116話 竜宮城へ

「雫さま、お支度はよろしいですか?」


 開けたままの入り口近くに立ってせきさんが尋ねてきた。僕は部屋をひと通り見渡して片づけ忘れがないか確認する。やっと慣れてきた部屋だけどしばらく留守にするからちゃんとしておかないと。


「そうですね。雨伯が泊まっていいって言ってくれたので荷物もそんなにないですし」


 びょうさまに雨伯の所に届け物をするように言われたのは一週間前だ。ただ正装が出来上がるまで待つようにとも言われていた。一昨日届いたばかりの服はまだ固さを残しているけどこれで支度は出来た。

 

「雫さまにとって雨伯は養父ですからある意味では帰省と言えますね」

「そうなんですけどそんな気がしないです」


 ちなみに訪問の目的は養子の昇格報告だそうだ。腕輪を届けることではないらしい。最初は野宿することも考えていた。淼さまから養父の家に行くのになぜ野宿という発想になるのかと聞かれてしまった。


「僕は先生と淼さまに挨拶はしてきたのでいつでも発てます。せきさんは挨拶行きます?」

「ご冗談を……。会えばまた叱責されます。しばらく父と顔を合わせたくありません」


 潟さんは目を細めてうんざりした顔をした。嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。一週間前のことを思い出しながら部屋の扉を閉めた。


 実は潟さんは先生からお叱りを受けてしまった。僕が理王の子であることを教えてしまったから。


 僕がそれを聞いたときに驚いたのは言うまでもないけど、僕の反応を見た潟さんの焦り方はすごかった。涼しい顔はしていたけど体中の水分がなくなるんじゃないかというくらい汗を掻いていた。

 

 そのまま僕を引っ張って執務室に行き、先生に僕の不知を確認するとそれはもう怒った。貴燈山が噴火したらこんな感じかなぁと現実逃避してしまうくらいの怒り方だった。


 ちょうど淼さまが帰ってきて、床に正座をさせられている潟さんを変な目で見ていた。事の次第を話すとハッと笑ってあきらめたように椅子に掛けてしまった。淼さまが怒らないのを見ても先生の怒りは収まらず淼さまに出したお茶が煮えたぎるほどだった。


「あの時、御上が止めて下さらなければ今でも叱責が続いていたでしょう」


 言葉の綾だろうけど一週間怒られ続けるって恐ろしい。

 

 突然の眩しさに一瞬目を瞑る。気づけばもう建物の外に出ていた。太陽の光が眩しい。


「淼さまは『その時が来たら教えるつもりだった』って仰ってましたね。だからあまり気にしないでください。僕も父のことが少し分かって嬉しいです」


 元理王は孟位エクスという例外位につくらしいから、仲位ヴェルである母上は元理王ではない。だからきっと会ったことのない父上が理王だったんだろう。それを確認できる雰囲気ではなかったのであくまで僕の推測だ。


 淼さまの言う『その時』がいつなのかは分からないけど、淼さまはそんなに怒っていなかったと思う。知る時期が少し早まっただけだと怒り沸騰の先生を宥めていた。潟さんは踵の高い靴で固い床に正座をさせられて痛かったに違いない。背筋は伸びたままだったけど足がプルプルしていた。


「口を滑らせた私に非があるのは明らかですが、しばらく父と顔を合わせずに済むので内心ほっとしております。雫さまのお供が出来て嬉しく思います」


 口に出しちゃったら内心じゃないという言葉は飲みこんだ。


 中庭の池を前に立ち止まる。強かった太陽の光が急に遮られてふと暗くなった。雨が降るかもしれない。

 

「では雫さま、こちらに」

「こちら?」

 

 上を指差す潟さんにつられて天を仰ぐと、目の前が真っ白になった。気絶したとか意識を失ったとかいうことではなく、本当に真っ白になった。それに湿っている。まるで霧の中に入ってしまったみたいだ。

 

「潟さん?」

「どうぞお掛けください」

 

 座れって言われてもどこに座るのか分からない。不安ながらもとりあえず腰を下ろしてみる。椅子もないのに座った感覚があった。

 

「雫さま? あぁ、いらっしゃった。ではこのまま雨伯の居城へお連れいたします」

 

 潟さんが真っ白な空間から出て来た。僕のすぐ目の前に座る。椅子があるようには見えない。

 

「潟さん、この霧は何ですか?」


 パンパンと埃でも払うように手を打つ潟さん。するとガクンッと体が後ろに倒れそうになる。背もたれらしきものがあるみたいでひっくり返ることはなかった。

 

「これは雲の中です。雲の上に乗るよりも安全ですので積乱雲をご用意いたしました」

 

 まるで食前酒の種類でも説明するような口振りだ。淼さまは時々雲に乗っているみたいだけど僕は初めてだ。ちょっとだけ外を見たいと思ってしまう。

 

「雨伯のお城は遠いんですか?」

 

 淼さまに行ってこいと言われた割に場所を知らない。淼さまも潟に伝えておくと言って終わってしまったので自分ではなく調べることはしなかった。

 

「あと……そうですね。五回ほどで着きます」

「五回って何がですか?」

 

 寝るのが? それとも食事が?

 

「瞬き五回です」

 

 驚いて息を止めて激しくまばたいてしまった。今ので絶対五回越えたと思うけど数に入れないでおいて……なんて考えている内に、またガクンッと揺れに襲われる。今度は前のめりになった。こういうの確か慣性の法則って言うんだっけ。

 

「着きました。どうぞお立ちください」

 

 速っ!

 

 何がどうなっているのかさっぱり分からない。足元が見えないので立ち上がるのもおどおどしてしまう。潟さんが出してくれた手を強めに掴む。

 

 僕が完全に立ち上がったのを確認して潟さんが手を叩いた。すぐに雲が散って頬を濡らす静かな雨に包まれる。けれど雨が降っているとは思えないほど明るい。……明るいと言うより眩しかった。明るさの元を探して顔を上げると視界に飛び込んできた光景に息を詰めた。


「ぅわぁー……」

 

 建物の前側だけ見たら王館をひと回り小さくしたような感じだ。もやに包まれているので全体がどうなっているのか分からないけど、まさか王館よりも立派なんてことはないよね。

 

 でも僕が驚いたのは建物よりもその左右にズラーッと列を作っている精霊たちだ。半分は人型だったけどもう半分は違った。魚や蟹や烏賊いかたこや、あとは僕も良くわからない深海魚。きっと名前のない精霊たちだ。

 

 その間を通ってひとりの精霊が宙を泳いでくる。七色のグラデーションの服はぼやけていて派手さを感じない。そこに巻き付けるように薄雲のような羽衣を纏っている。端をヒラヒラながら僕たちの前でくるりと体を一回転させた。

 

「初めまして~あとおかえり、雫ちゃん。会いたかったよ~」

「ええっとー……初めまして」

 

 僕よりもずっと年上の女性だ。全体的に白っぽい髪を頭の上でひとつに固めている。その塊には五色とも七色とも言いがたい筋が入っていた。

 

 ただいまと言うのはちょっと遠慮しておこう。いくらなんでも図々しい気がする。

 

「私は義姉あねげつ。と言っても華龍さんより年上だけどね~。宜しくね~」 

 

 答えを迷っていると足を浮かせたままギュッと僕の両手を包み込んできた。僕もちゃんと挨拶しないと失礼だ。

 

「改めまして。ぼ……私は水理王の侍従長 雫と申します。この度は訪問を受けて下さり誠に感謝いたします」

  

 ちゃんと挨拶したつもりなんだけどげつさんはぽかーんとしていた。どこか間違えたかな。変な汗が背中を流れていく。

 

「雫ちゃん、貴方ね。自分の家なんだからそんかに固くするんじゃないよ~。家族にそんな対応されたらこっちの身が持たないよ~」

 

 何故か怒られてしまった。でも心の端っこから家族という言葉がジーンと沁みこんできた。僕の家族は実質母上だけだ。兄妹からは相手にされていなかったし、今となっては会うこともない。僕が帰ってないせいもあるけど。

 

 げつさんは強めの口調とは裏腹に満面の笑みを浮かべていた。 

 

「雫ーっ! 我輩の養子むすこはどこであるかー!?」

 

 僕たちの横を白い塊が転がっていった。どこかで見たことがある光景だ。

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