第二話 未来のドルフィンライダー

「たしか、ブルーインパルスのT-4は、戦技研究仕様機と呼ばれているんですよね」

「はい、そうです。ブルーインパルスが曲技飛行隊として独立する前が、戦技研究班という部署でしたので、そう呼ばれているんです。とは言いましても、この仕様の機体はブルーインパルスでしか採用されていませんので、今は空自内でも、ブルーインパルス仕様と呼ばれることが多いんですよ」

「なるほど」


 ニコニコと笑顔を絶やさず、ひたすら説明をすることが苦行であると知ったのは、着任して初めて飛行隊について出かけた、某基地の航空祭でのことだった。


 ブルーが展示飛行をしない時間も、私達には仕事が待っている。それが会場にやってきた人達との交流だ。しかも、私達の着ている青い専用の作業着はかなり目立つので、油断していると、あっと言う間にお客さん達に取り囲まれて動けなくなってしまう。


 そんなわけで、今の私は超マニアックなおじ様に捕まって、機体談義をしている最中だ。救いなのは、このおじ様が非常に礼儀正しい人だってこと。それと、おじ様のお蔭で、カメラ小僧さん達に囲まれることがないってことかな。


「バードストライク対策もしっかりされているんですよね? たしか、風防の素材が、通常のT-4のものとは違うと聞いています。えーとなんだったかな……」


 とにかく昨今のマニアさんっていうのは、こちらが驚くほどその分野の情報に詳しい。様々な雑誌や専門誌が発行されているから、その気になれば隅々まで調べることができるんだろうけど、その知識を、私達と直接話をすることで裏づけをしているって感じだ。楽しそうに話している様子からして、このおじ様は、戦闘機や練習機が本当に好きなんだろうなと感心してしまう。


 楽しそうに話し続けるおじ様の話を聞きながら立っていると、後ろからツンツンと服を引っ張られた。振り返ると、小さな女の子が私のことを見上げながらそでを引っ張っている。


「どうしたの? 迷子になっちゃった?」


 私の問いかけにその子は首を横に振ると、後ろを振り返って指をさした。そこにはその子のお母さんらしき人が立っている。


「あのね、しゃしんをいっしょにとってください!」

「一緒に? あなたと私?」

「うん。カメラはママが持ってるから、とってくれるって」

「わかった。あの、お話の途中ですがよろしいですか?」


 楽しそうにお話を続けていたおじ様に確認をとると、その人はうなづいた。


「もちろん。じゃあ私は他に見たいものがあるので、そちらに見学に行ってきます。忙しいのに話を聞いてくれて、ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして」


 女の子がお母さんに「いっしょにとってくれるってー!」と、嬉しそうに飛び跳ねながら声をかけると、お母さんが申し訳なさそうにこちらにやってきた。


「すみません、お話し中だったのに」

「かまいませんよ。ここで良いんですか?」

「あの、できたらあっちのジュニアの前でお願いできますか?」

「わかりました」


 ジュニアというのは、ブルーインパルスの機体と同じデザインの塗装がほどこされた、原付バイクのこと。航空祭では、展示飛行と共にちょっとした人気者となっていた。先の震災で水没して修理ができず走行不能になってしまったものを、展示走行とは別に子供達が乗って写真を撮れるようにと展示しているのだ。


「あれに乗って写真を撮る?」

「いいの?」

「大丈夫だと思うよ。ちょうど今はすいてるし、すぐに撮れると思うから」


 多分お昼ご飯の時間に重なったから、子連れのお客さんの多くは、屋台などが出店している場所へと移動しているんだと思う。普段なら行列ができている場所も、今は遠巻きに写真を撮っている人がいるだけだった。


「お疲れ様です、森重もりしげ曹長」


 ジュニアのそばに立っていたのは、六番機の整備を担当している森重空曹長だ。


「おう、お疲れさん。交代してくれるのか?」

「違いますよ。こちらのお嬢さんと一緒に写真を撮るんですけど、ジュニアに乗せてあげても良いですか?」

「ああ、かまわない。お嬢ちゃん、ヘルメットもかぶるかい?」

「かぶるー!!」


 女の子は、森重曹長に言われて飛び上がって喜んだ。


「じゃあこっちにおいで。座るところは高いから気をつけてね」

「なんか優しいですね、森重曹長」

「なにを言うんだ。俺はいつでも優しいぞ?」

「そうですか?」


 いつも眉間にシワを寄せた厳しい顔で、若い子達にあれこれ指導しているイメージしかないからとっても意外。女の子がバイクのシートに座ったところで、ヘルメットをそっとかぶせる。ほら、その手つきからしていつもと全然違う。


「おおきいねー」

「そうだね。大人用しかないから」

「そっかー」


 お母さんがニコニコしながら、お二人も一緒にお願いしますと言ってカメラをかまえたので、私達はジュニアに乗った女の子をはさんで立った。女の子はほこらしげにバイクのハンドルを握っている。そこで写真を一枚撮ると、女の子が降りたところであらためて三人で並んで写真を撮った。


「ありがとうございます。人気があるから、ブルーインパルスのかたと一緒に写真が撮れるなんて思わなくて」

「ラッキーでしたね。あ。もしよろしければジュニアの前で、お母さんとお嬢さんが並んだ二人の写真も、お撮りましょうか?」

浜路はまじ、俺が撮るからお前も一緒に並んでやれ」

「よろしいんですか?」

「どーぞどーぞ、カメラをかしていただけますか」


 恥ずかしそうにしながらお母さんは森重曹長にデジカメを渡すと、女の子の横に立った。きっとお母さんも、本心では一緒に撮りたかったんだと思う。だけど大人としてなかなか言い出せずにいたところを、森重曹長はすぐに感じ取ってそう提案したのかもしれない。さすがベテランドルフィンキーパーだ、私はそこまで頭が回らなかった。こういう心遣いも見習わなければ。


「いきますよー、はい、ちーず!」


 写真を撮ると、お母さんも娘さんもとても嬉しそうな笑顔で、ありがとうと言ってくれた。こんな風に写真を一緒に撮るだけで、ここまで喜んでもらえなんて。本当にブルーインパルスって人気があるんだなあと、あらためて実感する瞬間だった。


「ねえ、おねーさん」

「なに?」

「あたしでも、ブルーインパルスのパイロットになれるー?」


 そう問いかける女の子の目は真剣だった。思わずお母さんのほうを見ると、困ったような笑みを浮かべている。


「初めてブルーインパルスを見た時から、ずっと言い続けてるんですよ。女の子なのに、自宅も関連アイテムでいっぱいになっちゃって」

「去年から、女性でも戦闘機パイロットになれることになりましたから、実現は可能ですよ」

「そうなんですか?」


 お母さんが目を丸くした。


「じゃあなれるー?」

「ドルフィンキーパーじゃなくて、ドルフィンライダーになりたいの?」

「うん!」


 即答だった。縁の下の力持ちである整備員より、花形であるパイロットに人気が集まるのはわかるけど、ここまではっきりきっぱり言われてしまうと、ドルフィンキーパーの私としてはちょっと複雑だ。


「だったらたくさん勉強もして、たくさん運動もしないとね。パイロットになるにはお勉強も大事だけど、健康も大事なんだよ? えっとね、あと、虫歯もダメなの。だから歯磨きもちゃんとしなくちゃいけないの」

「そうなんだー。あたし、むしばないよ! 運動会ではしるのも早いから!」

「そっか。じゃあ、あとは頑張ってお勉強をしてパイロットの学校に入って、いっぱい頑張ったらドルフィンライダーになれるかも」

「なったら、おねーさんとこーやってとぶまえのチェックするの!」


 そう言って、女の子は私に向かって指を立てて手を開いたり閉じたりする。それはウォークダウンの時に、コックピットに乗り込んだパイロットと整備員が離陸前チェックをする時のハンドサインで、エンジンの出力状況を確認するためのものだった。


「おおー、だったら私も頑張って自衛官を続けないといけないね」

「ずっとここにいる?」

「ううん。しばらくしたら、よその基地で他の戦闘機の整備員をするよ。でも、運が良ければ、またドルフィンキーパーになれるかもしれない。あなたがパイロットになってブルーインパルスにやってくる頃に、また戻ってこれたら良いね」

「うん!! あたしもがんばるから、おねーさんもせいびいんがんばってね!」


 女の子とお母さんは、何度もお礼を言いながら立ち去った。


「大変なことを約束しちまったもんだな、浜路」

「ですねえ……もしあの子がパイロットになったとして、ブルーに来るのは何年後でしょう」

「さて。二十年後、いや三十年後、そんな感じか?」

「それやばいです。頑張って昇任しないと、あの子がくるまでに退官になっちゃうかもしれません」


 私がそう言うと、森重曹長はおかしそうにゲラゲラと笑う。


「お子様の言うことだ。に受けるな」

「いえいえ、最近の子はあなどれませんよ。三十年後、本当に来るかもしれませんよ。三十年後、ジュニアの前で撮ったさっきの写真を見せられる日が来るかも」

「そりゃあ楽しみだな。ああ、俺は間違いなく退官しているな。もしあの子がやってきたら是非とも知らせてくれ」


 もしかしたら三十年後、今日のような青空の下で、あの子が皆の前でドルフィンを駆る日が来るかもしれない。そんなことを考えると、少しだけ三十年後が楽しみに思えてきた。

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