよね。僕は呼ばれることすら慣れてない。
「おじちゃんもまたね」
「おじ……」
淼さまが盛大に吹き出した。
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