第二十四話 三番機のイルカさんへ

 そして、いつもより少しだけ長い訓練飛行を終えた六機は、最後に六機編隊で基地上空周辺を大きく一周してから地上に降りてきた。


 こちらの誘導にしたがって、三番機が一番前に来るように全機が建物前に停止する。コックピットから降りてきた因幡一尉は、奥さんとお子さんが私達と一緒にいるのに気がついて目を丸くした。


「おい、今日は二人して大事な用事があるから、こっちには来れないって言ってなかったか?」

「大事な用事は招待してもらったセレモニーのこと。来れないっていうのは、あなたに合わせて馬鹿みたいな早い時間に一緒に来れるわけないでしょってこと」


 奥さんが一尉の言葉に、すました顔で答える。


「なんとまあ。すっかりお前の鬼嫁ぶりにだまされたな」

「鬼嫁とは失礼な。私のお尻に敷かれて幸せだって、いつもニヤニヤしているくせに。ねえ、けんちゃん、パパはママのお尻に敷かれて幸せだって、言ってるよねー?」

「パパはママのクッションでハッピーなんだよねー」


 そんな因幡家のやり取りを、ニヤニヤしながら遠巻きで全員が見守る。まずはドルフィンライダーを支えてくれた家族を優先するのが、このセレモニーの基本だ。


「じゃあ、お花、お願いできるかな。さっき言ったこと覚えてる?」

「大丈夫♪」


 息子さんを手招きして呼んで、用意していた花束を渡した。息子さんは因幡一尉そっくりの可愛い笑顔を浮かべてうなづくと、花束を嬉しそうに抱えて、まっすぐ一尉のもとに走っていった。そして突進するようにして花束を押しつける。


「パパ、ブルー卒業おめでとー!」

「おう、ありがとなー」


 息子さんを花束ごと抱き上げる因幡一尉。その顔はドルフィンライダーから一人のお父さんに戻っていた。


 それを合図に、パイロットや整備員が集まってきて次々とねぎらいの言葉をかけ始める。普段は呑気に笑っている因幡一尉も、照れくさそうというか心なしか目が潤んでいるというか、いつもとちょっとだけ違う表情を浮かべていた。


 クルーからのねぎらいの言葉と握手が終わると、三番機をバックに、一尉と御家族をかこんでクルー全員で記念写真を撮ることになった。三番機の横に立てられたパネルは、ラパンのラストフライトにあわせて私達整備小隊で作ったものだ。


「このイルカ、ちゃんと3の数字が入ってるよ! パパの番号だね♪」


 息子さんは、私が描いた可愛いイルカのイラストが気に入ったようで、那覇に行ったら自分のお部屋にかざると宣言した。


健斗けんと、それはパパがもらったパネルだぞ? それにお前の部屋にかざるには大きくないか?」

「いいの! パパのものはママのもので、ママのものはぼくのものだから! かざるところはママと相談するから大丈夫!!」

「なんたることだ。俺は因幡家の底辺の存在なのか……」


 わざとらしく悲し気な顔をしてみせる因幡一尉。だけどお子さんの部屋にかざることに関しては異議なしらしく、汚れないようにラミネート加工をしなくちゃいけないなと、息子さんに話しかけている。


 そんな二人のところへ玉置隊長がやってきた。それに気がついた因幡一尉は、息子さんに花束を渡すと脇に立たせ、自分は姿勢をただして敬礼をした。


「因幡、この四年間ご苦労だった。予想外に長く留まることになってしまったことに対しては、申し訳なく思っている」

「いいえ。こちらこそ、長きにわたり多くのことを勉強をさせていただき、感謝しております。ここで身につけた技術は、必ずあちらで役に立てます」


 そう答えてから悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「自分が離任すれば、名実ともに隊長がここの最古参でトップですよ。おめでとうございます」


 そんな言葉に隊長がニヤッと笑った。


「まったく減らず口は相変わらずだな。そういう悪い子にはやはりこれだな。おい、みんな、お待ちかねのバケツシャワーだ、遠慮なくやっちまえ!!」


 玉置隊長の号令と共に、全員がどこからともなくバケツを手にわらわらと集まってきた。中には巨大な水鉄砲ならぬ水大砲まである。その数の多さにさすがの一尉もギョッとした顔になった。


「おいおいおいおい、ちょっと多くないか、それ!! しかも全部が冷たい水なんだろ?! せめて温めた水にしないか?!」

「なにをなまっちょろいことを言っているんだ、バケツシャワーと言えば、灼熱の地であろうが極寒の地であろうが、氷水ですると決まっている。総員、撃ち方、始め!」

「隊長、それ海自の号令っ、わー、やめろーーー!!」


 まだまだ寒い季節だというのに、因幡一尉はあっというまにずぶ濡れのヌレネズミになってしまった。


 最後に息子さんが持ってきた、小さなバケツの中身だけが温かいお湯だったのは、私達の優しさだと思ってほしい。



+++++



「まったく無茶苦茶だな。那覇に行く前に風邪をひいたらどうてくれるんだ」


 因幡一尉はブツブツいいながら、テーブルで頬杖ほおづえをついて私達をにらんだ。


「お水だけじゃなくて、お湯もまじってたでしょ?」

「息子がかけてきた小さなバケツのやつだけな」

「そこが私達の優しさですよ」

「どこがだどこが。どのへんに優しさが?」

「小さなバケツの隅っこにあったはずですよ。気がつきませんでした?」


 私達は、いつも利用している居酒屋で因幡一尉の送別会の真っ最中だ。一尉は、お引っ越し作業をする奥さんを残して、一足先に那覇基地に戻ることになっていた。それだけあっちは、ベテランパイロットを必要としているのだろうと思うと、素直に原隊復帰を喜べない。


「なーに辛気臭しんきくさい顔をしてるんだ、浜路君や。ほれ、飲まないか、上官のおしゃくだぞ?」


 私の心の内を察したのか、因幡一尉はニッと笑って私のコップにビールを注いでくる。


「結局、一尉におごってもらうことなく逃げられちゃうんだなって、思ってたんですよ。なにを御馳走してもらおうか、あれこれ考えていたのに無念です。ここはやはり那覇基地まで追いかけるべきですよね、白勢一尉」

「沖縄ではなにが美味しいかな。今から調べておかないとね」


 私の隣でチューハイを飲んでいた白勢一尉が、ニコニコしながらうなづいた。とたんに因幡一尉が嫌そうな顔をする。


「おい、お前達。まさか本気で沖縄まで追いかけてくるつもりか」

「だって因幡一尉が御馳走してくれるというから、カナブンをことを許してあげようって気持ちになったんですよ? だったら約束は守ってもらわないと。夏期休暇が今から楽しみだなあ」

「俺と白勢のプリンを平らげておいてまだ言うか」


 さいわいなことに、あれからこっち、イルカに乗ろうとした不届きなカナブンに遭遇することはなかったけれど。


「なあ、ここの会費を俺が持つというのではダメなのか」

「送迎会の主役に会費を出させるわけにはいきませんよ。これはこれ、あれはあれですから。ねえ、白勢一尉」

「ドルフィンキーパー様の言うとおりです」


 すました顔でうなづく白勢一尉に、因幡一尉はあきれたヤツだなという顔をした。


「お前、今からケツに敷かれてどうするんだ」

「別に敷かれてなんていませんよ。実際のところ、彼女の言うとおりだと思っているから同意しただけです」

「二人して似てきたな、性格が……」

「そうですか? そんなことないと思いますが」


 ブツブツと文句を言いながらも、次から次へとビールを注ぎにくるパイロットや整備員達と、楽しそうにやりとりをする因幡一尉。気がついたら寮の門限が迫っていた。


「あ、私、そろそろ寮の門限なのでお先に失礼します」

「おう、気をつけてな。長いこと世話になった、白勢になっても三番機を頼むぞ」

「はい、お任せください」


 席を立つと、白勢一尉も腰を上げた。


「送っていくよ」

「大丈夫ですよ、ここから歩いてすぐですし」

「最近は物騒で自衛官でも安心はできない。だから送っていく」

「浜路、送ってもらえ。真面目な話、最近は本当に物騒だからな」

「わかりました。じゃあお先に失礼します。因幡一尉、あちらでもブルー精神を忘れずに頑張ってください」


 送迎会の幹事をしている赤羽曹長に会費を渡すと、一尉とお店を出た。歩き出そうとしていたところで、因幡一尉が店から出てきて追いかけてくる。


「すまない。忘れるところだった。白勢、うちの息子からメッセージカードをあずかってたんだ」


 因幡一尉が、ジャンパーの内ポケットから可愛い封筒を取り出した。表には『あたらしい三番機のイルカさんへ』と大きく書かれている。


「いま見ても?」

「もちろん」


 白勢一尉は封筒からメッセージカードを取り出した。そこには額に三番の文字が書かれたイルカと、ブルーインパルス仕様のT-4のイラストが描かれていた。


『あたらしい三ばんきのパイロット、タックさんへ ショーでとぶのをがんばってください なはにもきてね!』


「ファンレター第一号ですね。ありがとうございます、大切にします」

「じゃあ、またどこかの空で」

「はい。どこかの空で」


 因幡一尉は敬礼をしてお店に戻っていった。


「こういうのを個人的にもらえるのは嬉しいものだね」


 一尉はそう言いながらカードを封筒に戻すと、ジャケットの内ポケットにしまいこむ。


「さて、それでなんだけど浜路さん」

「はい?」

「これで俺は、名実ともに三番機のパイロットになったわけだ。恐らく、週明けにはサイトのパイロット情報も差し替わるだろう」

「ああ、そうですね。それ用の写真は撮ったんですか?」

「とっくにね」


 そう答えてから、ニッコリと微笑んで私を見下ろした。


「これでもう、心置きなくるいって呼んでいいんだよな?」


 うっ、とうとう来た!!


「や、約束は約束ですからね……」

「じゃあ……手始めに」


 一尉がいきなり立ち止まり、私のことを抱き寄せた。そして耳元に口を近づけると……


「これから二年間、三番機共々よろしく頼むよ……るい」

「!!!!」


 一尉が名前をささやいたとたん、足から力が抜けてその場に座り込みそうになった。こ、これが噂の通常のイケボじゃないイケボ?! でも手始めにって言ったよね?! ってことは、まだ別のバージョンがあるってこと?! まさか本当に自分がそんな状態になるとは思ってもみなくて、唖然あぜんとしたまま一尉の顔を見上げる。


「おや、どうかしたのかな、浜路さん、もしかして飲みすぎた?」


 足元がおぼつかない状態になっている私を支えながら、悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。これは非常に危険だ、絶対にイヤーマフがないと安全にすごせない。


「今の、わざわざ私のことを抱き締めて言うようなことですか?!」


 私が抗議すると、悪戯いたずらっぽい笑みがますます大きくなる。


「さあどうだろう」

「し、仕事中は絶対にに今のは禁止ですからね!! 絶対に絶対ですから!」

「分かっていますよ、ドルフィンキーパーさん」

「約束ですからね!」

「了解しました」

「約束破ったらモンキーレンチですからね!!」

「分かりました、約束いたします、ドルフィンキーパーるい」


 一尉は真面目な顔をすると、右手をあげて宣誓せんせいをした。



 そして週明けの月曜日の朝、因幡一尉は那覇基地へと戻っていった。

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