とある夫婦のフェアリーテイル  KAC10

ゆうすけ

夫婦の最後の勝負が始まる休日の夕方

 

 土曜日の午後5時45分。

 ある夫婦のマンションのダイニングには、二人が向かい合って座っていた。

 そこはかとない緊張感が漂い始める。

 これはその夫婦が毎週末行っている真剣勝負だった。


「なあ、今日は不思議な話勝負にしないか?」

 夫は妻に言った。


「……そんなこと言い出すってことはなんかネタがあるのね?いいわよ。驚かせた方が勝ちってことでいいんでしょ」


 妻は余裕の態度で応じる。

 そんな妻を見て夫は、余裕ぶっこいてられるのも今のうちだけだぜ?と不敵に笑う。


「じゃあ時間の確認だ」

「17時49分40秒。あなたの先攻でいいわよ」


 夫はあまりの妻の余裕ぶりに眉をしかめる。コイツ、俺をなめてるな?俺のこれまでの人生最大の不思議な話を聞いても、その余裕を続けてられるのか?


「ホントに俺の先攻でいいんだな?降参しても知らないぞ?」

「どうぞどうぞ」

 少しムッとした夫だったが、 それでも語り始めた。


「先週の火曜日の夜だけどさ、俺、パソコン打ってたんだ」

「うん。知ってる。どうせまたつまんない作り話を打ってたんでしょ?」

「……つまんないかどうかは読む人が決めるもんだ。俺は俺の物語を字にしてるだけだよ」


 夫は妻の身も蓋もない言い方に渋い顔をする。

 ただ、妻の言っていることは8割方正しい。夫自身、自分の作る小説がどこまで面白いのか、疑問を感じている。少なくとも夫は自分の小説が書籍化されたり、投稿サイトで賞を取れるレベルのものではないとは、十分に分かっていた。


「よくやるわね。睡眠時間削ってまで」

「いいんだよ。世の中には寝るよりも大事なことだってあるんだ!」


 妻は、またこの人のカッコいいだけで中身のない名言もどきが出たわ、となかば聞き流した。


「それで、それがどうしたのよ」

「物語を書いてて行き詰ってたんだよ。そのまま寝落ちしちゃったみたいで。気が付いたら午前2時すぎだったんだ。そしたらさ…… 」

「そしたら?」


 夫はここまで声をひそめて喋っていたのを一転して、突然大きな声を出した。


「出たんだよ!」

「キャッ!もうっ!びっくりするじゃない!いきなり大声出さないでよね!」


 妻は夫の大声にかなり真剣に驚いてしまう。


「あなた、そういう驚かせ方の勝負がしたいわけ?」

 

 怒気を含む声で妻が聞いた。


「いやいや悪かった。そういうのじゃないんだよ」

「やだ!もう聞かない!」


 妻はふくれ面で横を向いた。


「ごめんって。その先を聞いてくれよ。2時過ぎにふと目を覚ますとさ、水色のベレー帽をかぶった女子大生ぐらいの女の子がいてさ」

「……まじ?」

「いや、俺もびっくりして、『誰だ、おまえ!』って言ったんだよ。そしたらその女の子がこう言うんだ」


――― 私は、お手伝いAIのリンドバーグ。バーグで結構です。お手伝いAIが理解できなかったら、物語の妖精とでも思っていただければ、だいたいそれで合っています。


――― ご主人、あなたの物語、いつも読んでますよ。正直、上手いとはとても言えませんけどね。どちらかというとカスの部類に入りますね。


――― でも、あなたの物語に一貫して流れる奥様への愛だけは評価していますよ。


――― けどですね、だからって奥様があなたを愛しているとは限らないんですよ?


――― それをあたかもあなたも愛されているかのように物語の中に書くのは、私以外にも数名ぐらいはいるであろう読者の人たちに対して不誠実なんじゃないですか?


――― 物語がすべて真実である必要はありません。少しはあなたの歪んだ願望が混じるのも仕方ないでしょう。


――― しかし、ですよ。物語を紡ぐ心は正直なんです。あなたの歪んだ願望をあたかも真実のもののように偽って書こうとした時、あなたの筆は止まってしまうのではありませんか?


――― 今、あなたが物語を書くことに行き詰っているのは、奥様の真実の心から目を背けているからではないですか?



「……女の子はそれだけ言うと、煙のように消えてしまったんだ」

「それ、ホントなの?あなたが寝ぼけてたんじゃないの?」

「そうかもしれない。けど、俺は今まで、おまえが俺を愛していることを疑ったことなんてなかった。でも、それはホントなのかなと思っちゃったんだ」


 夫は妻を正面から見据えて、懇願するように尋ねた。その声には悲壮感さえ感じられる。


「なあ、正直に聞かせてくれよ。おまえ、俺と一緒になってホントのところ、どうなんだ?」


 夫は真剣な面持ちだった。妻はなにバカなこと聞いてるのと言いたげに鼻を鳴らした。


「あなた、やっぱり割とバカなのね。まったく。私のターンに行っていい?」

「いや、その前におまえの気持ち……」

「いいから、聞きなさいって。私ね」


 妻は夫の言葉をさえぎって力強く告げた。


「赤ちゃん、できた」


 夫は妻の言葉に静止する。その意味するところに理解が追いつくまで45秒の時間を要する。


「だから、あなたね、お父さんはもっと強くならなきゃダメでしょ?そんな妖精のたわごとなんかに惑わされててどうすんのよ」


 妻は一言一言じっくりと言い聞かせるように夫に話した。


「……まじ?」

「まじに決まってるじゃない。ぼやぼやしてると赤ちゃんにもバカにされるわよ?」

「男の子?女の子?」

「あなた、ホント、バカね。それが分かるのはもっと先よ。ふふふ」


 妻は呆れながらも微笑んだ。


「ちなみに、私は男の子がいいかな。活発だけど、人々の心の中に封印されている物語を小説にしちゃうような、少し不思議な、あなたのような男の子。あなたはどっちがいい?」

「いや、そりゃ、女の子の双子に決まってる。天然ボケで大食いのお姉ちゃんと、おしゃまでいたずら好きでちょっと生意気な妹。そういう双子の女の子以外はあり得ないし、受け付けない」

「なんなのよ、その無闇やたらに詳細なキャラ設定は。そこまで責任持てないわよ!」


 夫は妻の話を最後まで聞かずに立ち上がると、エプロンを付けてキッチンへ向かう。


「おまえは座っとけよ。これから当分勝負はナシ。休日の夕食は全部俺が作る!」


 今日のメニューはとんかつとじゃこおろしとあらかじめ決まっている。


「じゃあ私、大根おろしておくわね」

「ダメだ!お前はテレビでも見てろって。双子ちゃんになんかあったらどうするんだ!大根おろしなんて俺が3本まとめてやっとくから」



 早くも頭の中に双子の娘をイメージして夫は妙に張り切る。


(そんなにたくさん大根いらないわよ。やっぱりこの人少しバカね)


 妻は肩をすくめた。


「……名前何にするかなあ。オーソドックスなのがいいなあ」

「あなた、先走るのもたいがいにしなさいよ」


 妻の諫めは舞い上がってお花畑状態の夫には届くはずもない。


 夫婦に生まれる子供が果たして男の子なのか、女の子なのか。

 それはまだ誰にも分からない。



おわり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とある夫婦のフェアリーテイル  KAC10 ゆうすけ @Hasahina214

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ