アタシのことはミコって呼んでね

伊瀨PLATE

第1話 天気雨のような

「こんにちは。生憎の雨ですね」


 アタシはにっこり笑顔で、神社の本堂で雨宿り中の女子中学生に声を掛けます。

 イヤホンで両耳を塞いでいた彼女は、アタシを見て唖然としたように、口をぽかんと開けました。肩までくらいの髪の毛を、片方だけ耳に掛けているため少し大人っぽい印象です。

 アタシの格好は、長靴にレインコートに傘。雨の日の装備としては、別に普通だと思うのだけれど。


「……なんて?」

 女子中学生はイマドキギャルっぽいイントネーション。

 制服のスカートの下に学校指定のジャージを穿いています。寒いのでしょう。雨ですから。

 でも良い子だと思います。イヤホンを両方外してくれました。

「雨は好き?」

「いや嫌いだけど。あんた、なに」

 不審そうに訊ねられました。いけません、必要のない外壁塗装の営業の電話を取ってしまった母と同じ顔をしています。

 フレンドリーに自己紹介をば。


「アタシはミコ。見たところ同い年くらいだし、ミコって呼んでね。アナタは?」


「………………………………………………カナコ」


 これは偽名ですね。ええ。経験上わかるのです。全く信用されていないときの対応だと。意外に自己防衛能力高いですね彼女。

 まあ特に気にしませんけれど。アタシも似たようなものですし。


「カナコは、どうしてこの神社に?」

「見てわかるでしょ。雨宿り」

「目的があって神社に来たんじゃない?」

「なんで」

「服、全然濡れてないから。雨が降る前からここにいて何かしてたんじゃないのかなって」

「……」

「ちなみにアタシの方は、雨の日の散歩コース。アタシは雨好きなの」

「そーね、雨の日を満喫してるカッコだわ」

 半眼で上から下まで眺められました。品定めされているようでしたので、その場でくるりと一回転してみます。

「お気に入りは、このコバルトブルーの傘。大きめだから、誰かが傘を忘れて困ってたら入れてあげられるの」

「あっそ。お優しいことで」


 言外に、急ぐなら入れますよ? とニュアンスを込めたつもりだったのですが、スルーされました。

 必要ないから立ち去れとも言われなかったので、良いように解釈します。


「……そのカッコ、蒸れるでしょ。髪の毛もヒドいことになってるし。ヤバくない?」

 少し、警戒心も解けたのでしょうか。アタシに興味を示してくれました。

 もちろん、正直に答えます。

「ヤバい。超蒸れてる」

「でしょーよ。どんだけ歩いてきたか知らないけど、レインコートの下、汗でぐしょ濡れじゃないの?」

 さすが同性ですね。もう着る側になって想像できるとは。

「この思いっきり掻いた汗をお風呂で流すのが気持ちいいの。汗だって、冷えなければそこまで不快感ないし」

「いやーウチには無理だわ。汗とか無理。極力掻きたくない。その前髪うねりまくってる視界にも耐えらんないわ」

「アタシの前髪のこと?」

「それ以外ないでしょ。見てるだけで直したいもんそれ。ここにアイロンとコンセントがあったらウチがやってた。顔半分隠れてるし、漫画のキャラみたいになってんじゃん」

 前髪を一房、自分の指でつまんで伸ばしてみます。放して元に戻る様を見て、カナコは小さく吹き出しました。

「これがね、近所の小学生たちには大人気。良いでしょう」

「ガキ相手に人気者になったってしょーもないでしょ」

 これは鼻で笑われました。価値観の相違というやつです。

 雨を好きか嫌いか、というやつです。


「雨の良いところは、未来を少し変えてくれること」


 突然どうした、と目を見開くカナコに、アタシはしたり顔で続けます。


「雨の日は、少し予定を変えるものでしょ。突然の雨なら、こうして止むか弱まるまで、雨宿りするか、無理矢理濡れて帰ってから、着替えたりシャワーを浴びたりしないといけない」

「まあ、そーね」

「屋外に行く予定を立ててれば変更して屋内にするか、日を改めるでしょう。そういう、ある程度定まっていたはずの未来を、雨は変えてくれるの」

「……決めていた予定通りその日が終わる方が、安心する人多いと思うけど。あんたみたいな考え方する奴、きっと少ないよ」

「うん。雨天中止は悲しいよね。でもそれで、その一日がなくなるわけじゃない。予定が消えたことで無為に過ごしてしまいがちだけど、それはもったいないと思う。雨の日は雨の日の過ごし方があるのに」

「……なかなか、そうは思えないよ。雨とかないわーってダベって、なんとなくで遊んで終わり。そんなもんじゃん」


 同意は得られませんが、これで良いのです。

 アタシはカナコに雨を好きになって欲しいわけでも、自分の考えに同調させたいわけでもないのですから。

 むしろ適当に『わかるわかる』と同意されるより、よほど嬉しいのです。

 楽しそうに笑うアタシは、カナコに怪訝そうに見られました。


「なに言いたいことだけ言って一人で笑ってんの。きんも。やっぱ変な奴だった」

「今日のこの出会いに感謝をと思って」

「怖いわ」

「カナコはきっと、感情と言葉とでロスが少ないよね。とっても良いことだと思う。カナコみたいな人、アタシ好きなの」

「なに? ロス?」

「思ったことを言葉にしたときに、なんかしっくりこないような感覚になったことない?」

「あー、そういう……。今はあんた相手だから気をつかってないし、別にどうでも良いからだよ」


ウチだって、学校では違う。


カナコは呟くように言いました。

「アタシとは、この場限りの縁だものね。なんでも言っていいよ。ブスとか脳内アンブレラとか」

「脳内アンブレラってなんだよ」

わけわかんねーな、と笑うカナコはとても可愛らしいです。

ひと通り笑うと、「なんかバカバカしくなってきた」と言って、カナコはため息をつきました。


「あんたとはこの場限りの縁、だったね」

「うん」

「聞いてくれる?」

「もちろん」

「本当は、となりの大きい方の神社に行こうと思ったの。御守りを買いに」

黙って相槌を打ちました。

カナコは続きを話してくれます。


「好きな人がいるの。部活の先輩。今年受験で、部活は早期退部しちゃった。実績もやる気もそこそこの部活だから、受験が優先。全然会えなくなっちゃった。ウチとあの人との繋がりなんてそんなもんだったのかって、そのときやっと気が付いた」


カナコは淡々と、まるで確認するように、

今まで何度も頭の中で唱えてきたように、淀みなく話します。


「付き合いたいとか、関係を変えたいとか、どうにかなりたいなんて思ってないの。強がりじゃなくて、あんたの言うロスのない言葉で心から。ただ、好きな人のために何かしたくて、御守りくらいならもらってくれるかなって考えて、近くまで来た。――でも、恥ずかしくなっちゃった。なんにもならないような気がして、御守りを売ってないこっちの神社に来た。せめて祈ろう。形には残らないけど、気持ちだけは嘘じゃないって自分を信じたくて。……そしたら、雨が降ってきて、あんたに絡まれた。とんだオチよ」


 御守り売ってる方の神社なら傘も買えたのにね。と、カナコは自嘲するように言いました。


「カナコは、御守りを渡すことで先輩に意識されたくないんだね」


 失敗です。アタシの一言で、弛緩していた空気が一瞬で張り詰めました。なぜもっと良い言い方ができないのか。


「自惚れてるでしょ」

「どうしてそう自虐的に捉えるかな」


 反省するつもりでしたが、やめました。プッツン来たのです。


「応援するつもりが邪魔になったら嫌だなって、先輩を思いやったんでしょう? 恥ずかしくなっちゃったとか、自惚れてるだとか、わざわざ悪い理由を後付けする必要ないのに。そんな言葉で自分を小さくしないで」


 カナコが驚いてアタシを見ています。

 アタシは怒っていました。びっくりして欲しいんじゃないのです。

 きちんとその先輩と向き合って欲しいのです。


「謙虚と卑屈は違うよカナコ。その先輩は、カナコが御守りを渡したからって、勉強が手に付かなくなるような人なの? それとも、人の応援を無下にするような心ない人なの? 違うでしょう。カナコが好きになるような、素敵な人なんでしょう?」


 自分でも驚くほど言葉がとまりません。

 でも、言えば言うほど苦しくなってきました。自分の首を絞めているような気さえします。


「その先輩のことも、学校でのカナコのことも、アタシは知らない。けど、今日アタシが知った素敵なカナコには、素敵でいて欲しい」

「……随分、買ってくれてるんだ。今日会ったばっかりなのに」

 言葉に詰まっていたカナコが、ようやく復活しました。

「アタシは自分が好きな人を悪く言われるのが嫌なの。たとえそれが本人でも」


 雨は徐々に弱まり始めていました。陽が落ちる頃には止みそうな雰囲気です。

 お互い、少し沈黙し合って、雨音が響きます。

 先に動いたのは、カナコでした。

「……うん。御守り買ってくる。なんにもならなかったとしても、いいや」

 

「傘は必要?」

「いらない。小雨になってきたし、少し濡れたい気分」

「わかる。アタシも顔が熱くなってきて、雨が気持ちいい」

「あんたの場合、蒸れなのか羞恥なのかわかんないわ。結構恥ずかしいこと言ってたから……。ウチもだけど」

 かかとを潰した癖の付いたローファーをきちんと履いて、身支度を軽く整えて、立ち上がったカナコは、

「――ねえ、あんた本当に同じ学校の生徒じゃないよね? 明日以降廊下ですれ違いでもしたら無言で蹴るよ」

 念を押すように、そう確認してきました。

「違いますとも。ここで初めて明かすけど、アタシは雨の妖精ミコ。雨の日にだけ現れる気まぐれ屋なのさ」

「やっぱあんた頭おかしいや。……まあいいよ、他言しないならなんでもいいし」

「カナコのそういうところ好き。縁があったらまた会おうね」


「うん。――またね、ミコ」


 カナコは小走りで、すぐに見えなくなりました。

 残ったアタシは独り、カナコが座っていた場所に腰を下ろします。まだ人肌の温度が残っているはずですが、我がレインコートが優秀なので感じられませんでした。無念です。嫌がられるようなことをして、自分の中で仕返しを成立させたかったのに。

 

 カナコはとんでもないものをアタシに残していきました。


 アタシこと雨の妖精ミコは、雨が降っている時間だけ、普通に女子中学生として生活している人間の体を借りて活動しています。

 雨の日に激しさを増す癖っ毛という思春期にありがちなコンプレックスにつけ込んだ形ではありますが、主には生活に支障の出ない放課後――日が暮れるまでに活動時間を制限しているので、共生と呼んで良い関係性なのです。


 この体の持ち主は、普通の子です。

 希望を求め、理想を追い、憧れを抱き、恋と友情に悩むごくありふれた思春期の女の子です。

 カナコに、本質的に少し似ているのかも知れません。

 カナコの自虐的な態度が、アタシをプッツンさせました。そのはずです。

 なぜかは、たった今ようやく思い至りました。

 この体の持ち主に、思考が似ているのです。

 そしてこの体の持ち主は、カナコの反応に激しく共感していたのです。

 振り切れた感情は普段であれば表面化します。しかし表面にいたのはアタシ、ミコでした。

 あの一瞬、アタシの自意識の膜が突き破られたのです。

 この体の持ち主のそれと、無意識下に交わりました。

 アタシがプッツンしてしゃべっていたはずなのに、アタシじゃない誰かがしゃべっているような気分になってきて、若干パニックでした。


 こんなことは、初めてでした。


 アタシがこの体を借り始めてから、1年と半年が経ちます。

 聞けば、いまどきはヒーローもヒロインも、半年か一年もすればお役御免だとか。

 よく飽きもせず、アタシのような不確かな存在に縋っているもの――と、思っていましたが。



 今日の出来事が楔になるかも知れませんね。


 この子にも雨が、ようやく降り始めました――――


 

 

 

 




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