第3話 図書館失格
大学構内――
俺はいつもの食堂には集まらず、図書館に来ていた。図書館は空調も聞いていて、おまけに漫画も読み放題だ。俺は適当な本を持って、机に着いた。
「…………」
ただの暇つぶしなので内容がいまいち頭に入ってこないが、適当に漫画を読み流す。大学って言うのは本当に暇な時間が多くて困っちゃうね。
カタカタカタカタ、カタカタカタ。
「……?」
図書館にはおよそ似つかわしくない、機械的な音が聞こえた。音のした方に目をやってみると、前に食堂でぶつかった陰気な女が、そこにいた。そういえばぶつかった時も脇にノートパソコンらしきものを抱えていたような気がするな。
カタカタカタカタ。
女は一心不乱にパソコン画面とにらめっこしている。以前ぶつかった時は何も思わなかったが、こうして見てみると中々端正な顔立ちをしている。簾のようにかかった長い前髪を整えて見た目に気を遣えば、十分美人と言っても差し支えがない。こんな素材を持っていながら大学生活をこんな陰惨に過ごせるなんて、ある意味頭が下がるよ。
俺は遠慮せず、向かいの女を見つめる。
カタカタカタ、カタ……。
目が合った。女の手が止まる。女は静かに俯き、硬直した。あらら、性格も引っ込み思案ってわけね。でも、こういう引っ込み思案で男友達の少なそうな女の子は、ちょっと絡んでやればすぐに惚れる。ちょっと優しくしただけで簡単に勘違いする。どうしようもない人間だよ。
俺は席を立ちあがり、女の子に近づいた。
「やあ、先日はどうも」
「え……あ、は……はい」
自然な動作で女の子の隣の席に座る。受け答えもどもりがち、本当に陰鬱な性格をしている。人生楽しくないんじゃないだろうか。
「こんな図書館で何してたの? というか、僕のこと覚えてるかい?」
「あ……は、はい、覚えてます。あの、お金拾ってくれた……」
「そうそう、大正解~」
俺は笑いながら、会話を交わす。
「名前なんていうんだい?」
「あ……桐原紗子、二回生……です」
冴えない子だから紗子、ってことか。これは傑作だ。
「へぇ、紗子ちゃん。可愛い名前だね。僕は生島昂輝。僕も二回生なんだ、奇遇だね。是非是非昂輝って呼んでよ」
「あ……はい」
紗子ちゃんはびく、と体を跳ねさせ、俯いた。こっちから距離を詰めてやっているのに、いまいち仲良くなれない。面倒だなあ。
「で、こんな図書館で何を……?」
「あ、あ……!」
パソコン画面を見ようとのぞき込むと、紗子ちゃんは慌てて画面を両手で隠した。
「えぇ~、駄目なの?」
「そ……その、恥ずかしくて……」
画面を隠したまま、あはは、と苦笑する。断然、何をしてるのか気になった。
「いいじゃん、見せてよ! 何があっても絶対笑ったりしないからさ!」
「ほ……本当……ですか?」
おずおずと上目遣いで俺のことを見てくる。面倒くさいなぁ。早く見せろよ、笑わないって言ってんだから。まぁ、顔には出さなくても心中で嗤う可能性は大いにあるけどね。
「じゃ……じゃあ」
紗子ちゃんはおずおずと手をどけた。スクリーンには、謎のアルファベットの羅列と、『小城木紅羽驚き』という文字と棒人間が映っていた。どういうことだろう。
「えーー、なにこれ紗子ちゃん面白そう! 教えて!」
興味もないけど適当に大仰に訊いてみる。
「え、いや、プログラミング言語っていって……」
たどたどしくも、話し出した。ここはこの女の気を良くさせるために前傾姿勢で合いの手を入れるべきだ。
「あ、ああ! プログラミン!? 最近話題の人工知能とかのあれ!? えぇ~、すごい! 僕も今勉強してるんだけどこれが全然分からなくてね……是非教えてよ!」
若干芝居がかった一面もあったが、全面的に肯定した。もちろんのこと、プログラミングなんて知らないし知りたいとすら思わない。
「えっ……」
紗子ちゃんの沈んでいた目に光が浮かんだ。ずい、と顔を近づけて来た。
「プ、プログラミング好きなんですか!? 本当に!? え、と、ですね! これはプログラミング言語って言ってですね、パソコンに命令した処理をしてもらうためのものなんです! 今私が使ってるのは高級言語って言うんですけど、こうやってプログラムを打ち込んだらですね、パソコンがそれを理解してくれて思った通りに動いてくれるんですよ! 私は今ちょっとゲーム作ってて、その開発環境なんですけ……ど……あ」
「へ……へえ」
紗子ちゃんは俺に詰め寄り、今までの根暗な態度が嘘だったかのようにまくしたて、その後自分の行動を恥じたのか、前髪をしきりに触りながら元の席に戻った。たまにいるよね、こういう自分の好きなことを聞かれたら突然馬鹿みたいに滔々と喋り出す奴。そういう類型の人間か。
「すいません、ちょっと……図書館なのにうるさかった……ですよね」
「……え?」
どうやら自分を恥じていたわけではなかったようだ。自分を客観的に見れないみたいだね。
「いや、大丈夫大丈夫。今ここ人殆どいないし、大学の図書館なんてそんな人来ないでしょ?」
「あ、そう……ですか?」
紗子ちゃんは周囲を見渡し、ほっと胸をなでおろした。
俺は笑って相槌を打つ。事実、人が少ない場所を選んで本を読んでたし、そもそも図書館なんて大学生活を楽しもうとしてる俺たちのような上位の人間がバカ騒ぎするところだろ?
「でも、紗子ちゃん凄いね。 ゲーム作ってるんだ! 僕には絶対そんなこと出来ないなぁ~、本当凄いよ!」
気を取り直し、恐らくはこういう反応が欲しいんだろうな、という表情で俺は大仰に、感動したそぶりを見せた。
「え……あ、はい……ありがとうございます」
それが功を奏したのか、頭をかいて、照れながら微笑んだ。ちゃんと笑うことも出来たんだね。
「えーっと、それでこの小城木紅羽驚き、っていうのとこの棒人間は一体……?」
「あ、これは、その……恋愛シミュレーションゲームを作ってて、出てくるキャラの絵がないから適当に描いてた、んです」
きちんとした絵を探し当てるまでの仮の絵ってことか。
「へぇ~。そうなんだ。ゲーム作って誰かに遊んでもらうの?」
「え……い、いえ、別に」
「じゃあ何の為に?」
意味が分からない。
「あの、実は私ゲームクリエイターになりたくて、その練習を……してます」
もじもじと手を動かしながら、伏し目がちに答えた。大学生にもなって勉強してる……ってことなのか?
「勉強してるってこと? 遊びじゃなくて?」
「え……は。はい」
大学にまで来て勉強……?
俺は一気に、臓腑の奥底に冷たい何かが去来するのを感じた。こいつも、こいつも叶わない夢を追ってるのか。
俺は冷めた目線で紗子ちゃんを見る。無駄な事を。そもそも普通の大学に来た時点で夢なんて叶うわけがない。自分が何者かになれるなんて本気で信じて、その夢の為に人生の夏休みである大学生の自由時間を削ってまで努力する。
ああ、本当に……
本当に、馬鹿らしい。
平凡な自分が何かになれると信じて、唯一、人生で遊べる期間を無下にするだなんて、馬鹿げてる。お前は一生平凡のまま、何も残すことも出来ないまま、努力と苦労を重ねて、いたずらに時間を空費していくんだよ。凡人が大層な夢を抱いてんじゃねぇよ。
紗子ちゃんみたいな、無駄な努力を続ける人間を見ていると、吐き気がする。まるで、愚かなミツバチだ。人間に蜜をかすめ取られるのにもかかわらず、愚直に蜜を集め続け、死んでいく。意味のない、無駄な努力。
こういうひたすらに努力する人間を見ていると、イライラすんだよ。
紗子ちゃんは俺の腹心に気付くこともなく、話を続ける。
「それで、私絵とか描けないんで困ってて……でも、別に練習なんで、これでもいいかな、って……」
あはは、と誤魔化すように、笑う。
「絵が、欲しいんだ?」
「は……はい。でも、もういいかな、って……」
紗子ちゃんは諦観したように俯く。これは……チャンスかもしれない。
「じゃあ、僕ちょっと今から絵描いてみていいかな?」
「え……絵、描けるんですか?」
「まぁ、ほどほどにはね」
あはは、といつものように飄々といなすと、俺は絵を描き始めた。
何もない、平凡な俺。だが、絵だけは人より少し描ける。子供の頃に絵を描くのにはまって、それから今までずっと描いている。勿論、今でこそ昔のような情熱はないけども、人一倍画力に関してはあるつもりだ。言わば、惰性だ。昔から続けてるから、という平々凡々な理由で続ける。一般人がよくやるあれだ。
まあ、絵を描くことよりも飲み会に参加して女の子たちと話したりするほうがもっぱら楽しいが故に、大学に入ってからはあまり描いていなかったけど、今でもそこそこのものは描けるだろう。
数十分の時間を貰って、俺は大体のラフ画を仕上げた。
「これで、どうかな?」
俺は紗子ちゃんに出来上がったものを見せる。これで紗子ちゃんに認めて貰えればぐっと距離が縮まって、彼女にしやすくなるだろう。彼女になったらもうちょっと身なりに気を遣ってもらって、俺にふさわしい彼女になるようにしてもらおう。
紗子ちゃんは俺のラフ画を見つめると、
「あ……あぁ……あああぁぁ! すっ、凄いです凄いです! これ凄いです!」
ラフ画を持ったまま、その場で何度も飛び跳ねた。
「凄いです生島さん、これ! こんなに絵がお上手なんですか!? 凄いです、凄いです!」
何度も何度も凄い凄いと連呼する。そんなに大したものじゃない。それで食っていけるような代物なんかじゃない、アマチュアの落書きみたいなものだ。
「あ……あの、生島さん、良かったらこれ、貰っても、いいです……か?」
「ああ、いいよいいよ。また描いて持ってきてあげるよ」
上目遣いで懇願してくる紗子ちゃんに、俺はひらひらと手を振る。紗子ちゃんはそのまま俺の絵を穴が開く程見続けて、目を燦然と輝かしていた。
「あ……こ、講義の時間が来ちゃった……」
「あぁ、そうなの」
それから暫くして、紗子ちゃんは立ち上がった。大学生なのに真面目に講義なんて受けてるのか。生き方の効率が本当に悪い。
「じゃ……じゃあ、行ってきます。これでさよならですね」
「え……あ、ああ、そうだね」
勿論、何度もここに通って口説き落としていくつもりだったけど、もう会うつもりはないのかな。
「じゃ……じゃあ」
紗子ちゃんはのろのろとパソコンをしまって、もう一度俺を見た。
「じゃあ、これで暫く会わない……ですね」
「え……うん、そうだね」
二度目。しつこい。
「じゃあ、ばいばい」
「は……はい」
紗子ちゃんはしょんぼりとした表情で歩き出した。
足を止める。
「これで暫く……会わないですね」
「そうだね」
三度目。さすがに面倒くさい。俺から誘って欲しい、ってことなのかもしれない。本当に女は面倒な奴が多い。もっと直接言えばいいものの。
だが、俺は自分から話しかけない。これだけくどくど言われたんだ、少しは相手にも落胆してもらわないと帳尻が合わない。
にこにこと手を振り、紗子ちゃんを送る。悲しそうな顔をした紗子ちゃんはそのまま、とぼとぼと歩き出した。自分から相手の連絡先とか聞けないタイプなんだろう。
歩き始め、止まる気配がなかったので、俺はようやく動き出した。紗子ちゃんの肩を軽くポンポンと叩く。
「紗子ちゃん、そういえば連絡先とか交換してなかったね。また会いたいし、交換しよっか」
「あ、は……はい!」
俺の言葉を聞いた紗子ちゃんは見るからに顔を明るくして、大きく頷いた。
女は、単純だ。面倒な心理戦を押し付けて来るくせに自分からは切り出せない。そこをちょっと突いてやればいい。
俺は紗子ちゃんと連絡先を交換し合って、図書館の入り口まで紗子ちゃんを見送った。
平々凡々な俺でも、自分の絵を認められたことがほんの少しだけ、嬉しかった。ほんの少し、高揚感を感じた。こんなどうでもいい特技でも褒められると嬉しいもんなんだなと、そう思った。
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