秋と散髪

 秋と散髪、これ以上酷い組み合わせを僕は知らない。




 ──晩夏の夜明け、凝り固まった心を何の脈絡もなく溶かしてしまうには充分なくらい、在り来りに感傷的な鈍い光。厚めのカーテン越しに、ぼんやりと死にかけの夏が見える。部屋に積み上げた本たちが徐々に輪郭を持ってゆく。何の音も聞こえはしない、夜の虫の声も、昼間の蝉の声も、何も。これだけ生命溢れる季節の名を一応冠しているのに、晩夏の夜明けは、全てが死んでしまったかのような、表面張力のような静謐で満ちていた。


 空が白む。今日をやり過ごそうと心が死ぬ音がする。静謐な中に、その音だけが響く。また今日も、情けなくヨレたタオルケットにしがみついたまま、古いエアコンが吐く冷気で現実逃避をしたまま、呼吸だけして過ごすのだろう──やり過ごすの、だろう。そうこうしているうちに自分が持ち合わせているだけの狭い世界にすら置いて行かれ、この狭い部屋に取り残されて、気付けばきっと大切なものを失っている。これだけは何があっても失くさないと信じて疑わなかったものが、気付いた時には手元から離れている。そんなことばかり繰り返すのだ。晩夏の夜明け、これから喪うだけだというのに始まってしまうという意味では、自分によく似合っているように思えた。


 さて、脈絡なく溶けた心をどうしてくれようか。いつからか純粋な感情に混じってしまった劣等感や引け目、罪悪感にも似たものが、ガラス片のように突き刺さって抜けない。とっくに思い出になっていなければいけない君を、何度でも文字で造った。感傷と懐郷で組み立てた。偽造した。偽物の君は僕の好きな部分だけで出来ていて、本物よりずっと美しかったのに、どうしてか本物の君より好きになれることはなかった。本物の君のように心を掻き乱すことはなかった。晩夏が映る虚無の液体が目から零れ落ちた、気がした。僕の知ったことではない。


 君にはとっくに愛想を尽かされているのだろう。夏が死ぬのを待たずに君は去った。いつの間にか、僕の中で、夏という概念ごと君にすり替わっていたことを知った。虚構の君で夏を繋いでいるだけで、本当は部屋の外に虚しい秋風が吹いているのだと思う。そして、こういう時には髪を切るものだと相場が決まっていた。




──だから僕は、秋と散髪、これ以上酷い組み合わせを知らない。

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