89 家庭

「ちなみに先生は……それがあるからずっとお一人で?」


「あ?」


「万一の時に檜垣さんのご家族を引き受けるために独身主義をつらぬこうと……?」


「バカ。俺がそんなお人よしに見えるか?」


「……見えませんね」


「正直だな」


 笑いまではしなかったが、新藤は檜垣家の子供たちに接する時と等しい程度には相好そうごうを崩した。放っておけばすぐにまた仕事の話になってしまう。一希は何か話題をと考えた。


「独身は別に主義じゃない」


 ぽつりと呟かれて我に返る。


「え? あ、すみません、差し出がましいことを……」


 檜垣の子供たちと接する新藤を見ていると、この男が師匠であることを忘れそうになる。


「お前はどうなんだ? 檜垣んちとか、世の家族を見てて家庭に憧れたりはしないのか?」


「まあ、いいなとは思いますけど……」


 補助士の仕事を諦めてまで家庭に入ろうと思えるだろうか。かといって、果たして両立が可能かと問われれば、はなはだ疑問だ。


 色気のない作業服を着、大量の工具を積んだかわいげのない車で出かけていき、命の危険をおかして爆弾をいじり、爆薬の匂いと土埃つちぼこりにまみれて帰ってくる。そんな嫁を欲しがる男が一体どこにいるだろう。一希の喉から、禁断の一言があやうく飛び出しそうになっていた。


(じゃあ先生、もらってくれますか?)


 相手が処理士ならありかもしれない。一希がほぼ諦めていたこの職業と結婚の両立という選択肢に幾ばくかの可能性を見出し始めたのは、たまたま惚れた男が処理士だったからだ。しかし、今ここでそんな胸の内をさらけ出すのはルール違反。何とか本音を飲み込み、冗談めかして言った。


「今さら、私には見込みがないからさっさと嫁に行けとか言わないでくださいね」


 新藤はまばたきだけを返した。二度、三度。四度目とともに、車が赤信号で停まる。


「見込みがない人間を二年も置いとくようになったら、俺もいよいよ終わりだな」


(二年……)


 この暮らしにいつ終わりが来るのか。その問いが再び頭をもたげる。


「まあ、結構な重圧ではあるだろうな。自分が死んだ後のことをあれこれ考えなきゃならんってのは。家庭人になって、残していく人間を持つってのはそういうことだ」


 あなたにもいます、と一希は思った。後に残されて悲しむ人間は、あなたにも。


「なんか私たち、縁起悪い話しちゃいましたね。芳恵よしえさんに怒られちゃう」


「縁起なんか気にしてたら、この仕事はとても務まらんぞ。俺たちがここで何をしゃべろうと、檜垣が死ぬ確率は変わらん。お前も、お守りだのまじないだの、縁起を担ぐような真似はやめとけ。一度でも欠かせばそれに引きずられて集中力を乱される。マイナスにしかならん」


 迷信のたぐいを簡単に無視できない一希にとって、これは価値ある忠告だった。処理士や補助士が頼りにすべきは、自分と仲間の技術だけなのだ。


「明日、何か私にできることは……」


「残念ながらお前は立ち入り禁止だ。うちで電話番してろ」


 一希はごくりとつばを呑んだ。それはつまり、上級補助士が下見の見学すら認められないほど危険な等級だということになる。


「クラス四、ですか?」


「六だ」


(……六!?)


 教本では、カルサでも比較的実例の多いクラス一から三までは、全体的な外観と各部の状況がよくわかるカラーの近接写真数枚で紹介されていた。


 それがクラス四になると、爆破処理の様子を望遠で撮影したらしきものになり、クラス五は処理後のパーツを並べただけの白黒写真、六と七は図面のみだ。写真資料が入手できないほど珍しいその二つの型は、一希や他の生徒たちにとって、理論上の存在にすぎなかった。


「俺も研修で実物大の模型をいじったきりだからな。本物を拝めるとは光栄だ」


 その表情に不安は微塵みじんも感じられない。一希が何よりも憧れる、プロの顔だった。

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