セカンドピアス

第一話 ファーストピアス

 高校に入って初めての夏、親友に恋人ができた。


 よくある話だった。別に何も、珍しい話ではない。高校生になり、少し大人になった気分で迎える夏は、まだ子供の僕たちには眩しすぎた。浮遊感と高揚感が背伸びをさせる。新しいことに手をつけさせる。

 彼だって、例外じゃなかっただけだ。


「ゆづる、悪い。今日は彼女と帰る約束してるから、先帰るわ」

 よく通る声で悠一が言った。

「わかった」

「じゃあ、また」

「うん」

 振り向きぎわに茶髪の間から赤いピアスを光らせ、彼は小走りで教室をあとにした。


 二人と鉢合わせないためにも、今すぐに帰るというわけにいかなくなった。支度を済ませたかばんを机の横に戻す。

 太陽の光が肌をじりじりと焼く。窓際の席の宿命だ。クーラーがついていてもここは暑い。

 なんとなく空を見上げると、窓に張りつく黒い汚れが気になった。掃除が行き届いていないのだろう。晴天が台無しだ。

 暇を持て余していた僕はその汚れを一つ一つ数え始め、ちょうど一週間ほど前のことを思い出した。


 一週間前、夏休み明けの始業式の日、悠一に彼女を紹介された。その日彼は、隣のクラスの女子生徒と一緒に登校してきた。

 あとからあれは誰かと尋ねると、彼女だと言われた。どうやら八月の頭に彼女から告白され、それから付き合っていたらしい。親友の僕はそれを、一ヶ月経ってからようやく知ったわけだ。

 そのとき自分がどんな反応をしたのかはよく覚えていない。でも、きっとろくな返事はしていなかったと思う。祝いの言葉を伝えたのかすら曖昧だ。


 その一日はなんとか穏便に過ごし、しかしそれからというもの、僕と悠一はぎこちない距離感で日々を過ごすようになった。会話を始めてもよそよそしく、長く続かない。周りのクラスメイトにも心配されたが、結局は改善されないまま今に至る。


 付近の汚れを数え尽くした頃、窓の向こうの校庭に、誰かに手を振る悠一の姿が現れた。校門あたりにいた一人の女子生徒に近づいていく。身長が低く、肩まで伸びた黒髪と、大きい猫のような瞳が印象的な女の子。悠一の彼女だ。

 彼女の方が悠一に気づくと、二人は並んで歩き出し、ゆっくりと帰路についた。

 ――この間まで、そこは僕の場所だったのに。

 二人から目を逸らして顔を伏せると、耳元の赤いピアスに触れた。開けてからしばらく経ったピアスホールはまだひりひりと痛み、それは永遠に続くような気がした。






 二ヶ月ほど前。試験も終わって、あとは夏休みを迎えるだけだと肩の荷を降ろした頃、日課のように悠一の棲むアパートを訪れた。

 両親とあまり上手くいっていないという彼の家はがらんとしていて、その静寂は、これから自分の身体に穴を開けるという僕の緊張を掻き立てた。


 試験前にピアスを開けないかと悠一に誘われてから数日。前々から悠一の耳に輝く真っ赤なには興味があり、自分もいつか、と思っていた。だからいい機会だった。一人ではとても怖くて開けられない。


 悠一は近くの薬局で買ってきたピアッサーを取り出し、僕の耳を消毒した。邪魔にならないように髪をかきあげ、いつもより真剣な瞳で、優しい手つきで耳に触れた。

 僕に穴の位置を確認し、開けるぞと声をかける。そして、僕らの緊張を吹き飛ばすように、静けさの中にバツンと大きな音が鳴った。その音は鼓膜を揺らし、思っていたよりもうるさかった。

 保冷剤で感覚を鈍らせていたからか、痛みは熱とともに忘れた頃にじわじわとやってきた。似合ってるぞと手渡された鏡に映る僕は、悠一の耳にはまっているものと同じ色のピアスを耳に刺していた。

 悠一に開けてもらったピアスホールに、悠一とお揃いのピアス。

 それがなんだか、くすぐったかった。


 その頃の僕らは少し複雑な関係にあった。


 高校に入学して同じクラスになり、席は並んで座っていた。悠一の名字は相原。僕は泉。席順が出席番号で決められていた一学期間、僕らは二人揃って前方の窓際の座席だった。


 先に話しかけてきたのは悠一で、授業開始日の朝だったのを覚えている。色素の薄い茶髪と大きく開かれた瞳が、きらきらと輝いていた。身長は大きい方なのにそれほど威圧感はなく、しばらく話してから、それは緩んだほおの所為だと気がついた。

 彼は僕の反応を窺うように、でも少し強引に、その日の昼食を一緒に食べる約束を取りつけた。


 最初はよそよそしかった僕も、話していくうちに趣味が似ているとわかり、すぐに打ち解けた。好きな音楽や漫画、ゲームや食べ物。驚くほどに気が合った。

 自然と、休み時間は一緒に駄弁り、放課後はほとんど毎日遊ぶ仲となった。ゲームセンターに寄ったり、ファストフード店で夕飯を済ませたり、家でゆったりと漫画を読んだり。くだらない話でも、相手が悠一なだけで盛り上がった。生活の中心が悠一だった。


 そんな日々が進んでいくうちに、いつの間にか僕らは、ただの友人とは言えない距離にいた。


 休み時間や放課後に加え、授業でペアを組まされるときや自由席のときはいつも一緒だった。パーソナルスペースというやつは、お互いに限定して、限りなく狭かった。気のおけない仲だったと思う。

 クラスメイトには夫婦みたいだと茶化され、だが実際にはかなり的を射た発言だった。何か決定的な言動をしたわけじゃないが、互いに薄々感じていたし、わかっていた。友情では収まりのつかない、恋情に近い何か。それが僕らの距離を縮めていたこと。そのことに緊張や多少の恐れを感じていたものの、それ以上に好奇心や好意がまさっていたこと。ピアスだって、特に何か話し合ったわけでもないのに、お揃いのものを選んでいた。


 二人とも初めてのことで、浮かれて、夢中になっていた。一緒にいるのが当たり前で、それで毎日が楽しかったし、満たされていた。

 そういう、関係だった。

 ――この夏までは。


 夏休みに入って初めの一週間くらいは毎日連絡を取り合い、出かけたり、互いの家を行き来したりしていた。しかしそれも一日中、毎日続けるとなると流石に飽きてくるもので、七月の終わりには随分と会う頻度が減っていた。

 加えて、八月は僕が父の実家に行くために会わなかった。悠一もバイトを始めたようだったし、メールでの連絡も減っていった。


 それでも不安は感じなかった。

 数週間会わなかったくらいで、連絡を取らなかったくらいで、なくなる関係ではないと思っていた。会えない寂しさやもどかしさを時折感じることはあっても、向こうもきっと同じだろうとか、もしかしたら今このときに僕のことを思い出しているんじゃないかとか、甘いことばかり考えていた。僕らは何か強いもので繋がっていて、それは簡単には切れないと、そう信じていた。


 でも、どうやら違っていたらしい。そう思っていたのは僕だけで、その間に彼は彼女を作っていた。いつ知り合ったのだろうか。少なくとも僕は、彼に紹介されたときが初対面だった。

 何も知らなかった僕は、生ぬるい想像と夢に浸っていただけで、現実を見ていなかった。悠一のことを考えていたつもりが、本当はそうじゃなかったのかもしれない。

 僕は、彼のことを全然わかっていなかったのかもしれない。


 ――それでも、彼に対するもどかしい想いは、本当に本物だった。


 親友だと呼び合いながら、彼は何を思っていたのだろう。今ではそんなことも簡単には訊けない。

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