trente-sept

 「……う? 五条?」

「……?」

 私ははっと我に返って辺りをきょろきょろしてしまう。ここはどこ? 私は……五条夏絵でございます、ではなくメグさんとこのブースにいたはずなのに、何故か会場のすぐ出た場所に設置されてるベンチで横になっていた。あれ? 何で?

「気分はどう? なつ姉ちゃん」

 冬樹が心配そうに私の顔を見つめてくる。何だかよく分かんないけどもう大丈夫だよ。取り敢えず体を起こそうとすると冬樹がさっと支えてくれた、たまには頼れるじゃない弟よ。

「はいお水、脱水症状でも起こしたんじゃない?」

 私の体を支えながらすっとペットボトルのお水を差し出してくれる冬樹。私はそれを受け取って一口飲むと体内に水分が染み込む感覚を覚える。出る前にお茶飲んだのに脱水症状?

「朝出る時コーヒー残したでしょ? 水分が体内に吸収されるのって結構時間掛かるんだよ」

「そうなんだ……ひょっとして倒れたの? 私」

「あぁ、まぁな。へばったって感じらしいけど。俺らちょっと離れた場所におったから内海の声聞くまで気付かんかった」

 郡司君は申し訳なさそうに私の顔を見てくる。そんな顔しないで、謝るのはこっちなんだから。こんな所で意識を失うなんて我ながらやわっちい事をしでかしたものだ。

「何かごめんなさい、変な心配掛けちゃって……」

 ん~、心なしか体がダルい。そう言えば有砂とげんとく君は?

「内海なら救護室医者呼びにに行ってる、大谷は救急車呼んだからって入り口で目印になってる」

「はる姉ちゃんとあき兄ちゃんにも連絡したよ、一応緊急事態だからね」

 みんな心配しすぎだってば、救急車だなんて大袈裟な。

「少し休めば大丈夫だって」

「ならええけど、せめて医者には……」

「ほら急いでよ先生! そこのベンチに寝かせてるから!」

 と有砂の切羽詰まったような声が聞こえてくる。その方向に顔を動かすと、掛かりつけの診療所の医師である卯乃澤うのざわ先生が有砂に腕を引っ張られてこちらに走ってきた。先生結構なご高齢なんだから無茶させないでよ、私はそっちの方が気になってしまう。

「はぁっ、はぁっ……じいさんに無茶させんでくれ。ん? 珍しい事もあるもんだな」

 自分でも驚いてます……病院には何年かに一度かかればいい方の私がこんな形でへばってるなんて普段じゃ想像出来ないと思う。

「ちょっと水分不足だったみたいです」

「それを診るのがワシの仕事だたわけが」

 卯乃澤先生はそう言いながら目の下の裏面の粘膜を診たり首筋を触ったりした。それから問診が始まり、へばった時の状況はほとんど有砂が説明してくれた。

「最近仕事で大きな変化は無かったか?」

「う~ん、内容はそこまで……」

「残業増えたよね? なつ姉ちゃん。ここ二~三ヶ月最低一時間は遅いじゃない」

 確かにそうなんだけどそれはみんな一緒じゃない、今回の理由になるのかな?

「ん~……肩の張りがキツイのと貧血の症状が出てるから、恐らくオーバーワークが原因だろうな。念の為大きいとこで検査しておいた方がいいぞ」

 先生はバッグから紙を取り出して何やら記入を始める。

「げんとく君が一一九してくれたからもうじき救急車が来るよ……あっ! はる姉さんこっちこっち!」

 えっ! お姉ちゃんもう来たのっ? ってことは国分寺先輩も一緒だよね? あ~こんな姿見せたくないよぉ。私は何とか心配させたくなくてすっとベンチから立ち上がり、駆け寄ってくる二人組に手を振った。

「コラッ! 無茶すんなバカモンが!」

「大丈夫ですよ先生……アレ?」

 私の視界がグラっと揺れ、砂嵐のようになってどんどん霞んでいく。

「なつっ!」

 姉が私の名前を呼んでいるのが聞こえたのを最後に意識はぷっつりと途切れたのだった。


『ここに居たんだな』

 何故か今の姿の私が一人高校の図書準備室にこもっていたところに、これまた先日遠目で見掛けたスーツ姿で先輩が一人でふらっと現れた。

『えっ、えぇ……』

『んじゃ今話せるか?』

 彼はそう言って向かいの椅子に座った。きっとまた姉の事だ……そう思って自分から話を切り出そうとしたけど上手く声が出てくれない。

『俺、読書愛好会辞めることになった』

 えっ? 何で今になってそんな事言ってくるの?

『親にバレたんだ、部活動はしないって条件でここに通ってたから。クラブ活動だし活動そのものも毎日じゃないから大丈夫だと思ってたけど甘かったよ』

 独り暮らしだったから上手くいくと思ってたのに……先輩は諦めたようにため息を吐いた。

『あいつら俺からどんどん居場所を奪っていく、普段俺が何を考え何を思ってるかなんて興味無いくせに勝手なもんだよ。けどそれに太刀打ち出来るだけのものが無い、結局は言いなりになってるだけの自分自身がもどかしかった』

 先輩の口調は高校時代よりも少し大人になっていて、知らなかった内容も含まれていた。先輩がご家族と同居なさっていない事は知っていた。けどご親戚宅にお世話になっていると聞いていたのでまさか独り暮らしだったとは考えてもみなかった。このシチュエーション自体夢の中の世界だ、その自覚はあっただけにどこまで真実なのか判別出来ない。

『たとえあの時春香さんに思いを伝えても上手くいってなかったよ、どう考えたって社会人と高校生じゃ釣り合わない。それでも彼女の事はずっと忘れられなくて似たようなタイプの人間と付き合ったりもしたけど、どれもこれも長続きしなくて自己嫌悪が積もっていくばっかだった』

 私は先輩の顔をじっと見つめる。あの時みたいに一方的な八つ当たりをして下を向くなんてことしたくなかったから。

『先輩……?』

『もう少しだけ話続けてもいいか? あの時みたいにいきなりショッキングなこと聞かされるのは正直堪えるからな。でも、あれはあれで良かったんだろうなと今となっては思うよ』

『ごめんなさい……私あの時先輩のこと好きだったんです。だから姉に嫉妬してました』

 今更だけどやっと言えた……夢の中でだけど長年くすぶっていた想いを口に出せたことで私の心はようやく軽くなったような気がした。

『ごめん、気付かなかった。ただ俺男しか好きになれないから五条はずっと妹なんだよ』

『はい、存じてます』

 私たちは十三年ぶりに向き合って笑顔を見せた。先輩の笑った顔は十三年経っても惚れ惚れする格好良さだ。

『俺はこの先春香と生涯を添い遂げたいと思ってる、十三年振りに再会して、彼女への気持ちが当時のまま残ってることを思い知ったから後悔したくないんだ』

『私たちきょうだいが認めないって言ったらどうします?』

 ちょっと意地悪な質問だったかな? でも先輩の本心(かどうかは分からないけど)を聞いてみたい気持ちが沸々と湧き上がっていた。

『申し訳無いけどかっさらうよ』

 その笑顔には覚悟がこもっているように見えた。この恋は姉と先輩のものだ、いくら家族だからって私たちの入る隙間なんてこれっぽっちも残されていなかった。

『姉のこと、宜しくお願いします』

『一生大事にします』

 私は姿勢を正して先輩に一礼した。

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