71話 別れ
僕は重い足取りで客間に向かっている。沸ちゃんたちに会うためだ。焱さんも一緒に来てくれた。その手には杖と帽子が握られている。
コツコツと焱さんの靴音が響く。客間へ向かう中、二人とも言葉を発していない。焱さんはどんな気持ちなんだろう。普段、焱さんと話しているとあっという間に過ぎる。でも今日はやけに時間が長く感じられた。
次第に客間が近くなる。響く靴の音が
「沸ちゃん」
沸ちゃんが飛び出してきた。
「焱さま、その……叔父は」
沸ちゃんは僕の前まで聞くと焱さんにおずおずと聞く。その途中で焱さんが持っている物に気づき、息を飲んだ。
「あ」
「落ち着け、死罪じゃねぇ」
焱さんは持っていた帽子を持ち直す。沸ちゃんにも見えるように腕を下げた。帽子の中には一匹の
「……叔父上」
焱さんが帽子を沸ちゃんに手渡す。火蜥蜴は
「直接触るなよ」
身を守るために体表が毒で覆われているらしい。うっかり触ると危険だ。
「
沸ちゃんは帽子を潰さないように胸に抱えている。それでも
「死罪でもおかしくなかった。俺もそう思ってたが……」
焱さんの言葉に二人が顔を上げた。
「季位を除く金精は助けていたらしいな」
僕もさっき聞かされた話だ。淼さまが流没闘争の終わりを告げた後、水精を襲えなくなった火精は金精を襲うだろうって言ってた。焱さんも、先生も、淼さまもそう言っていた。
実際、火精は金精を襲い始めていたらしい。それで
焱さんが訪れることになった時、今まで宥めていた火精を集め、水精の僕を襲わせたそうだ。
「まぁ火精の奴等は、あることないことホザきながら訴えてきたけどよ」
で、僕と
もちろん火理王さまや焱さんがそんなことに惑わされるはずもなく……。少し尋問したらボロが出て、金精を襲ったのがバレてしまい、逆に罪に問われたそうだ。余罪があるので取り調べ中だとか。
「あぁ、あと
襲われた季位の精霊たちも無差別ではなく、寿命が尽きそうな精霊を選んでいたらしい。だから良いってことではないし、許されることでもないけど、それ以外の精霊は見逃していたそうだ。
「皆、寿命が判っていて、最後に
百体もの精霊が
「煬が築き上げたものだ。あいつは面倒見がいいからな。好かれるんだろう」
そうだ。美蛇から逃げてきた水精を匿っていたのも事実だ。きっと普段は困っている精霊に手を差しのべていたんだろう。
「そういったことを差し引いて死罪ではなく、休眠罪だ。但し、貴燈と沸・滾を保護する高位がいなくなるため、有事の時は覚醒を許可してある」
つまり貴燈山と沸ちゃん・滾さん姉弟に何かあったときは目が覚めるってことか。
焱さんは持ったままだった杖を
「お前たちは知らないだろうが、
焱さんが王太子ではなく、煬さんの友人として語り始めた。少し口調は柔らかいが、表情は固い。
「壊れた足に理力は廻らない。だから金の魄失でも
焱さんが二人に深々と頭を下げた。沸ちゃんはおろおろして頭を上げるように言っている。僕は口を挟めなくて、焱さんの腕に手を添えた。
「……違う」
滾さんの声に焱さんが顔を上げた。何が違うんだろう。
「叔父上は言ってた、ました。その……」
「ごめんなさい、ギルは恥ずかしがり屋なの」
滾さんは頷くと両手を当てて顔を塞いでしまった。耳まで真っ赤だ。沸ちゃんが大きな体に腕を伸ばし、滾さんの頭を撫でている。
「焱さま。叔父さまは『キラはいつも俺を助けてくれた』って言っていました」
沸ちゃんが少し鼻をすすりながら
「叔父さまは王館に上がっても混合精だからって同僚たちから差別されて、かなり嫌がらせをされていたそうです」
王館に勤める精霊でもそんなことがあるんだ。水の王館には侍従も側近もいない。でもきっと低位だから僕も似たような目に遭ったかもしれない。
「でも焱さまはそんなことなくて、いつも味方になってくれたと言っていました」
焱さんは僕にも優しい。十年も水精のフリをして僕の側に付いていてくれた。今だってそうだ。
「でも俺は王太子選考会で
沸ちゃんが首を横に振る。滾さんも振っていた。手で顔を押さえたまま。
「いいえ逆です」
沸ちゃんは帽子の中を再び覗きこんだ。相変わらず火蜥蜴は死んだように動かない。
「『キラがいなかったら俺はここにはいない』といつも言っていました」
王太子選考会で焱さんと煬さんが対峙した際、罠が仕掛けてあったらしい。煬さんの後ろの壁が崩れやすいように細工がしてあったと沸ちゃんは言う。
「でも焱さまが異変に気づいて、壁の下敷きになる前に叔父さまを攻撃して弾き飛ばしたと聞いています」
知らなかった。そんなことがあったんだ。
「叔父さまは『キラが王太子になって良かった』ってずっと言っていたんです」
「……本当」
滾さんが真っ赤な顔で同意した。手は顔面ではなく、頬に移動している。焱さんは黙って聞いていたけど、少し目が潤んでいるように見えた。
「そうか……分かった。もう行け。水理皇上が
突然話を切った焱さんに、沸ちゃんと滾さんが一礼する。滾さんは踵を返そうとしたけど、沸ちゃんは僕に向き直った。
「ねぇ、雫」
「ん?」
何だろう? 忘れ物? 何だかもじもじしている。
「あの、また貴燈に来てくれる?」
沸ちゃんの顔が真っ赤だ。滾さんも赤いままだ。二人とも温泉の温度が上がったのかな。
貴燈山はお父さんも叔父さんもいなくなってしまって、姉弟ふたりだけだ。きっと寂しいんだろうな。
「僕も泉を見に行くことがあるから、その時寄るね!」
満面の笑みを浮かべる
「何?」
「んー、別に」
二人を王館の外まで見送る。沸ちゃんとも滾さんとももっと話したかった。沸ちゃんは初めて出来た友達だ。滾さんとも仲良くなれたらいいな。
「青春だな」
焱さんが小声でボソッと呟いたけど、僕は二人に手を振るのに夢中になっていた。
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