19話 里帰り

「『る水よ 命じる者は雫の名 その身に乗せよ 我が身を運べ 波乗板サーフボード』」

 

 しーーーーーーん

 

「在る水よ……ぜぇっ……命じる者は 雫の名……はぁっその身に乗せよっ 』」

「……もうやめとけ。12回目だぞ」

「在る水よ……わっ!」

 

 淡さんの制止を無視していたら、漕さんから水をかけられた。濡れた前髪が額に張り付く。

 

「ほら、漕もやめろって言ってるぞ」

「はぁっ……はっ……」

「漕、準備してくれ」

 

 漕さんが潜ってしまったのを横目に僕は膝をついてしまった。何か準備って言ってた気がするけど。

 

「おいっ、大丈夫か?」

「はっ……はっ大丈……夫」

「そのまま座ってろ」

 

 淡さんが屈んで背中をゆっくり撫でてくれた。とても暖かい手だ。徐々に呼吸が落ち着いてくる。 

 

「やっぱりいきなり外で使うのは駄目だったか」

「はぁ、こんなに、はぁ、違うんだね」

 

 王館と違い外では理術が使いにくいとは聞いたけど、使いにくいどころか使えなかった。

 今、僕が使おうとしたのは割りと簡単な術だ。元々そこにある水を使うので扱いやすいのだが、出来そうな気配すらなかった。

 

「まぁ、外に出てきたばっかだから余計感覚が慣れていないわけだな。その内慣れるさ」

 

 王館の中と外の違いを痛感していると、川面が不規則に揺れているのに気づいた。何だろう?

 

「お、来た来た」


 淡さんも僕の背中を擦るのを止めて、反動をつけて荷物を背負い直した。

 

水先人パイロットの仕事は安全な航行を先導することだ。本来なら船があるが、なければ……」

 

淡さんが言葉を切って川面を見下ろす。漕さんが戻ってきたのだろうか。ザッバァーンという水音がした。

 

「自らが運航することもある。乗るぞ!」

「え、……ええええええええ!?」

 

 川面から現れたのは、川にいたらおかしいサイズの巨大な魚だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ぅわーーーーーーーーーーーーっ!!」

「雫、うるさい! 耳元で大きな声を出すな!」

 

 淡さんの声もうるさいという突っ込みをしている余裕はない。

  

 すごく速い! 恐ろしく速い!

 淡さんと二人で漕さんの背鰭せびれに掴まっているけど、水飛沫と風が辛い。風は顔をキンキン攻撃してくるし、水の精なのに水飛沫が辛いって……情けない。更に大声を出していたせいで口の中まで渇いてきた。カパカパする。

 

 叫ぶのを止めて口を閉じた。時々上下に揺れるので閉じてないと舌を噛みそうだ。ついでに目も閉じてしまった。ひたすら衝撃に耐える。

 

 何度目か分からない衝撃と飛沫をやり過ごすと急に静かになった。恐る恐る片目を開けると見たことがあるような景色が飛び込んできた。

 

「あ……」

「華龍河か……」   

 

 淡さんを見るとびしょびしょになった頭と顔を拭いていた。あれ……何故だろう。外套は濡れていない。

 

「ん?あぁ、分かった。ちょっと待て」

「淡さん?」

 

 淡さんが漕さんと何か会話をしたらしい。急いで荷物を下ろし、外套を頭から被ると白い棒のようなものを口に咥えた。僕が淼さまに頂いた七竈ナナカマドこうがいに似ているけど……


 僕の視線に気づいた淡さんが口から棒を一旦離した。 

 

「潜水するぞ。雫はそのままで大丈夫だ。掴まってろ」

「え、あ、うん」

 

 僕の返事と淡さんが再び棒を咥えるのを待って、漕さんが潜水を始めた。ゆっくりゆっくり潜っていく。

 

 懐かしい香りがする。

 母上の河の香りだ。10年ぶりに会える母に何て声をかけようか。只今帰りましたかな。それともお元気でしたかときくのが先かな。辺りの景色も変わっていない。全てが懐かしい。 

 

 ふと横を見ると、淡さんは頭まで引き上げた外套を、前で押さえていて顔が見えなかった。何をしてるんだろう。声をかけても良いんだろうか。

 

 淡さんを気にしていると突然水がなくなり、ドーム型の空間に出た。すぐに、漕さんが元のサイズに戻ってしまった。漕さんは僕の目の前を泳ぎ、顔を撫で、川の中へ戻って行った。

 

「あ、ありがとう漕さん」

 

 聞こえたかどうかは分からないが声をかけた。また王館とか川とかで会うかもしれない。


 淡さんが外套を脱こうとごそごそしている。その向こうにはアーチ状の空間が続いているが、ここは見覚えがある。ここは……

 

「お帰りなさい、愛しい子」

 

 後ろから懐かしい声がする。優しく穏やかで、かつ気高い声だ。声に誘われて振り返る。

 

「母上……」

 

 碧色の髪を床に流し、凛とした様子で立っているのは十年前に別れた母だった。一段高い所から僕を見つめてくる。

 

「母上」

 

 言葉が何も出てこない。

 色々考えていたのに。

 言いたいことはたくさんあるのに。

 氷水を一気に飲んだみたいに言葉が詰まってしまう。無意識に一歩踏み込んでしまった。

 

「無礼者!!」


 少し離れた左前方から怒声と槍を向けられたのに気づいた。母上と僕のちょうど中間くらいに立って、僕を威嚇している。母上の護衛かな?

 

「あの……僕は」

「だまれ! 無礼者! 季位ディルの分際で我らの偉大な母上の子を名乗るなど不届き者が!」

 

 あ、兄弟だった。

 

仲位ヴェルである母上の子は皆、支流であり、叔位カール! 貴様は川ですらなく地位も季位ディルではないか!」

「そんな者が我らの兄弟などと私は認めん!」

 

 あ、二人いた。

 

「みな、おやめなさい」

「いいえ! 母上、騙されてはいけません 」

「左様でございます。あの者は母上の子を騙る不届き者です!」

「涸れた泉の精など、即刻追い払って参ります!」

 

 あ、一人増えた。

 懐かしいなぁ、この感じ。母上のところに来ると大体誰かと鉢合わせしてこんな感じに色々言われたっけ。母上が見てないところで殴られたり、蹴られたりしたっけ。

 

「ほぉ、水理王自らが送った精霊を追い返そうとは度胸があるな」

 

 後ろから淡さんの声とバサッと衣擦きぬずれの音がした。隣に近寄ってくる気配があった。

 

「訪問の先触れはあったはずだ。それを追い返すというのは……どういうことか分かっての発言だな?」


 見上げると脱いだ外套を肩にかけた淡さんが見たこともない目付きで僕の兄弟を見ていた。口調もいつもと違う。正直、だれ? という感じだ。

 

「ぐっ……」

「さ……先触れなど本物かどうかすら怪しいではないか!?」

「そうだ!卑しい季位の分際で御上のお側に仕えているのだって嘘だろう!」

 

 あ、淡さんの顔に青筋が。まずい。

 

「華龍どの、受け入れの準備をしておかなかったのは管理の怠慢ではないか?」

「誠に申し訳ないことです。後程よく注意しておきます故、何卒ご容赦願えませんか?」

「それはこいつら次第ではないか?」

 

 淡さんがとてつもなく尊大な態度をとっている。淡さんは言葉遣いは乱暴だけど、根は優しいし、面倒見も良い。今の淡さんは顎を少し上げて、高いところに立つ母上ですら見下すような態度だ。

 

「な、無礼者が!母上は」

仲位ヴェルなんだろう? それがどうした?」

「なっ……」

「俺はあわ。聞いたこともないだろうな、低俗な叔位カールども。自分で言うのも烏滸おこがましいが、俺は伯位アル。水理王の勅命によって、華龍河の子たる雫の付添を勤めている。そちらから挨拶をするのが礼儀だろう?」

 

 淡さんはすごく悪い顔をしていた。母上は黙ってやり取りを聞いていたが、淡さんはすごい形相で兄弟を睨んでいるし、睨まれている兄弟はあからさまに動揺しているし、なんなら淡さんが伯位アルだと知った僕が一番動揺している。

 

 僕、伯位の方に馴れ馴れしくしてたのかぁ


 気が遠くなってきた。

 

「申し訳ございません!」

  

 僕を現実に引き戻したのは新たな人物の声だった。低くて心地よい冷たさの声。この声は……

 

「「「兄上!!」」」

 

 アーチ状の空間から走ってくる人影に懐かしさを覚えた。僕と親しかった兄ーー美蛇江だ。肩で息をしている。兄上は淡さんの前に回り込んで跪いた。

 

伯位アル淡さま、ごきげんよう。叔位カール 美蛇江がこん、 参上しました。出迎えが遅くなり誠に申し訳ありません」

「出迎えご苦労、美蛇どの、会うのは初めてだな?」

「はい、左様でございます。申し訳ありません、弟たちが大変失礼しました」

「あ……兄上?」

 

 兄上は立ち上がって、困惑している兄弟につかつかと近寄った。近寄りながら目一杯腕を引いて三人を全力で殴った。一人目は崩れ落ち、二人目は体勢を崩しただけだっが、三人目は耐えきれなかったようで、後ろの壁まで飛んでいった。ずるずると壁を下りてくる。

 

「無礼者はお前たちだ! 母上の制止も聞かず、私の見ていないところで傍若無人な振る舞い……いくらお前たちでも許さないぞ!」

 

 僕は完全に傍観者になっていた。帰省したの僕だよね?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る