39話 これから

 流没闘争の残党。その全てに美蛇が関わっていたこと。伯位の者は流石にいなかったが、伯位アル昇格を狙う仲位ヴェルが数名いたこと。また流没闘争で被害のあった火精も取り込んでいたこと。

 全てをびょうさまは語ってくれた。

 

「美蛇は自分の兄弟を弱体化させて仲位ヴェルの水精や火精に差し出していた。理力を奪おうが、消そうが殺そうが好きにして構わないと言ってな。兄弟で足りなければ近くの季位ディルを捕まえていたらしい」


 火精に襲われたとき、引き渡すと言っていたのは……

 

「美蛇はいずれ高位になるために周りを抱き込もうとしていた。力としては雫さえ手に入ればよかったんだ。只でさえ純度の高い泉が水理皇上の力で純粋レベルにまで上がっていた。一滴とはいえその理力はとても濃い」


 えんさんが注釈を入れてくれた。僕の理力は弱いけど濃度が濃いってことかな。

 

「だから、私は逆にそれを利用した。全てに繋がる美蛇が雫を狙うなら、私はその雫を守り、美蛇が尻尾を出すのを待つことにした。その間、華龍どのには辛い思いをさせたが……」


 隣の母上を見ると、母上は静かに首を振った。

 

「元はと言えば我が子のしでかしたこと。そしてそれを止められなかったのは私めの罪でもあります」

「……末子を『雫』と呼ばないのは私への当て付けだろう?」

「…………滅相もない」


 母上がびょうさまから目線を外して下を向いてしまった。

 

「御上、華龍どのの子の中で生まれつき名がなかったのはこの子のみ。ただ一人自分で付けた名を上書きされて、そう簡単に受け入れられる訳あるまい」

「っいえ、決してそのような」

 

 なぜか先生が母上のフォローをしている。当事者の僕はどうしたらいいんだろう。

 

「名を返してもいいのだが……雫を保護してきた雨伯の手前、そう易々とは変えられない」

 

 母上がしゅんとしたのが分かった。慰めてあげるべきだろうか。淼さまが、ただ……と話を続ける。

 

「まもなく泉も復活するだろう。そうすれば雫は、『一滴の雫』ではなくなる」

 

 泉が復活する? そうか、 美蛇の兄がいなくなったから僕が奪われていた分の理力が戻ってくるのか。

 

「よって、通称名を『涙の雫』に改める。これで了承願えないか?」

 

 びょうさまが母上を気遣うような言い方をしている。隣を見ると母上は目を見開いて、口角をほんの少しだけ上げた。


「有り難うございます。御上のお心に感謝いたします」

「それと……そなたの長年の苦しみと協力に報いるべく、昇格させる。本日より華龍河 きよら伯位アルとする 」

 

 母上が更に目を大きく開いた。驚きで口も少し開いている。固まっている母上の腕をつかんで軽く揺する。

 

「母上、母上、おめでとうございます!」

「雫もだよ」

「え?」

「美蛇に奪われていた理力を戻す。本来の位である叔位カールに昇格した上、泉の復活を認める」

 

 今度は僕が固まる番だった。僕が叔位カール? しかも本来の位?

 

 周りから良かったなとか、まぁ当然じゃなとか、何か言われている気がするけど、頭に入ってこない。

 

「二人とも任命書はあとで渡すから」

 

 びょうさまの言っている意味が理解できない。ただ、先に立ち直った母上が動いたのにつられて僕も頭を下げた。


「これで水精は落ち着くかのぅ」 

「恐らくは。この数ヵ月で対象者はほとんど粛清したので。地位の降格、名の剥奪、本体の差押さえ、合計百三十一件。これでおさまらなかったら……許さん」

 

 ピシッと言う音がして茶器の中身が凍りついた。顔を上げると部屋に雪がちらついている。びょうさまの隣にいる先生がまぁまぁとなだめている。

 

「となると、火精の方がやばいな……」

 

 焱さんがズルズルと背もたれからずり落ちてより深くソファに沈んだ。

 

「流没闘争で受けた無念や悲しみが癒えていない。火精が暴れだすぞ」


 皆が一斉にえんさんを見た。ソファに長い足を上げている。


「やり場のない気持ちを弱い水精を襲うことで晴らそうとしていた。勿論そんなことをしても解決はしないが……こういう気持ちは理屈じゃねぇからな」


 御上に相談しないと……と焱さんはぶつぶつ言っている。不安定な姿勢のまま茶器に手を伸ばすと凍った中身を炙って解凍してしまった。

 

「……焱さんは火精なの?」

 

 えんさんに集まっていた視線が僕に集まった。ふ……不適切な発言があったでしょうか。一瞬の沈黙の後、


「ほら! 言うタイミングがなくなったじゃねぇかよ!」

「十年も騙しておればのぉ」

「騙してはいないです!」

「我が子ながら純粋というか純水というか」


 暗い話をしてたはずなのに皆急に元気になった。母上まで僕のことを残念そうな目で見ている。

 

「雫を守るのに協力を頼んだんだ。元同僚である太子にね。雫に近づくために強すぎる火の理力を押さえる必要があったから、『あわ』の仮名かりなを付けた」


 『淡』という名前を聞いてもしっくり来ない。聞いたこともあるし、呼んでいた確かな記憶もあるんだけど。

 

「もう、『あわ』の名は使わない。以前、『バブル』から混同するのでやめてほしいと言われたからね」

「俺は結構気に入ってたけどな。まぁ、今度はこっちが忙しくなるから、水精ごっこは終わりだな」

 

 えんさんは茶器の中身を一気に飲み干した。

 

「御上に相談してからにはなるが、俺は王館を離れることになるだろうな」


 え。何で? やっと会えたのに。また一緒にごはん食べたり、出掛けたりしたいのに。


「火精は本当は水精を襲いたい。でも水精にはまず敵わない。だとするとその怒りが向くのは……」

「金精でございますね」

 

 母上が口を挟んだ。びょうさまとえんさんの話には、あまり口を出さなかったのに。

 

「金は水を生じさせますので、親しい金精も多くおります。定期的に往来があったのですが、最近は音沙汰がありません」

 

 美蛇が追い返しているのかと思ったと母上は付け足した。

 

「……まずいな」

「申し訳ありません。自分と子らのことで精いっぱいで……」

「華龍どののせいではない、気にするな」

 

 びょうさまはそう言うけど、えんさんは神妙な面持ちだ。先生までうーんと唸っている。

 

「思いの外、深刻じゃな。金理は把握しておるのか。……おっと、そうじゃ、その前に。御上に報告があったのじゃ」

「……あぁ、そういえばお勤めご苦労でした」

 

 今更という感じで、淼さまが労いの言葉を述べた。そういえば、僕も先生が二ヶ月ぶりに戻ってきたという事実を忘れていた。

 

「全く……追加事項できよらどのの救出を命じられるとは思わなかったぞ? 少し休暇をくれてもいいんじゃぞ?」

「どっかでサボってなければこんなに遅くな」

「おっと、報告でしたな」


 先生が無理やり話を遮って前のめりになった。

 

「待て爺」

「渦の主は消滅を確認した。よって、わしが予定通り管理を引き継いだ。じゃが、それと同時に『魄失はくなし』の存在を確認した」

 

 僕以外の全員がその場で凍りついた。

 

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