第二十七話 コックピットから見えた風景

 航空祭翌日。


 昨日までは、あんなに来場者であふれかえっていたハンガーも滑走路脇も、今日は整備員達の姿しかなく静かなものだ。ヘルメットをかかえて建物から出ると空を見上げた。ところどころに大きな灰色の雲のかたまりが浮かんでいたけど、比較的穏やかな天気だ。


「なんとかお天気もちそうですね」


 後から出てきた白勢一尉に声をかける。


「ああ。せっかくるいを乗せて飛ぶんだ、このまま松島につくまで、天気がもってくれれば良いんだけどな」


 横を歩く一尉が空を見上げながら言った。それから私に視線を戻して面白がっているような笑みを浮かべる。


窮屈きゅうくつな格好で落ち着かないんだろ?」

「まったくですよ。皆さん、よくこんなものを身につけてニコニコしながら飛べますよね、尊敬します」

「それをきちんと身につけないと、戦闘機パイロットは飛べないからな」


 〝それ〟とは、私の下半身を現在進行形でぎゅうぎゅうとしめつけている耐Gスーツのこと。機体が加速した時に、頭の血液が急激に下がらないようにするためのもので、戦闘機に乗る人間にとっては必要不可欠なものだ。


「アラート待機の時なんて、これを身につけたまますごして、スクランブルの時はそのままダッシュですもんね。本当にパイロットってえらいですよ……ああもう、早く脱ぎたい!! これ、ほんとうに私も身につけなきゃいけないものなんですか?!」


 頑張って痩せようとして買った、きつめのパンツを無理してはいた時よりも窮屈な状態で、これがパイロットに必要不可欠なものと分かっていても気に入らない!!


「笑いごとじゃないですよ、白勢さん!」


 私がモゾモゾしているのを、笑いながら見下ろしている一尉をにらむ。


「だってさっき身につけたばかりじゃないか、いくらなんでも早すぎだ」

「それが正直な気持ちなんだもん、しかたがないじゃないですか」


 口をとがらせながら三番機へと向かうと、坂東三佐と赤羽曹長がニヤニヤと笑いながら待っていた。


「えらく御機嫌な斜めな顔をしてるじゃないか、ええ? 白勢と一緒に飛べて喜んでいるとばかり思っていたのに、どうした」

「我等がキーパー殿は、耐Gスーツがお気に召さないようですよ」


 一尉の返事に二人が愉快そうに笑う。


「まあ気持ちは分かるが、こればかりはしかたないな」

「分かってますよ。分かってはいるんですけどね」


 窮屈なんだからしかたがないじゃない。


「まあ松島につくまでの辛抱しんぼうだ。さあて、早いとこ上げる準備をしよう。西から天気が崩れてきているから、さっさと出発したほうが良いぞ。浜松で給油している間に、雨雲に追いつかれて足止めを食らったら一大事だ」

「俺は浜松で、一日ぐらい足止めを食らってもいい気分なんですけどね」


 一尉がシレッとそんなことを言いながら私の顔を見た。そんな一尉の様子に三佐が苦笑いをする。


「任務中にいちゃつこうだなんてけしからん事を考えると、玉置にぶっ飛ばされるぞ」

「隊長が許しても、私はこんな窮屈なのを二日続けて身につけたくないですから、足止めなんて真っ平御免です」

「ほれ見ろ、お前のキーパー殿はこうおおせだ。さあ、さっさと点検にかかろう」


 三佐が機体の下をのぞきこんだところで、一尉が少しだけ悲しそうな顔をしてみせた。


「まったく薄情だな、るい。少しはカノジョらしく俺の援護射撃をする気はないのか?」

「ないです。隊長が言ってたでしょ? 清く正しく任務にはげめって」


 一尉はまったくと笑いながら、ツンッとおでこを人差し指で突っついきた。



+++++



 いつもと違って、エンジンスタートとプリタクをコックピットの中から見るのはなかなか新鮮な経験だ。ヘルメットをしてマスクをつけところでバイザーを上げ、両隣りの二番機と四番機の様子を見てから、白勢一尉の肩越しに前を見る。


―― これがいつも白勢さん達が見ている光景なのかあ…… ――


 エンジンの音が響き渡る中、前に立った赤羽曹長がラダーを動かすように指示を出し、それに一尉が従うと横でゆっくりとラダーが上下するのが見えた。いつもは自分が指示を出す側だから、こんな風にその様子をここから見るのはなんだか妙な気分だ。


 そしてスタビライザーなどの、コックピットの計器類が正常に反応するかのチェック。これは私も初めて目にする作業なのでなかなか興味深い。体がシートに固定されていなかったら一尉の手元をのぞきこむのに、自由に動けない状態なのは無念かも。


『全機、キャノピー閉め、これより滑走路に出る』


 曹長達が見送る中、滑走路へと機体が動き始めた。今は曹長達の後ろには誰もいないけど、展示飛行をする時には、たくさんのお客さん達がカメラを持ってかまえているわけだ。坂東三佐と曹長が、いつもの敬礼とは違って手を振ってきたので手を振り返す。


 さあ、いよいよテイクオフ。なんだか見ている時以上にドキドキしてきた。


『こちら管制塔、基地上空はオールクリアー。ブルーインパルス01、02、03、04はランウェイ20より順次離陸してください』


 滑走路の定位置に四機がそろうと、管制塔からの指示が届く。


『了解、管制塔。こちらブルーインパルス01、これより浜松に向けてランウェイ20より離陸する』

『了解、01。またのお越しをお待ちしています、玉置二佐。お疲れ様でした、気をつけて松島にお帰りください、よいフライトを』

『ありがとう。では01から04、これより離陸する』


 一番機、二番機に続いて三番機が滑走路を走りだし、ふわりと浮き上がるような感覚がしたかと思ったら、あっという間に地上から離れて高度を上げていく。いつもならここで隊長の指示が入り、様々な編隊飛行をするんだけれど、今日のイルカ達は、普段よりゆったりとした編隊を組んでお行儀よく飛ぶだけだ。


 残りの五番機と六番機、そして予備機としてこの基地に来ていた番号無しのT-4は、時間をあけて基地を離陸して私達に続く予定になっている。


「どうかな? 初めてイルカに乗って飛ぶ感想は?」


 しばらくして、安定した飛行高度に入ったところで一尉が声をかけてきた。


「イルカに乗ってというか、こんな風に練習機に乗ること自体が初めてなので感動してます。これが戦闘機パイロットや、ドルフィンライダーが見ている景色なのかって」


 キャノピーごしに見える青空も、眼下に広がる小さな街並みも、移動中の輸送機の狭い窓から見る空とはまったく違う。とにかく空がすごく近い。


「お言葉だが、俺達の見ている景色はこんなものじゃないぞ? さすがにここでしてみせるわけにはいかないが」


 そう言いながら少しだけ両翼を上下に振ってみせる。つまりはブルーがしているアクロのことだ。天と地が逆さまになったり機体の翼同士が今にも触れそうな光景って、一体どんな感じなんだろうと少しだけ興味がわいた。……あくまでもほんの少しだけ。


「それは勘弁してください。いくら私でも、そんなこと今されたら朝ご飯が口から飛び出ちゃいますから」

「根性がないな、浜路。そこはどーんとやって見せてみろって言うところだろうが」


 玉置二佐の後ろに乗っている、飛行班長の津村つむら三佐の笑いが混じった声が耳元でした。


「なに言ってるんですか。こんなところでアクロなんてしたら、地上が大騒ぎですよ。並んで飛ぶだけでもじゅうぶんに目立つっていうのに」


 今頃は、地上でマニアな人達が帰還するイルカ達をいたる所で待ち伏せして、望遠レンズを空に向けてシャッターを切っているに違いないのだから。


「冒険心がないなあ。それでもドルフィンキーパーか?」

「キーパーだからこそですよ。私達までライダーと同じようになったら、誰がブルーのイルカを大人しくさせるんですか」

「まさに女版坂東だな、こりゃまいった」


 笑い声があっちこっちからあがる。


「ちょっと、なんでそこで皆して笑うんですか、ムカつく」

「まあまあ。でも、毎日のように自分が整備している機体に乗るというのも、なかなかなものだろう?」

「はい。ますますきちんと整備してあげなくちゃって思いますね。それから綺麗に磨いてあげようとも」


 松島に帰ったら、三割増しの丁寧さで磨いてあげなくちゃ。


「浜路、今回は特になんの問題はなく飛んでいるが、経験を積んだ機付長ともなれば、後ろに乗りながらその機体に異常がないか確認できるようになる。しっかり今の三番機が飛んでいる状態を記憶しておけよ?」

「はい、隊長!」


 そうだ、私はこの三番機の整備員。今一緒に飛んでいる人達の中で、三番機のことを一番よく分かっていなければならない人間なのだ。隊長は、単に展示デビューを無事に果たした御褒美ごほうびの飴玉替わりとしてだけではなく、整備員としてさらにスキルアップをするようにという思いを込めて、今回のことを許可してくれたんだってことに今更ながら思い至った。


 うん、これからも整備員を極めるためにしっかりと勉強しよう。


「三番機のことばかりじゃなく、俺のことも大事にしてくれよ、ドルフィンキーパーるいさん」

「おい、皆が聞いている中で惚気のろけるんじゃない、タック。お前以外の連中は嫁やカノジョを置いてこっちに来てるんだぞ、少しは自重しろ」


 隊長の言葉にそうだそうだと同意する声が上がる。


「私、タックさんのことは十分に大事にしてると思うんですけどねぇ……」

「だから惚気のろけるなというのに、浜路、お前もか」


 隊長が呆れた声をあげた。

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