第二十八話 今日も青空、イルカ日和

 昨日の遅くまで聞こえていた雨音がやんでいる。ってことは!!


「朝ですよ、白勢しらせさん、朝!!」

「遠征から戻ったばかりだと言うのに元気だよな、るいは。もしかして昨晩は手加減しすぎた?」


 眠そうな声がして、お布団の中に引っ張り込まれた。


「朝なんですが!」

「目覚ましのアラームは鳴ってないんだ、それに外はまだ暗い。どう考えても、まだ寝ていても大丈夫な時間だろ?」


 ジタバタしていると、たくましい腕が後ろから私を羽交い絞めにしてくる。


「なに言ってるんですか、せっかく雨がやんだんですよ? ってことは、基地上空が久し振りに、晴れるかもしれないってことじゃないですか」

「早く基地に出向いたからと言って、早い時間から飛べるわけじゃないのは分かっているだろ?」


 これが普通の仕事だったら、早く行けばそれだけ長く仕事ができる。だけど私達の仕事は、T-4を飛ばすこと。民家が近い日本では飛べる時間が限られているので、たとえ天気が良くても、事前通達も無しに好き放題飛ばすなんてことは不可能なのだ。


「そんなこと分かってますよ。だけど毎日飛べるわけじゃないし、久し振りの晴天なら、気分的にも早く行きたくなるじゃないですか」


 そう言って体に巻きついている腕を引き剥がすと、ベッドから這い出して窓に向かう。カーテンを開けてガラス窓を開けた。まだ空は暗いけど、あちらこちらで、新聞をくばるバイクの、走ったり止まったりするエンジン音が聞こえてくる。


「さむっ」


 冷たい空気が流れ込んできて、思わずブルッと体が震えた。


「当り前だ。風邪をひくから、早く窓を閉めて布団の中に入れ」

「でも、雲一つないですよ。このままいけば、晴天で絶好のイルカ日和びよりは間違いないですね」

「イルカ日和びよりってなんだよ」

「イルカ日和びよりはイルカ日和びよりですよ」


 さらに冷たい風か吹き込んできたので、慌てて窓を閉めてカーテンを閉じる。晴れていても、ちょっと風がきついかな?と心配になった。そしてベッドの横に戻って、眠そうな顔でこっちを見上げている、一尉を見下ろす。


「タックさん、朝ですよ~」

「だからまだ早いって言ってるだろ?」


 一尉が素早く飛び起きて、私のことを再びお布団の中に引き摺り込んだ。


「もう朝だって言ってるのに!!」

「だから、なんでそんなに元気なんだよ。そんなに元気ならもう一戦するか? 急げば二戦ぐらいはできるかも」


 そう言いながら、一尉は私のことを抱き寄せると、耳たぶをカプリと噛んできた。


 以前、私の耳たぶが食べたいと言っていたのは本気だったみたいで、昨日から、油断するとこんな感じで、一尉は私の耳に御執心だ。戦闘モードなイケボでささやかれるは、耳たぶを噛まれるは。松島まつしま基地にいる間に、私の耳はとんでもないことになるんじゃないかと、今から心配になってきている。やっぱり、特製のイヤーマフを作ってもらわなくては。


「やーめーてー! 朝から不埒ふらちですよ不埒ふらち!! 隊長が言ってたでしょ、不埒ふらちはいけませんって!!」

「人の目につかない場所でなら問題ないんだろ? だったらここは、かっこうの場所じゃないか、俺の自宅で、誰に遠慮もする必要はないんだから。ほら、るい、こっちを向けって」

「だからって、耳元でささやくのは禁止――!!」


 そんなわけで、白勢さんのせいで朝から余計な体力を使ってしまった……。



+++



 ハンガーから出て空を見上げると、そこに広がっていたのは、思っていた通り、雲一つない青空だった。心配していた風も、ここにいる限りはほとんど感じることのない、訓練日和びよりの良い天気だ。


「久し振りの青空~!」


 ここ最近は悪天候続きで、まともな飛行訓練ができていなかった。そのせいもあってか、久し振りの快晴に、キーパー達も張り切って訓練飛行の準備を始めている。


「おはよう、浜路はまじ三曹」

「あっ、おはようございます、玉置たまき隊長!」


 そんな中、イの一番に顔を出したパイロットは、やはり飛行隊長の玉置二佐だった。二佐は空を見上げて満足そうな笑みを浮かべると、すぐに自分が搭乗する機体へと向かう。その背中を目で追いかけながら、私も自分が担当する三番機へと急いだ。


「浜路、今日はいつもよりも特に迅速じんそくにな。もう早く上げろとやいのやいの小僧達がうるさくてかなわん。こういう時はさっさと送り出すに限る。そうすれば地上の俺達は平和だ」


 そう言ったのは、点検準備をしている坂東ばんどう三佐。


「小僧達って、パイロットの年齢は、三佐と大して変わらないでしょ?」

「五つも下なら立派な小僧だろうが」


 そうなんですか?と赤羽あかばね曹長の顔をうかがうと、プルプルと首を素早く横に振った。その表情からして「知らない」じゃなくて「俺に話を振ってくるな」ということらしい。上官なのになんて薄情な。もう少し部下に加勢をしようとか思わないかな。曹長の飴玉あめだまは今日は無し!


「そうですか? でも、隊長の玉置二佐とは同い年なんですよね? たしか高校の同級生とか……?」

「俺の方が誕生日が半年早い」

「それって同い年っていうんじゃ……」

「階級が上だろうがなんだろうが、半年も年上だ」


 階級一つって大きいのでは?と尋ねたかったけれど、三佐は〝も〟を強調するように言うと、そのままコックピットの点検を始めた。もうこうなると何を言っても無駄。この機体が無事に空に上がるまで、まともに話を聞いてはもらえない。


 しかたないので、同い年についてのお互いの見解の相違は横に置いて、飛行前の準備を始めることにする。


 空に上がりたがっているのは、パイロット達だけではないようだ。朝日を浴びているT-4も、空に上がるのを今か今かと待ち構えているように見える。


「しかし君の御主人様、今日に限って遅いねえ……久々の飛行日和だっていうのに」


 自分をるドルフィンライダーを待ちわびる、三番機に声をかけた。隊長以外のパイロット達も出てきて飛行前の機体点検を始めているのに、白勢一尉の姿だけがまだ見えない。


「皆、一秒でも早く空に上がりたいってソワソワしているのに、相変わらずマイペースなのんびり屋さんなんだから」

「浜路、白勢はまだ来ないのか?」


 玉置二佐がこちらにやってきた。


「はい。いつもならもう来てるはずなんですが」


 寝坊したなんてことは有り得ない。だって私が部屋を出る時には、同じように起きて制服に着替え終えていたのだから。え、まさか途中で事故に遭ったとか言わないよね?と少しだけ心配になった。


「お前が無理をさせたんじゃないのか?」


 そんな私の心配をよそに、二佐がニヤリと笑う。


「なに言ってるんですか。私はこうやってちゃんと出てきてるんですよ? いくら私のほうが若いからって、そんなはずないじゃないですか。少なくとも、私が部屋を出る時は制服を着てましたよ。……!! ああああっ!! まったくなんで、こんなことを隊長にしゃべらなきゃいけないんですかっ」

「俺はなにも言ってないぞ。浜路が勝手に自分から白状しただけだろ」


 私がその場でしゃがみこんでジタバタすると、隊長はゲラゲラと笑った。そんな私の視界の隅に走ってくる足が見える。


「あ、来ました」


 慌てた様子でハンガーから走ってくる一尉の姿。玉置二佐が私の横に立っているのを見て、明らかに動揺している。動揺するぐらいなら、もっと早くこれば良いのに。


「おはようございます!! 遅れて申し訳ありません!! 途中で、転倒した自転車の学生さんを救護していたものですから」

「浜路、白勢は遅れたか?」


 そう言われて、私はしゃがんだまま腕時計をのぞきこむ。


「いえ。私の時計では、まだ集合時間まで六分あります」

「だそうだ。助かったな、白勢。五分を切ったら浜路のお仕置きだったぞ。さて、上がる準備を始めるぞ。そろそろエンジンに灯を入れろ。それでその相手は無事か?」

「はい。ただ、自転車のハンドルが曲がっていたようですので、修理は必要な状態かと」

「そっちはすぐに修理できるからな。相手が無事でなりよりだ」


 二佐はそう言いながら一尉の肩を軽く叩くと、一番機の方へと歩いていった。


「おはようございます、白勢一尉」

「おはよう、遅れたのは今いった、、、?」


 私はしゃがんだまま、エンジンスタートの時と同じように人差し指を立ててから、指先を一尉の顔に向けて黙らせる。そして、その指をゆっくりと左へと動かした。一尉は首をかしげながらも、その指先を追って視線を左へと移動させていく。私の指が向いた先のフェンスの向こう側には、いつものようにカメラを持った人達が何人か立っているのが見えた。


「まずは皆さんに朝の御挨拶をしなければ。スマイル、スマイル。広報のお仕事は訓練の時も忘れずに、ですよ、タックさん」

「そうだった」


 そう言うと一尉は、気を取り直すように一息ついて、いつものさわやかな笑顔を浮かべ、その人達に向けて手を振る。それから機体のチェックにとりかかった。


「学生さん、大丈夫でした?」

「電車に乗り遅れそうになっていて、かなりのスピードで自転車をこいでいたらしい。そのせいで派手にスリップしたらしくてね。俺が通りかかった時は、側溝にはまりこんで動けなくなってた」

「うわあ、痛そう……。怪我は?」


 たしかに、こっちに来る途中の道路は、まだ濡れているところが多かったなと思い起こす。


「ああ。はまって動けなかっただけで、怪我自体は大したことなかったんだ。もしかしたら、後であちこち痛くなるかもしれないが、今は単位を落とすほうが心配らしかったよ」

「そうだったんですか。白勢さんが事故にでも遭ったのかなって、心配しちゃいました」

「お陰様で俺は大丈夫。うん、三番機も大丈夫だな」

「大丈夫で当然です。三番機は、私達が丹精込めて整備しているんですからね」

「そうだった」


 全員がコックピットに乗り込んで安全チェックが終了すると、いっせいに六機のエンジンに灯が入った。その音を聞きながら、坂東三佐が満足げにうなづく。どの機体も御機嫌のようだ。


 エンジンチェックと飛行前点検が終わり、順番に滑走路に出ていく六機のイルカ達は、私達が見守るなか元気よく空に飛び出していった。



 まあ、ちょっとしたハプニングはあったものの、今日も青空、絶好のイルカ日和びよりだ!!

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