居酒屋 橙ningのレシピ

橙 suzukake

第一夜 “はりはり漬け”

 此処、居酒屋 だいningは、ある田舎街の中の、繁華街からも離れた、ある小さな辻にひっそりと佇んでいるお店である。

 

 この店には、のぼり旗もなければ、電飾の看板もなかった。行列なんてできたことがないから、待合席もなければ、店内には電話すらなかった。ただあるのは、「居酒屋 橙ning」と筆で書かれた赤じゃない肌色の大き目の提灯に、同じく店の名が橙色に書かれた藍色の暖簾だけだった。

 カウンター席が数席と小上がりがひとつだけの小さな店で、地元情報誌に載ったこともなければ、ましてや、クーポン券も存在しなかった。

 地元の馴染みの客がほとんどで、馴染みの客が連れてくる知り合いや、友達がいつしかまた馴染みになっていく、そんなお店だった。


 この店で夕食代わりの料理をいただく者も少なく、ほとんどの客は自分の家で晩酌と夕飯を済ませてから来るか、夕飯前に一杯引っ掛けていく者ばかりだった。

 だから、この店には肴はあっても、料理らしい料理はほとんどなかった。注文は、カウンター席の横に掛けられている小さな黒板にチョークで書かれている“お品書き”を見てする。だけど、その種類は少なく、変更も追加もほとんどないから、店に入ってくる客は、席に座るか座らないかのうちに酒の種類と好みの肴を注文した。

 まさに、屋台が少し大きくなって、横壁とお手洗いがくっついているような店である。


 時には、“間違って入ってきた客”に「料理は、これしかないのか!」とクレームを付けられることも度々あったが、笑顔で丁重にお断りをしてわかってもらっていた。また、そんなときは、カウンターに座っている馴染みの客が「この店にはこれしかないのを知っててみんな来てるんだよ」と声を出すこともしばしばだった。

 

 この店をきりもりするマスターは、いたってどこにでもいるような普通の様相の男で、馴染みの客が大半だというのに、“他人以上お隣さんの家未満”のような接し方で応対した。馴れ馴れしく名前やあだ名を呼ぶこともなく、かといって、他人行儀にクールに振舞うわけでもなかった。 “一見さん”も常連さんも分け隔てなくあたたかく接客する、そんなマスターだった。

  

 この店の一風変わっているところがもう二つある。

 ひとつは、この店で出される肴のレシピやネタの出所を教えてくれるところだ。簡単な調理は、口頭で。覚えるのが難しいものは、マスターがわざわざ紙に書いて持たせてくれる。このレシピ通りにつくれば、自分の家でもこの店と同じ味を楽しむことができる。

 少し前に、マスターにつまびらかにレシピを教えてくれるのはなぜか聞いてみたことがある。すると、マスターは静かにこう言った。

 

「私は、他の誰かと競争しているわけでも、伝統を守っているわけでもないんです。この店で私がつくるものを美味しく食べていただくのなら、それだけでいいんです。むしろ、美味しくてつくってみたいものがあるのなら、私は、お客さんにレシピを聞くことだってあるんですよ」


 現に、僕はマスターからいくつかのレシピを聞いて、家で作ってお店同様の味を美味しくいただいたことが何度かあった。だけど、不思議と、この店でいただくほうが家で食べるよりも美味しく感じて、ついつい、同じものを此処で頼んでしまっている。

 もしかして、“お店”ってそういうものかもしれない。


 もうひとつは、どちらかというと和風の店であるにもかかわらず、店内に流れるBGMに節操がないことだ。演歌、歌謡曲からロック、ポップス。洋楽ロックからジャズ、クラシックにいたるまで、なんでもありなのだ。これも、マスターの「こだわりの無さ」という“こだわり”の一編であろうか。

 お店にCDを持ち込んでリクエストするのもOKで、僕は、最近、ユーミンの曲をリクエストして日本酒をいただくことが多くなっている。


 今夜は、熱燗に、肴は、はりはり漬けをいただいている。

 ぱりぱりした干し大根とぬめっとしたスルメの食感のコラボレーションが口の中で踊る。

 これをいただくと、お酒が潤滑油の役割なのか、はりはり漬けの方がお酒の喉の通りを良くしているのかわからなくなって、そして、それを確かめるべく、箸とお猪口が同時に進んでしまう。



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【居酒屋 橙ningの“はりはり漬け”レシピ】

<材料(30cm×10cm×8cmのタッパ分)>

 ・はりはり(干し)大根50~100g

 ・スルメ(身)2枚

 ・数の子 適量

 ・昆布 適量

<つくりかた>

 1.はりはり大根は、5mm~7mmくらいでなるべく小さく切る。

 2.温湯でもみ洗いして水切りする。

 3.水気をよく絞って、酒で一晩くらいつける(軽い重石をすると少量の酒でよい)。

 4.スルメは、さっと洗い、3cmくらいの長さで細切りする。

 5.数の子は、塩出しする。

 6.昆布は、スルメと同じ長さで細切りする。

 7.一晩つけた大根と、スルメ・数の子・昆布を調味料でタッパに入れて軽く重石をする(4~5日で食べられる)。

<調味料のつくりかた>

 みりん(約2分の1カップ)と酒(2分の1カップ)としょう油(1カップ)を煮立てて冷ましておく。


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【居酒屋 橙ningで流れていたBGM】

「瞳を閉じて」荒井由実

 https://www.youtube.com/watch?v=ycj99A-zQLE



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