cent huit
これ以上無い贅沢な夕食を頂き、アルコールを摂取して休憩を取るためだけのお部屋に案内された私は、またしても驚きを隠せずにいた。
「これが休憩するためだけのお部屋なの?」
「みたいだね、僕もここまで豪華とは……」
だってこの部屋ほぼ最上階で城址公園が一望出来て、しかもお風呂まで付いちゃってる。多分マジックミラーだろうから中は見えないだろうけど、凄過ぎてもう言葉が出ない。
「でも折角ご用意してくださったんだから利用させて頂こう、早速だけど露天風呂入らない?」
「うんそうだね……」
私は今映っている光景が夢見心地過ぎて全く付いていけていない。一体どうなってるの? もう考えること自体やめてしまった方が良さそうな気さえしてきた。
「さすがに混浴にはしていないよ、それだと僕も変な緊張をしてしまうから」
「……」
「それと着替え……下着もあるんだ」
「えっ?」
多分彼のことだからサイズとかもきっと憶えてくれてるんだろうなとは思う。ただよく男性一人で下着売り場へ……。
「さすがに一人では行ってないよ、女性の同僚にお願いして一緒に入ってもらったんだ」
彼はちょっと恥ずかしそうに頭に手をやっていた。普段は何をしてもスマート過ぎるのに、たまにこういった一面を見せてくれると彼も人の子なんだなと可愛らしく見えてくる。
「そんなのお願いして付いてきてもらえるの?」
「その方はたまたま……『恋人に買ってあげるの?』で納得してくれちゃった感じ」
そっか、確かに私を驚かせてまで温泉の予約までしてくれちゃって、多分そんな用意なんてしてないだろうと踏んでここまでの準備をしてくれたんだよね?
「ここまで準備するの大変だったでしょ?」
「そんなこと……下着はちょっと大変だったけど、それでも君にとって素敵な一夜を提供したくて」
「うん、ありがとう。ただ下着とかは困るだろうから、必要な時は事前に言ってくれると嬉しいかな」
「次からはそうするよ」
彼はほっとしたように白い歯を見せて笑った。もしかしたら私が怒るのも覚悟した上でここまでの用意をしてくれたのかな? でも待てよ。
「これ、どうやって持ってきたの?」
そう言えばフロントから直接割烹料理店に入ってるはずなんだけど。
「車を駐車してもらったでしょ? その時にここに入れてもらうよう頼んでおいたんだ」
そう言えば出迎えてくれた男性従業員さんに車のキーを渡してたな、料理店からここへ移動する時に鍵受け取っていたのを思い出した。
「もう疑問点は無い?」
「うん、大丈夫」
「じゃ、行こうか」
私たちはアメニティグッズ、浴衣、下着、貴重品を持って一階にある露天風呂に入った。
露天風呂は誰もおらず貸切状態だった。ロッカーに持ち物を入れて……っとその前に頂いたばかりの下着どんなのなんだろう? と思って袋の中を覗いてみる。クリームイエローのブラジャー、ショーツ、キャミ……いやスリップだなこれ。さらっさらの生地で高級感は溢れているんだけど、なぜにいつも黄色なんだろうか?
我が家では母だけがクリスチャンだった。これはあくまで母の信仰によるものだけど、『黄色は裏切りの色』だそうで必要以上は身に着けていなかった。その影響かどうかは不明だけど、五条家四きょうだいは揃いも揃って黄色のものをほとんどチョイスしない。私は肌が浅黒いので黄色は決して似合っている色だとは思えないんだけど、彼は『君のメージにぴったりだ』とよく言っていたと記憶している。
私自身黄色は格別好きな色ではないのでそれならばオレンジを選ぶ。母も『太陽の色』だからと好んで使っていた色の一つだった。参考までに言えば明るめの青か藤色が好きなのだが、『君の内にある愛らしさが出ない』と言われたことがあり、デートの途中で服を総入れ替えしたこともあった。
彼は処分しようとしたけれど、その服は姉からの誕生日プレゼントだったのでそれやめてと泣いて死守した覚えがある。それを見ていた店員さんが仲裁してくださり、他店で買ったものであるにも関わらず丁寧にたたんで袋に入れてくださった。
それ以来そのお店は今でもたまに利用する。当時の店員さんは別の店舗に異動されたけど、いつも丁寧に接客して頂けるので姉妹共々お世話になっている。
「う〜ん」
私は新品の下着を前にして一人唸っていた。正直これ好みじゃないし……そう思ったら親切でしてくれたことだとしても何だか気味悪くなってきた。それに明日は決算で休日出勤だ、こんな所で油売ってる場合じゃない。
「今ここにいるのマズイかも」
私は風呂に入ること無くここを出る決断をしたが、部屋の鍵は彼が持っていて手元に無い。ただ幸い家から出た際に持ってきたものは全部ここにある……う〜ん申し訳無いけどそれ以外のものは置いてってしまおう。そうと決まれば何食わぬ顔で旅館を出た私は、入り口前にタクシーが停まっていたのでドアをノックしてから運転手さんに声を掛けた。
「すみません、乗っていいですか?」
「構いませんよ、どちらまで?」
と振り返った運転手さんはいつぞやの彼であった。
「○○市までお願いします」
彼は覚えていないだろうと思って素知らぬ顔で行き先だけを告げる。
「かしこまりました、お久し振りですね」
「あっ……あの時はご迷惑お掛けしました」
ちょっとばかりばつ悪い感じだったけど、とにかくバレぬうちにいなくなってしまおうと車内に乗り込んで○○市まで向かってもらうことにした。
「そう言えばあのプラパン、ハンドメイドですか?」
彼はあのプラパンのことまで覚えててくれていたらしい。私はバッグにぶら下がっているそれを触りながらえぇと答えた。
「器用なんですね」
「姉が作ってくれました。中学時代からずっと持っているんです」
「物持ちが良いんですね、無くなったりしませんか?」
そう言えばこれ大学時代に何度か無くなってるけど何故か必ず戻っってきた。サークルでハイキングをした時、途中の休憩所でトイレに寄った五分ほどの間に忽然と消えたことがあった。その時明生君に荷物を預けてたんだけど、トイレに入る前はぶら下がっていたのに変だな?と思った。
問い質しても『見なかったよ』って返事だったので勘違いってことにしたけど、ハンカチ出す時に確認してるというか、ポッケのファスナーに付けてたんだから明らかに触ってるんだよね。彼が気付いてなかった可能性は否定できないし、弾みで落ちちゃったかも知れないから取り敢えず近辺を探してみたけど見つからなかった。
「でも何故か必ず手元に戻ってくるんです」
そう言えばどうやって戻ってきたんだっけ?
「そういうのは大事にされた方がいいかもですね」
『こういうのは無くなるのが必然なんだからむやみに付けない方がいいよ。探す手間も出るし、皆にも迷惑かかっちゃうでしょ?』
「あまり付け歩かない方がいいかもですね」
「いえそう意味ではなくてですね……」
「えっ?」
あれ? もしかして噛み合ってない受け答えした?
「お客様にとって大事な物なのでは? って意味ですよ。一心同体的なところがおありなんだと思います」
「あっ、そういう意味でしたか」
私は何を聞いていたんだろう? たかだか二度ほどしかお会いしてない方がそんな言い方するはず無いのに。そこで会話が途切れたので思考があの時に向かっていた。確か結局見つからなくて諦めて下山したんだけど、一時間くらいしてからA大学の男の子が……。
『これ、落ちてましたよ』
ほとんど見覚えが無かったから多分当時一年生の子だったと思うけど、凄く背が高くて黒縁のメガネ掛けてて頭良さそうな子だったんだよね。それがきっかけでちょっと喋る程度には仲良くなったんだけど……。
「あっ」
「どうされました?」
「いえ何でも無いです」
おっと思考と言葉が直結してしまったわ。
「もうじき着きますよ、ご自宅まで行きましょうか?」
「いえ、駅までで大丈夫です」
「分かりました」
それから大体十分後、自宅最寄り駅に到着したのでそこからは歩いて帰ることにした。
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