19 入居

 噂の威力を甘く見ていた。一希が学校を中退して住み込み修業を始めるという話は、早川技術訓練校の職員室を起点として瞬く間に町中を駆け巡り、在校生はおろか、高校の同級生までもが知るところとなった。


 女だから潜り込めたのだ、三十を過ぎて未だ家庭を持たぬ自由気ままな不発弾処理士が私的な意図を持って連れ込んだに決まっている、と陰口を叩く者は後を絶たないらしく、一希の元には数人のから「気にするな」という励ましが寄せられた。しかし、彼らとて果たして祝福ムードかといえば、その本心はうかがい知れない。


(気にしてたまるもんですか。新藤先生に後悔されないようにしっかり頑張らなくちゃ)




 引っ越し当日には、相変わらず埃にまみれたブルーの軽トラが学生寮に横付けされた。


「新藤先生、お迎えわざわざありがとうございます。今日からどうぞよろしくお願いします!」


と、一希は改めて頭を下げる。新藤は一瞬立ち止まり、「ああ」と答えただけで、スタスタと寮の入口に向かう。荷物は昨晩のうちに玄関に揃えてあった。


「これか?」


「あ、はい」


と、一希が応じるが早いか、新藤の手が箱の一つをひょいと持ち上げる。


「あ、すみません、私やりますから……」


「ボーッと待ってろとでも言うのか? ほら、早くしろ」


「は、はい」


 これから居候させてもらう身で、荷物まで運ばせるなんて申し訳ない。一希は、新藤を追い越すようにして小走りで他の箱を次々と軽トラに積んでいった。


「走れとは言ってないだろ。転ぶなよ」


「はい、大丈夫です!」


 こういうことも仕事に必要な体力作りのうち。そんな心境で一希は懸命に荷物を運んだ。


 お陰で積み込みはあっという間に終わり、早朝のうちに新藤宅に到着。車から降りると、荷台の荷物を新藤はまたしても当然のように運び始める。


「あ、すみません!」


 一希も慌てて他の段ボール箱を抱え上げ、後に続いて母屋に入る。打ちっぱなしの土間から奥へと伸びる板の間の廊下に、新藤は土足のまま上がっていく。一希は一瞬躊躇したが、もたもたしているわけにもいかないのでそれにならって靴のまま後を追った。


 荷物を奥の部屋に下ろし、車へと戻りながら、処理室の扉の前で一希はつい足を止めた。玄関から新藤が振り返る。


「中を見たいか?」


「あ、でも、初級未満は立ち入り禁止じゃ……」


「お前が立ち入ったら俺の首が危ない。だが、見ちゃいかんとはどこにも書いてないぞ」


「あ、そっか」


 新藤はポケットから鍵を出し、一希にとっての夢の扉をあっさりと、いや、ガコン、と重々しく開いた。微かに爆薬の匂いが漂う。


 中を覗くと、そこは灰色一色の長方形の部屋。十五畳ほどあるだろうか。中央には小学校の理科室を思わせる作業台が二つ。出入口はこちら側に二つと反対側に一つ。つまり、直接外に出られる造りだ。


 壁には土間にあるものよりもさらに頑丈そうな棚があり、工具の他に堂々とオルダの子爆弾の部品が並んでいる。


「あれ、本物……ですよね?」


「ああ。外に出てるやつは全部処理済みだ。未処理の分は台の下に入ってる」


 なるほど、作業台の側面に扉が付いている。


「好き好んで触らなくても、地震だの火事だのがあれば爆発しないとも限らんから、なるべく長くは保管しないようにしてるんだが」


 この処理室自体が防護壁の役割を果たしているわけだが、万一爆発が起きれば、子爆弾とはいえ少なくとも室内には相当な被害が及ぶはずだ。


 壁には防爆衣ぼうばくいが二着吊るされている。


(そっか、お父様の時から使ってるんだもんね)


 作業台が二つあるのもそのためかと合点がてんがいった。


 新藤が早くから父親の英才教育を受け、修業のかたわら大学に通い、在学中に上級補助士の資格を取ったことは、専門誌のプロフィールにも書かれていた。オルダの解体についてはきっと、ここで隆之介から直接指導を受けたのだろう。


 一希の胸の内を察したように、新藤が言う。


「自慢の処理室だが、俺が作ったわけじゃない。もちろん協力はしたが」


「協力っていうのは、具体的な設計とかの部分ですか?」


「まあそれもあるが、主に交渉の方だな」


「交渉?」


「各所から許可をもらったり、施設管理の制度を確立するために話し合ったりってとこだ」


「むしろメインじゃないですか。お父様、それだけ先生のこと買ってらしたんですね」


「いや、逆だ。人間を相手に事を進めるのは俺の苦手分野だったからな。克服させるのにいい機会だと思ったんだろう。まだ学生の頃だったが、お陰で根回しに懐柔、譲歩、いろんなことを学んだ」


 父親に鍛えられる新藤の姿は、一希には想像がつかなかった。


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