水精演義

48話 母を訪ねて

「おじさん、前と同じような櫛はありますか」

「おや、ありがとうございます。お母上にですかな？ 櫛ですと……」

　おじさんが棚の下から大きめの盆を出してくれた。たくさんの櫛が乗っている。

「こちらで全てですな。ちなみに……」

　それはそうだろう。ひとつ作るのに三ヶ月かかると言っていた。同じものがそう何個もあるわけはない。

「川蝉がよろしければ小箱などもありますが」

「えーと、まず櫛を見てからでも良いですか？」

「どうぞどうぞ、お手にとってご覧下さい」

　櫛を一つ一つ手にとって眺める。蝶や花のデザインが多い。どれも細かい模様が刻まれている。

「ところで場所を変えたのか？ 探したぞ」

　僕が品を見ている間に、焱さんがおじさんと話し始めた。

「あぁ、それは誠に申し訳ない。実は開いていたところで少々問題がありましてな」

「何かあったのか」

「えぇ、実は……」

　そういえば、前に来たときも焱さんとおじさんで話が盛り上がってたなぁ。僕は蚊帳の外だったけど。今の内にゆっくり選んでしまおう。

　イルカか、ハチドリか、カエルか……この中だったらどれが良いだろう。彫られたイルカは海イルカだから、大河の母上には合わないかなぁ。ハチドリは花もあって可愛いし、カエルは川辺にたくさんいて身近な生き物だ。

「……じゃあ、俺たちの後にすぐ火精が来たってことか」

「えぇ、四、五人ほど。坊っちゃん方が金貨をいくら払ったのか、どこへ行くのか、教えろと」

「それで教えたのか？」

　焱さんの少し大きな声が聞こえる。でもきっと僕にはついていけない話だろうから、口を挟むのは止めておこう。

「とんでもない！ お取引いただいたお客様の情報を流すことなど致しません！」

「では、どうしたんだ？」

「教えることは出来ないと断ったところ、暴れだしまして、台や棚などが壊されてしまいました」

　カエルの櫛には小蛙花（ラナンキュラス）が彫ってある。そういえば、水の王館の庭には赤いラナンキュラスが咲いていたなぁ。

「それで瓦礫が積んであったのか。大事なかったか？」

「お陰さまで。反撃致しましたので、品は傷つくことなく追い返しました」

「そ……そうか」

　カエルは安定と繁栄、そして幸運のシンボルだと教えてもらったことがある。教えてくれたのは、美蛇の兄……複雑だ。

「おじさん、これお願いします」

「あ、はいはい。ありがとうございます。お包みしますね」

　焱さんを待たせてしまったけど、おじさんと話していたから大丈夫かな。そう思って焱さんを見上げると、眉間にシワが入っていた。

「ご……ごめん、焱（えん）さん。時間かかっちゃって」

「いや、そんなに待ってないぞ？」

　その割には眉間にシワが……。焱さんの様子にビクビクしている間におじさんが包んだ櫛を持ってきてくれた。今回もきれいに包んでくれたようだ。

「あ、また金貨で良いですか？」

「はい、もちろんです。探して下さったようで申し訳ないので、少し割引かせていただきますね。二枚で結構ですよ」

　おじさんの手に金貨を二枚乗せる。金貨をうまく半分にできる自信がないのでちょっとだけ助かった。受け取った包みを鞄の中にしまう。

「最近の情勢で、竹伯から何か聞いている話はあるか？」

　僕が荷物の詰め方に苦戦していると焱さんがまたおじさんと話し出した。

「……そうですな。貴方様も高位のようですからご存じでしょうが、流没闘争が完全終結したそうですな」

「あぁ、そうらしいな」

　一瞬動きを止めそうになったけど、平静を装う。焱さんが詳しく知らない体（てい）でいるので僕も乗った方がいいだろう。

「何でも高位候補だった水精が、裏で火精をも操っていたという話ですが、私も詳しくは……」

「その話なら俺も聞いたが、詳しくは知らないな」

　詳しく知るために調査に行くんだから、知らないって言っても嘘じゃないんだろう。けど、なんかモヤモヤする。

　腰に下げた刀に引っかからないように気を付けながら、荷物を背負い直した。

「出来たか？」

　焱さんにそう聞かれて頷く。おじさんに別れを告げて、市を後にした。

「まぁ！ お帰りなさい」

　母上が走ってきて僕を抱き締めた。力が強い。首が締まる。

「……は、はう」

「会いたかったですよ、愛しい子」

　く、苦しい。母上ってこんなに力強かったっけ？ 元気になったようで何よりだけど、僕が元気でなくなってしまう！

「清（きよら）どの、その辺で」

「あ、あぁ、私としたことが」

　焱さんが母上に軽く触れたことで、抱擁から解放された。解放されたんだけど、母上は僕の肩をしっかり掴んだままだ。つ……強い。

「焱さま……いえ、焱どのもようこそいらっしゃいました」

　母上の階級が上がったので、焱さんへの態度が少し変わった。応対は丁寧だけど跪くことはない。軽く膝を折って挨拶をする程度だ。

「は、母上。お土産があるので一旦離していただけますか？」

「まぁ！ また母にお土産ですか？」

　母上は素直に僕の肩から手を離した。荷を降ろして取り出す間、ワクワクとした視線を痛いほど感じる。

「清どの、体調はどうだ？」

「お陰さまでお薬を頂きましてから、充分に回復いたしました。むしろ、この二百年で一番体調が良いかもしれません」

　確かに元気そう。手を当てている頬も血色が良い。今思えば、前回お会いした時にはすでにボロボロだった。

　それに今なら思い出せる。僕が幼い頃の母上も、こんなに元気ではなかった。きっとその時にはもう美蛇の計画が始まっていたんだろう。

「母上、新しい櫛を持ってきました」

「まぁ、る……いえ、開ける前に中身を言ってしまうなんて」

　今、涙（るい）って言いかけなかった？ それ言ったら多分、理（ルール）違反だよね？

「清どの。水理皇上から、公の場でなければ、通称名で呼ぶ許可が出ている。自由にして大丈夫だ」

　え、そうなの？ ちょっと意外だ。母上は嬉しそうだけど、淼さまだって雨伯のことを気にしていたのに。

「先日、雨伯が登場した際、自ら言ったそうだ。公的な場だけ真名を守ってもらえれば構わない、と」　

　雨伯……すごい出来た精霊（ひと）だ。是非お会いしてお礼を言いたい。

「愛しい涙（るい）。……これを挿してもらえますか？」

　母上が大事そうに櫛を両手に持っていた。櫛を受け取って前と同じ場所に挿す。母上の耳の上で、蛙と小蛙花（ラナンキュラス）が向き合っている。彩りがなくても華やかだ。

「お似合いです、母上」

「ありがとう、涙」

　母上にまた抱き締められる。一瞬息を詰めたが、今度の力は柔らかかった。母上の肩に手を置いて、やんわりと僕から引き離す。

「母上、今回は焱さんの用で来たんです」

　母上の顔を眺めると、少し違和感がある。別に母上が変なんじゃなくて、見え方が変だ。前はちょっとだけ僕の背が低かったんだけど、今、ちょっとだけ僕の方が高い気がする。気のせいかな。

「ええ、分かっております。お越しになるだろうと思っておりました」

　母上は耳の上に手を添えて櫛を撫で始めた。