第二十三話 ラパンさんラストフライト

 二月 芦屋基地。


 三十分ほどの展示飛行を終えた六機のT-4達が、編隊を組んだまま滑走路に降りてきた。そして着陸すると、タキシングをしながら、私達が待機している場所へと戻ってくる。機体がエンジンの灯を落とし、パイロットが降りてくるところまでがショーの一部で、コアなお客さん達はそれも楽しみにしているから、私達がショーを終えたと一息つけるのはもう少し先だ。


 それに、今日は因幡一尉の最後の展示飛行。五番機や六番機のような花形のポジションではないけれど、ドルフィンライダーのラストショーともなれば、いつもよりたくさんの人が最後のショーを見届けようとやってくる。


 そのせいもあってか、普段ならアクロバットを見終えて満足して帰っていく人が多いのに、いつもよりたくさんの人がこちらへと移動してきていた。


「やっぱり、いつもより集まってくる人が多いですね」


 三番機が止まる場所に移動しながら、赤羽曹長に耳打ちした。今日が因幡さんのラストであることは発表されていない。それにもかかわらず、情報がファンの間で共有されているのが不思議だ。


「そりゃそうだ。ドルフィンライダーが一人卒業するんだからな。アイドルグループでも、メンバーが卒業するとなければ大騒ぎだろ」

「そりゃそうですけど、アイドルと一緒にするのは……」

「アイドルだろ、違うか? 単語もなんとなく似てるし」

「似てるって、同じなのはドルの部分だけじゃないですか」


 六機が私達に誘導されて、所定の位置で停止する。その姿を見て、ふと去年の年末に見た松島ドルフィンシックスを思い出してしまった。あの子達も可愛いかったけど、やっぱり私はこのイルカちゃん達のほうが好きだ。


 エンジンの灯が落とされ静かになると、パイロットがそれぞれコックピットから出て地上に降り立つ。そしてウォークダウンとは逆の手順で、六人が集合しスタート地点に戻っていった。


「ラストショー、お疲れ様でした、因幡一尉」


 曹長が、ショーを終え三番機のもとに戻ってきた因幡一尉と、あらためて握手をする。


「やれやれ、やっと肩の荷がおりた気分だよ。以後は白勢が頑張ってくれると思うので、よろしく頼む」


 一尉はそう言うと、後席から降りてきた白勢一尉と肩を組んで笑った。


「今度は、お前が新しくやってくる子イルカちゃんの面倒を見る番だからな。これからも気を引きしめて飛べよ。……というわけで、今日から白勢が正真正銘の三番機パイロットだぞ、浜路君や」


 因幡一尉がそう言って、ニヤニヤしながら私の顔を見る。


「そんなことわかってますよ、だからなんです?」

「だからそのツン顔はやめろと言ってるのに。ま、白勢も浜路も、しばらくはそれどころじゃないか。浜路の展示デビューはいつになるんだろうな。俺は見ることができないが、二人して頑張れよ。その他のことでもな」


 因幡一尉は私のかぶっている帽子のツバをつまむと、そのままグリグリと左右にふりながらニッと笑った。



+++



 芦屋基地航空祭でラストショーを終えた因幡一尉ではあったけど、松島から離れるまでは、白勢一尉の先輩ライダーとして三番機に搭乗しつづけることになっていた。ただし、操縦桿を握るのはあくまでも白勢一尉で、因幡一尉は常に後ろに座ってアドバイスをする程度だ。


 昨日の晩に、フェンス向こうから写真を撮っている人達のSNSを読んだら「ラパンさんの松島基地でのラストフライトはいつなんでしょうね」なんて書かれていた。実際のところ、そういう話は人事異動の兼ね合いもあるので、私達にも直前まで日にちは知らされることはない。


 そんなある日のファーストフライト、並んで出てきた因幡一尉と白勢一尉が、それぞれいつもとは逆の場所にヘルメットを置いた。


「あれ? 今日は因幡一尉が操縦桿を握るんですか?」

「今回の飛行訓練が、因幡一尉の第11飛行隊としてのラストフライトになるんだ。俺としては、もう少し一緒に飛んでいて欲しかったんだけどね」

「なにを言ってるんだ、いつまでもパパと一緒に飛びたいだなんて、どこのお子様だ?」


 因幡一尉は笑いながら白勢一尉の背中を叩く。


「那覇が早く戻ってこいとうるさくてな。長門ながと司令をこれ以上待たせたら、那覇から怒鳴り込んできそうな勢いだから、松島基地の平和のために早々に戻ることにした」


 本来の異動日はもう少し先のはずだ。でも、こちらにいたのが通常より長かった因幡一尉だったから、今回は前倒しで呼び戻されることになったようだ。異例づくしの異動は、現場の事情が事情なだけにしかたのないことなんだと思う。


「お蔭でここしばらくは、嫁にケツを引っ叩かれながら引っ越しの準備にてんやわんやだ」

「にしては嬉しそうですよ、ラパンさん」

「そりゃそうだろ。やっと、浜路君の人参飴と白勢の砂吐き攻撃から逃げられるんだからな」

「ふーん、そんなこと言うんならこれ、あげるのやめておこうかなあ……」


 そう言いながらポケットから出したのは、いちごミルクの飴玉あめだま


「やっと人参飴が終わったのか。さっさとよこせ、待っていたぞ、俺のいちごミルクちゃん」


 因幡一尉が手をのばして飴玉あめだまを奪いさっていく。


「最後まで人参飴かと、ヒヤヒヤしていたんだ」

「まったくもう。あっちに戻ってから、同じように整備員に飴玉あめだまを要求しないでくださいね。松島ではそんなことをしてパイロットを甘やかしているのかって、私がしかられちゃうんだから」

「心配すんな、そんなことはわかっているさ」


 因幡一尉は飴玉あめだまをポケットに入れると、笑いながら私のおでこをツンと指で小突いて、五人のドルフィンライダー達がいるところへと向かった。


 今日最初の訓練は、六機すべてが上がることになった。久し振りの晴天なので訓練プログラムは第一区分、飛行空域は基地上空。このメンバーで飛ぶ最後の飛行訓練だ。


「そうかあ、因幡一尉、このウォークダウンも今日で最後なんだなあ……」

「赤羽曹長、今日は曹長が前でお願いしますとのことです」


 白勢一尉が、翼の下をのぞいていた曹長に声をかけた。松島での訓練の時は私が前に立つようになっていたけど、そうだよね、因幡一尉は三番機で飛ぶようになってから、ずっと曹長と一緒にエンジンスタートから飛行前点検までをしていたんだもの、今日は私ではなく曹長が前に立って、因幡一尉のラストフライトの締めくくりをするべきだ。


「了解しました。じゃあ浜路、今日は後ろを頼む」

「はい」


 白勢一尉が一足先にコックピットに上がって、それを坂東三佐がチェックしているのを見届けてから後ろに回った。


 こうやって、展示飛行に向けて一丸となって共同作業をしていたクルーが、一人また一人と元いた場所に戻っていくのを見送るのは寂しいものだ。私もあと二年ほどすれば三沢に戻ることになる。私より半年遅れで松島にやって来た白勢一尉も、任期が終われば新田原に戻っていくだろう。


「……」


 そこまで考えてからふと思った。白勢さんは私とおつきあいしたいらしいけど、ここでの二年間が終わったらどうするつもりなんだろう。私は三沢、白勢さんは新田原。いくら自衛官が、プライベートな移動で基地間を結ぶ輸送機を使うことができるとは言っても、ちょっと遠すぎる気が。


 もしかして、二年間という期間限定の大人のおつきあいってやつなんだろうか……?


「どうした? 久し振り過ぎて勝手を忘れたか?」


 坂東三佐が私の頭をグリグリしてきた。


「あ、いえ、そんなことありません。因幡一尉のラストフライトなんだなって、感慨にふけっていただけです。ま、正直いうと飴玉あめだまの消費が一人分減るので、私のお財布には優しいってやつですね。ああ、あと心残りなのは、おわびのおごりがないままになりそうなことぐらいでしょうか」

「まったく容赦ないな、お前は。ま、その調子でこれからも頼むぞ」

「お任せください」


 因幡一尉と赤羽曹長の最後の飛行前点検が終わり、六機が順番に滑走路へと出ていく。


「さて、お前達、最後の準備にかかるぞ!!」


 それを見届けると、坂東三佐がニヤッと笑って全員に宣言をした。いよいよラパンのラストフライトセレモニーの準備開始だ。私はあらかじめ三佐に指示されていた通りに、バックヤードにある整備員控室に急いで向かった。そこで待っていたのは因幡一尉の奥さんとお子さん。


「お待たせしました。いまハンガー前から滑走路に向けて出たのでそろそろ離陸です。どうぞ、こちらに」


 ブルーとしての最後のフライトを御家族に見てもらおうと、因幡一尉には内緒で玉置隊長がこっそり招待していたのだ。


「今日はご招待ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそお引っ越し準備でお忙しいのに、来ていただいてありがとうございます。今日が良い天気で良かったです。ショーでするプログラムを、特等席で一通り見ることが出来ますよ」

「まあ、それは楽しみだわ」

「パパ、バケツシャワー、するー?」


 お子さんが私に質問をしてきた。さすが空自パイロットの御子息ごしそく、よくわかっていらっしゃる。


「お花を渡して記念撮影をしてからね。参加したい?」

「したーい!!」

「OK。じゃあ小さなバケツも用意するね」

「わーい!!」


 外に出ると、滑走路が一望できる基地の建物前のひらけた場所で、全員がセレモニーの準備を始めていた。普段は訓練が終了したら専用ハンガー前で駐機するところだけど、今日は特別の日、フェンス前で待ち構えているファンの人には申し訳ないけれど、ラストフライトは私達にとっても特別な日なので我慢してもらわないと。


「椅子を用意しましたから、もしよければどうぞ」

「ありがとう。だけど立って見たほうが良さそう」

「それは言えてますね」


 四機がいつものように編隊を組んだまま離陸をした。私の横にきた息子さんが、飛び立つイルカ達を指さして質問をしてきた。


「あれがパパ?」

「そうだよ。3の数字がお尻のところに書いてあるやつね」


 続いて五番機、六番機が離陸した。その二機の周囲を四機が編隊を組んだまま大きく旋回をする。ここしばらく操縦桿を握っていなかった因幡一尉だけど、そんなブランクはまったく感じさせない飛行だ。六機がそろうと、隊長の指示のもと、六機のイルカが次々とアクロバットを披露していく。


「ブルーって凄いね!!」

「そうだね。だからパパも凄いってことだね」

「うん! ぼくのパパも凄い!!」


 青空のもと、奥さんと息子さんに見守られながら、因幡一尉のラストフライトとなる飛行訓練は続いた。

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