111 通りすぎる精霊たち

「おー、雫」

 

 水の王館に戻る途中で名前を呼ばれた。僕を名前で呼ぶ精霊ひとは限られている。

 

えんさん!」

 

 見知った顔にほっとしてしまう。自然と顔が緩むのを感じた。焱さんはいつもの装いだけど少しだけ身軽そうに見えた。

 

「お! 話に聞いた通り背が伸びたな」

 

 僕の背の情報があっという間に広まっている。この分だと今日まだ会っていない淼さまも知っていそうだ。直接会って驚かせたかったのに少し残念だ。

 

「で、どうした? こんなところで」 

 

 こんなところって言っても周りの景色は白から黒に変わっていて、すでに水の王館に足を踏み入れていることが分かる。

 

「焱さんこそ……あ! 目!」

 

 水の王館なのだから、本来なら僕が火精の焱さんに『こんなところで何してるの』か尋ねなくてはならない。そう言おうとして焱さんの目に眼帯がないことに気づく。

 

「おぅ! さっきお袋が来てな。強引に松毬まつぼっくり突っ込むんだぜ。痛ぇっつーの」

 

 聞いてるだけで痛い。思わず目をギュッと瞑ってしまう。焱さんの母親のすぐるさんは松の精霊だ。治療に松毬が必要だと言って帰っていたから出来上がったんだろう。でも松毬って簡単に作れるのかな。

 

「まぁ、本当は松毬まつぼっくりの季節じゃねぇのにお袋が根性で作ったからな。そこは感謝してるけどよ」

 

 松毬って根性で作るんだ。覚えておこう。

 何にせよ、焱さんの目が治って良かった。以前と同じように真っ赤な目を見てホッとする。

 

「それはそうとどこ行ってたんだ、侍従長?」

 

 焱さんがニヤリと笑って茶化すように言う。漕さんと言い、焱さんと言い、皆で僕をからかう。胸の徽章きしょうを掴みながらちょっとだけ睨んでみた。

 

「金の王館に徽章これを受け取りに行ってたんだよ」 

「あぁ、昇格したからな。おめでとう」

 

 からかって来たのはどこへやら。真面目な顔で祝ってくれるとちょっと拍子抜けしてしまう。一歩下がって少し腰を屈め、まじまじと覗き込んでくる。

 

 焱さんは最後まで触れることはしなかった。満足に観察を終え、腰を伸ばす途中で視線が一点で止まる。

 

「それはもしかして金理皇上からか?」

 

 焱さんは僕の手元を指差した。お盆の上にはくしろが乗っている。そうだと言おうとして焱さんを見上げて言葉に詰まってしまった。今までの付き合いの中で見たことがない顔をしている。

 

「直ったのか……」

 

 嬉しいそうにも見えるし、悲しそうにも見える。なんて表現していいのか分からない。僕が経験したことのない感情が焱さんの中に渦巻いているようだ。

 

「喜ぶだろうな。でも執務室にはいないぞ?」

 

 そういえば来客中だって漕さんが情報をくれた。伺うなら午後の方が良いって言われたんだった。

 

「じゃあ、先に木の王館に行ってくるよ」


 焱さんが片眉を上げて不思議そうな顔をした。金の王館の次は木の王館に用だなんて以前の僕なら考えられない。

 

「前の衣装を持っていくように言われてるんだ」

「ふーん、じゃあさ、ついでにこれ頼んでも良いか?」

 

 そう言うと焱さんは腰から小袋を外して僕に渡してきた。白い袋に赤い糸で鹿が刺繍が施されている。


「後で行こうと思ってたんだけどよ。辰砂……賢者の石だ。林に渡してくれ」

「賢者の石って貴燈山の?」

 

 焱さんが頷く。貴燈の壁に仕込まれていた賢者の石だ。焱さんの怪我の原因になった物だけどちゃんと本物だったんだ。

 

たぎるの怪我の様子を見に行ったんだけどよ。もう治ってやがんだよ、流石に温泉だよな」

 

 滾さんは傷ついた水精が集まってきていた温泉だ。元々治癒効果は高いんだろう。

 

「で、そのついでに取れる分だけ貰ってきた。鎮静剤にでも使えって林に伝えてくれ」

「分かった、いいよ!」

 

 焱さんの小袋を腰に結び付ける。それを見て焱さんは少し考える素振りを見せた。自分の服に手を突っ込み一回り大きい袋を取り出した。

 

「水理皇上に直接渡すまでくしろも持って歩け。部屋に置いておくな」

 

 焱さんがお盆の端を袋の口に付けるとお盆は吸い込まれていった。勿論乗っていた釧も一緒にだ。あまりの勢いにびっくりしてしまった。

 

「こ、これってそんなに大切な腕輪なの?」

 

 賢者の石の隣に更に袋を結びつける。服が重さで引っ張られるのを覚悟していたけど、意外にそうはならなかった。

 

「あー……そうだな。まぁ、俺の……叔母上の形見だ」

 

 歯切れが悪い。焱さんの叔母上ってことは僕の義理の姉上になるはずだ。形見と言うからにはもう亡くなっている。それを何で淼さまに届けるんだろう。

 

「ま、渡せば分かるだろ。じゃあ、俺は戻るから林に宜しくな」

 

 焱さんはそそくさといなくなってしまった。そもそも何しに来てたんだろう。目が治ったことの報告に来てたのか。それともたぎるさんの様子を伝えに来たのか。

 

 すっかり軽くなった手をブラブラさせながら馴染みのない自分の部屋に戻る。慣れない収納から作りの重い衣装を取り出して再び廊下へと足を滑らせた。

 

 今度は木の王館へ向かう。

 

 木の王館に行くのは三度目だ。一回目は焱さんと一緒に貴燈から帰ったとき。二回目は淼さまと一緒だった。

 

 ひとりで行くのは初めてだ。ちょっとドキドキする。迷わずに行けるだろうか。緑の王館と池のない庭が目印だ。

 

「そこのお兄さん」

 

 低めの落ち着く声が聞こえる。誰かが話しているようだ。ということは王館は近い。良かった。

 

 けれど色とりどりの花や生い茂った草木が入り口を隠していて見えない。前に来たときと咲いている花の種類が違うから道を思い出そうとしても難しい。

 

「ちょっとー! そこの水精のおにーさん!」


 え、僕!?


 ガサガサッという音とともに現れたのは着飾った女性だった。鑫さま程ではないけどそれなりに丈の短い服を着ていて膝が見えている。寒くないのだろうか。

 

 乱暴に光を反射する首飾りに、黒髪に紛れて揺れるせいで形の分からない耳飾り。背は僕と同じか……いや少し僕よりも高いかな。

 

 僕に向けて振っている手にも腕輪が付いている。腰に手を当ててちゃんとくしろの袋がついているか確かめてしまった。

 

「ねぇ、おにーさん。木の王館に行くのかしら」

 

 見た目に反して低い声は男性のようだ。大体この精霊ひとが誰だかも分からないまま行き先を告げても良いんだろうか。不審者の可能性もある。

 

 返答に困っていると相手が少し首をかしげる。所々キラキラ光る黒い髪が微かに揺れた。けれど次の瞬間には、何かに気づいたような声をあげた。

 

「うっかりしてたわ! あたくしは土太子のぎょう。名乗るのを忘れてたわ」

 

 あぁ、何だ。土太子の垚さまかぁ。確かに王館で不審者のわけないよね。

 

 ………………………………っ土太子!?

 

「貴方は何か見たことある気がするのよね。あ、ダメよ! 言わないで! あたくし、当ててみるわ!」

 

 何故こんなことに……。理王とか王太子とか次々と地位の高い精霊と知り合ってしまう。急に帰りたくなってきた。持った衣装が地味に重たくて腕の力が奪われていく。

 

「あぁ! 分かった! 木理皇上を治しちゃった雫ちゃんでしょう! ね? そうでしょ?」

「そ、そそそ」

 

 そうですと答えたいんだけど大きな手に両肩を捕まれて前後に振られる。舌を噛みそうだ。ぎ、垚さま強いっ! 

 

「あらごめんなさい。嬉しくてつい」

 

 少し目が回っている。揺さぶるのを止めてくれたけど両肩は掴まれたままだ。目をパチパチと瞬くと目の前に垚さまの喉仏が見えた。

 

 ………………………………喉仏?

 

「いやぁね、初めて話す精霊ひとに無体をしちゃったわ。大丈夫? 大丈夫よね。それより雫ちゃん、木の王館に行くならこれを林に渡してちょうだい」

 

 垚さまは一方的に早口でそう告げると大袋を持ち上げた。垚さまは軽々と片手で持っているからそんなに重くはなさそうだ。

 

 両腕を差し出すと袋が地面に引っ張られるような錯覚に陥る。あまりの重さにしゃがみそうだ。何とか踏ん張って耐える。

 

「頼んだわよ! じゃあね!」

 

 そう言って垚さまは去っていった。呆気に取られてしばらく動けない。まるで嵐のような精霊ひとだった。

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