四章 金精韜晦編
72話 束の間の平和
平和な日々が戻ってきた。王館に帰って来て掃除をしたり、
途中だった理術の勉強も再開された。久しぶりの授業では、恐れ多くてガチガチに緊張してしまった。先生が元理王だと知ってしまったからだ。不審がる先生に理由を説明すると、悪戯がバレたような顔をした。
「まだ明かすつもりはなかったがのう。あの
火理王を小僧なんて言えるのも、淼さまのことをアヤツなんて呼べるのも、元理王だからなのだろう。
「理王と茶を飲むことはできるのに、元理王から教わるのはそんなに緊張するかの?」
それもそうだ。どちらも僕にとっては雲の上の方であることに変わりはない。でも現役理王の淼さまでは緊張しなくて、元理王では緊張するっていうのも失礼な話だ。
二人とも尊敬も感謝もしている。先生はそんなに緊張されると、やりにくいという。今まで通りでいいならその方がいいのかな。
ただ、バレてしまったなら……と勉強の内容が少し変わった。元理王だからこそ教えられる知識があるという。
「では、復習するかの? 円の面積を求める式は?」
「えと半径×半径×πです」
数学術というらしい。時代が変わっても絶対に変わらない
「よろしい。では座標軸において、円の中心を原点とし、半径が五である円の式を言ってみよ」
「えーと、xの二乗プラスyの二乗イコール二十五です……か?」
教わったばかりだと言うのにちょっと自信がない。だんだん声が小さくなってしまう。まだ詠唱の方が覚えやすい。
「もっと自信を持て。合っておるぞ。では次はこれを解いてもらおうかの」
「そうじゃ。接点の座標を別の文字で置き、その文字を絡めて接線を求めるのじゃ」
ふむふむ。なるほど。
難しいけど、先生が噛み砕いて教えてくれるので僕でも何とか理解できる。もちろん初めは何を言ってるのか分からなかった。でも少しずつ出来るようになるのが楽しい。
「ふむ。上々じゃの。御上といい、そなたといい、優秀な生徒を持って実に教え甲斐がある」
御上に教えることはあまりなかったがのぅと先生がぼやいている。
「実戦訓練も必要なくなったしの。数学術に力を入れても良かろう」
前々から先生が検討していた実戦訓練は中止になった。ちょっとラッキーと思ってしまった僕は悪い生徒かもしれない。中止の理由は
煬さんは火の力を
……向かうところ敵なしって感じ。
「実戦訓練よりも
先生が現役の理王だった頃、
「先生、
二つの理力が混ざってるんだろうなというのは何となく分かる。でも同じ両親から生まれたのに
「ふむ……」
先生は数学術の指南書をパタンと閉じてしまった。今日はここまでだろう。
「
魂繋……精霊同士の結婚のことだ。名前の通り、魂を繋ぐことに由来していたはず。
「精霊の婚姻は魂同士を結びつけ、自分と相手の理力を繋ぐことで成立する」
先生の説明が詳しく説明してくれる。魂繋を出来るのは一生に一度。相手が同性なら強い結び付きとなり、双方の寿命が相当伸びる。片方が無事なら、怪我や病で死ぬことはない。結果として理力の安定をもたらす。
一方、異性との魂繋は寿命が伸びるわけではない。それぞれ怪我もするし、死ぬことも消えることもあるけど、
「火精は寿命が短い者が多いからの、意図的に同性を選ぶことが多い。しかし、元々寿命の長いものは異性を選ぶ」
なるほど。僕の漠然としていた知識がすっかりしてきた。子供の頃の記憶が戻っているとは言ってもまともに教育を受けていないので新鮮だ。
「魂繋は属性の制限を受けんからの。両親が別の属性だと
しかし、それでもなかなか混合精は生まれないそうだ。大抵は一種類の理力しか持って生まれないらしい。片方の親から受け継ぐこともあれば、全く異なる属性が生まれることもあるというから驚きだ。
「両親と属性が違うこともあるんですか?」
「そうじゃの。身近な例が近くにおるじゃろ?」
「え、
淼さまの両親……考えたこともなかったけど。
「御上ではない。御上は水精の
やっぱり淼さまってすごい方なんだ。先生がここまで誉めるのも珍しい。
「じゃあ、焱さん?」
「あぁ、やつの親父どのは水精でご母堂は木精じゃ……その様子だと聞いとらんかったか」
火理王に文句が言えんのぅとぼやく先生はどこか楽しそうだ。
「焱も
先生が指南書や資料を重ね始めた。僕は筆記具を片付けながら質問をぶつける。
「先生、
先生の手が止まった。僕の言葉にじっと耳を傾けている。
「前にも教わりましたよね。魄失は
「未練だったら
混合精の息子、娘、そして弟。彼らを遺して行くことに未練がないわけない。
「もし熔さんが……」
「やめよ」
今までで一番冷たい声だった。短くて突き刺さり、僕を黙らせるには充分だ。
「それ以上は精霊として全うした
先生の目がしっかり開いて僕を戒める。息が詰まりそうだ。
「守られた家族に対してもじゃ。それを忘れるでない」
「はい……」
『もし、熔さんが魄失だったら』。それは遺された
僕の様子を見た先生は少し息を吐いて疲れた様子を見せた。
「とは言え、知らないことを知ろうとするのはいい心がけじゃ。御上に話をしておこう」
先生は僕の支度を待っていた。まとめた本や荷物を腕に抱える。先生と一緒に部屋から出てその場で別れた。
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