スマイリーさん
「あ、来ました来ました、アグレッサー!」
その日の夕方、ハンガー前で空を見上げていると、基地上空にいつものグレーの機体とは違う色合いのイーグルが姿を現した。緑と黒で塗装された迷彩柄の機体。飛行教導隊のイーグルだ。
「おお、本当に来たな。てっきり当日だけ上を飛んで、そのまま帰投するんだと思っていたのにな」
着陸態勢に入った機体に、私の横に立っていた
「ですよね。私もびっくりです」
今週末はこの基地の航空祭。
この基地にはF-15イーグルの飛行隊がない。だから展示飛行や地上展示には、他の基地からイーグルが何機か派遣されてくるのが常だった。
そして今年はなんと、通常のイーグルとは別に、
「当日は盛り上がりそうですね」
「そうだな。そう言えば、あれのパイロット、元は
「はい。私よりも先に異動で三沢基地から離れたので、顔を合わせるのは久し振りです」
私が三沢基地で整備を担当していたF-2。それに搭乗していた
噂によると、異動の半年ほど前に来ていた教導群の隊長である、
「あ、
バックヤードから出てきた白勢一尉に声をかける。一尉は私達の横に立つと、着陸しようとしている機体に目を向けた。
「来たなあ。あの機体、但馬一尉だろ?」
「よく御存知で」
「こっちにくる直前の教導で追い回されたんだ。あの静かに忍び寄る飛行とねちっこさは、ちょっとしたトラウマものだったなあ」
アハハと一尉が笑った。
「そうなんですか?」
「ああ。しかも、後ろにつこうとしてもあっという間にかわされて、逆に後ろをとられたら引き剥がすのが容易じゃない。お蔭で、うちの飛行隊の連中のプライドはペチャンコだったよ。あれのどこがスマイリーなんだって、
まあ相手はコブラなんだから仕方ないんだけどねと、一尉が溜め息まじりに笑う。但馬一尉のタックネームはスマイリー。そう言えば三沢基地でも「お前はスマイリーを名乗るな!」ってよく言われていたっけ。
「但馬一尉の動きはおっかないって、三沢でも言われてましたよ。お前は絶対にスマイリーなんて平和な存在じゃないから、タックネームを変えろって」
「それ、俺も同意見だ」
そんな一尉の言葉を聞きながら、さすが教導群からお声がかかるだけのことはあるんだなと、改めて感心する。そして、そんな凄いパイロットが搭乗する機体の整備をしていたことが、ちょっぴり誇らしい。
「なんだか嬉しそうだね、浜路さん」
一尉がちらりとこっちを見下ろして言った。
「そりゃあ、同じ飛行隊に所属していたパイロットが褒められたら、嬉しいに決まってるじゃないですか」
「ふーん」
なんだか微妙な顔つきをしている。
「なんですか。白勢一尉だって、同じ飛行隊の人がそう言う風に言われたら嬉しくないですか? 自分だってそのパイロットと一緒に飛んでいたんだぞって。私の場合は、整備していたんだぞってやつですけど」
「確かにね。ま、今回は気楽に迎えられて良かったよ。さすがに操縦課程のF-2やブルーのT-4相手に、模擬空戦をしようなんて話にはならないだろうから」
「いやいや、それがどっこいなんだ」
赤羽曹長が真面目な顔をして口をはさんできた。
「え? それってどういう?」
「明日の午前中から、不穏なオーダーが入ってるって、管制隊が大騒ぎだぞ」
「それってまさかの?」
「まさかの、皆でアグレスさんと飛ぼう!だと思う」
「ええええ……」
そりゃあ、航空祭当日まではまだ時間がある。事前訓練の他に飛ぶ計画を立てていたとは、但馬一尉もなかなかあなどれない。
「俺、ブルーのライダーで良かったって、心の底から思う」
「一尉がそうまで言うってことは、よっぽどだったんですね、教導」
「ああ、よっぽどだったんだよ」
私の言葉に、白勢一尉は真面目な顔をしてうなづいた。
+++
「お久し振りです、但馬一尉!!」
エンジンの
「やあ、久し振り。そうか。浜路さんはここに配属になったんだったね」
「そうですよ。でもひどいな、但馬さん。一年ちょっとしか経ってないのに、顔を忘れられちゃったみたいでショックです、私」
「すまない。いきなり声をかけられて驚いてしまって」
困ったような笑みを浮かべて、後ろから降りてきたもう一人のパイロットに顔を向けた。
「俺の相棒の
「はじめまして。浜路三等空曹です!」
敬礼をして挨拶をすると、立木二尉もニッコリと微笑んで敬礼をしてくれた。
ブルーインパルスとアグレッサーは、まさにコインの裏と表のような関係だ。人々の前で曲技飛行を披露し、広報活動をするブルーインパルスに対して、アグレッサーは空自パイロット達の技量向上のために、裏方に徹する飛行部隊。最近になって、こんな風に航空祭で脚光を浴びるようになってはいたものの、あくまでも彼等の任務は、航空自衛隊の戦闘機パイロット達の技量向上を支えることだった。
そんな飛行教導群のパイロットが、二人も目の前に立っている。しかもその一人は、かつて自分が整備していた機体で飛んでいた人なんだから、興奮しない方がおかしい。
「一尉、航空祭での飛行展示で飛ぶんですよね?」
「俺達の機体は、地上展示の方が良いんじゃないかって話だったんだが、どうやら飛ぶことになりそうだ。編隊飛行を一緒にする他のイーグルからはイヤがられそうだけどね」
そう言いながら、私の後ろに視線を向ける。振り返ると、白勢一尉がこっちにやってくるところだった。白勢一尉は私の横に立つと敬礼をした。
「
「こちらこそ。あの時の一番手こずった相手がブルーに配属とは、納得の結果だな。ブルーが使っている機体がイーグルじゃないのが残念だ。イーグルなら、明日の飛行で楽しめたのに」
そう言って浮かべた但馬一尉の笑顔は、少しだけいつもと違ったものだ。こ、これはもしかして、噂のブラックスマイリーというやつじゃ?
「いやいや、当分はスマイリーに追いかけられたくありません。あれは、ちょっとしたトラウマものですよ」
「あの時の君達は楽しんでいるように見えたけど、俺の記憶違いだったのか……残念」
首を傾げながらそう言った但馬一尉の言葉に、立木二尉がプッと吹き出した。
「スマイリーに気に入られるとは、
「ひどいな、立木」
そこで白勢一尉は、自分がどうしてここに来たか思い出したようで、あらたまった顔をする。
「では、お二人に使っていただく宿舎に御案内します。こっちの整備は任せて良いのかな、浜路三曹」
「はい。こっちに来る前にイーグルの整備をしていた人間が多いので、問題はありません。明日からの訓練では問題なく上がれるように点検をしておきますので、私達にお任せください」
私の言葉に、但馬一尉は首を傾げてみせた。
「ブルーの点検の方は良いのか?」
「はい。それぞれの整備班から、一人ずつこっちに回すので問題ありません」
「そうか。久し振りだな、浜路三曹に点検してもらうのも。よろしく頼む」
「はい。では、お休みなさい」
敬礼をして三人を見送った。
+++++
そして次の日。
本来あるはずの午前中のブルーの訓練は中止となり、アグレス機とF-2が空に上がった。今回、前席で操縦桿を握るのは教官達で、後ろに座ったのはF-2の操縦過程で訓練中のパイロット達だ。
『だからどうして、三機で囲んでるのにすり抜けられるんだよ! おかしいだろ、それ!!』
『そうか? そっちがザルすぎるんだろう。なあ、スマイリー』
教官のブーイングに、立木二尉が笑いながら応じている。正式な教導ではないせいか、ずいぶんと楽し気な雰囲気だ。とは言え、楽しんでいるのは但馬一尉と立木二尉だけで、教官達は怒り狂ってそうな声だったけど。
「但馬、お前やっぱりスマイリーって名乗るな!! スマイリーの定義、絶対におかしい!!」
「はいはい。無駄口はいいから、ちゃんと集中して飛ぶ。はい、キル。いま死んだぞ、ハマー」
「だぁぁぁぁ、今日は教導じゃないだろ、ええ?!」
「俺は飛ぶ時はいつも真剣だぞ、ハマー。それに、わざわざ予定まで組んで、こっちに勝負を挑んできたのはそっちだろ? 俺は悪くない」
地上で無線を聞いていた私達は、口をあんぐりとさせるほかなかった。
「……白勢一尉、新田原でもこんなんだったんですか?」
白勢一尉は、私の横で何とも言えない変な笑いを浮かべている。
「いやまあ、もっと怖いけど。でもこれだって、十分にトラウマだよな……当分は但馬一尉を相手にはしたくない。ブルーに来て良かった」
そんなわけで、予定外の教導はその日、一日続くことになった。勝負を挑んで惨敗した教官さん達には申し訳ないけれど、SNSでは、その勝負を見た航空機ファンの皆さんが大いに盛り上がっていたから、良しとしなくちゃね。
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