今日も青空、イルカ日和

鏡野ゆう

本編

第一話 イケボ枠のドルフィンライダー

 航空祭。


 一年に一度、航空自衛隊の基地で行われるイベントだ。普段は見ることのない、戦闘機などを間近で見ることができる機会とあって、その日はたくさんの人がやってくる。最近ではマニアな人達よりも、家族連れやお友達同士で来る人が増えていて、それはそれは大混雑だいこんざつ、じゃなくて大盛況だいせいきょう


 私の名前は浜路はまじるい。航空自衛隊の整備員をしている、二十三歳のごくごく普通の三等空曹だ。


 あ、ちょっと訂正。整備員としては普通とは少しばかり違うかも。


 というのも、いま私が整備をしているのはブルーインパルスの機体だから。ちなみに、ブルーインパルスの整備をする整備員は、他の戦闘機や輸送機の整備員とは区別され、ドルフィンキーパーという愛称で呼ばれていた。


 どうだろう、やっぱり普通とはちょっと違うかな?


『では皆さん、左から編隊が進入してまいりますので、ご覧になっていてください。次におこなう課目はトレール・トゥ・ダイヤモンド・ロールというもので……』


 会場にアナウンスが流れ、お客さん達がいっせいに空を見上げた。


「今年のアナウンスの人、噂どおり良い声よねえ」

「うんうん。あれって、いわゆるイケボってやつよね?」

「たしか、新しくブルーインパルスに入ってきたパイロットさんが、訓練に入る前にしばらく担当するのよね」

「ってことは未来のドルフィンライダーってこと?」

「どんな人かしら、今日会えるかな?」

「イケボなんだから、きっとかっこいいはず!」

「なにそれ、どんな基準~~」


 少し離れた場所で、カメラを手に空を見上げている女性のお客さん達が、楽しそうにおしゃべりをしている。


 そうなんですよ、奥様方……いえ、お嬢様方かな? 今年度から会場でアナウンスを担当している白勢しらせ拓真たくま一等空尉は、すごくいい声の持ち主なんです。


 しかもとても聞き取りやすいでしょ? なんとこの声の主さん、高校生の時には放送部に所属していて、アナウンス部門で全国大会なんてのに出たらしいですよ? しかも大学では水泳をやっていたせいか、やたらと肺活量が大きく、声がとおることとおること。


 私的には、いっそのことそのイケボを最大限にかして、アナウンス専任でどうでしょう?と言いところだ。だけどそれを本人に言ってしまうと、きっと泣き崩れてしまうだろうから、口にすることは我慢している。


 しばらくすると、聞き慣れたジェットエンジンの音が近づいてきた。真っ青な空に白いラインをひきながら、四機の白と青の機体が会場上空に進入してくる。そして編隊を組んだまま、高度を上げバレルロールをしながら反対側へと抜けていった。会場からは「おお~」とか「わ~」とか歓声があがる。


 だけど私が気になるのは、編隊飛行の完成度やスモークで描かれる模様よりも、自分が整備を任されている三番機。


 三番機は、編隊飛行をする時に一番機の右側を飛ぶ機体で、右翼機、またはRIGHTライト WINGウィングと呼ばれている。編隊を組みながら今のように横方向に回転する課目では、基軸きじくになる二番機と違って、一番大きく動かなくてはならない機体だった。つまり、よりエンジンにも機体にも大きく負荷ふかがかかるのだ。


「うむ、今日も三番機のエンジンは御機嫌だな」


 横に、私と同じブルーインパルス専用の青いつなぎを着た人が立った。総括班長そうかつはんちょう兼三番機の機付長をつとめる、坂東ばんどう三等空佐。本来の総括班長の職務からして、機付長なんてしていられる立場の人じゃないはずなのに、なぜか、整備現場に出ることにこだわり続けている。本人の前では言えないけれど、ちょっと変わった人でもあった。


「当たり前です。私と赤羽あかばね曹長が、昨日の夜遅くまで細かく調整したんですから」

「そういえば、二人が機体のことしかほめないと、ラパンがたいそうご立腹らしいぞ?」

「パイロットをほめるのは隊長の仕事です。私達にとって大事なのは、人間よりも三番機の状態ですから」


 ラパンというのはタックネームで、本名は因幡いなば尚人なおと一等空尉。現在、三番機のパイロットを担当しているドルフィンライダーだ。


「まったく容赦ないな」

「ドルフィンライダーより、ドルフィンを大事にするからという理由で私を選んだのは、三佐らしいって話ですけど? 私の記憶違いでしたっけ?」


 私の指摘に三佐はニヤッと笑う。三沢みさわ基地でF-2戦闘機の整備員をしていた私を、是非にと言って引っ張ってきたのは、横にいる坂東三佐だった。その理由が、人間より機械を大事にする整備員だから。


「お前さんは、俺の期待した通りのドルフィンキーパーだよ」

「おほめの言葉ありがとうございます。これからも精進しょうじんいたします」

「頼むぞ。ああ、そうそう、それとだ。少し早いが、白勢が来月から、三番機ライダーとして訓練を始めることになった」

「そうなんですか? でも、白勢一尉がここに来てまだ一年経ってませんよね。少なくともあと五ヶ月は、マイク担当なはずじゃ?」


 ブルーインパルスのパイロットは、選ばれたからといって、すぐに展示飛行に参加できるわけではない。最初の一年目は、飛行訓練を続けながら地上でのアナウンスを任されたりする。


 これは、誰かに向けてフォーメーションの説明をすることで、自分達がどういった展示飛行をしているかを理解させるためのもので、実はとても大事なことだった。そして通常は、着隊一年目から、自分が乗ることになる機体の後ろに乗って、訓練が始まることが多かった。


「そうなんだがな。そろそろ因幡を戻してくれないかと、那覇なはがうるさいらしい」

「あー……あっちはスクランブルが増えてますもんね」


 現在の三番機ライダーである因幡一尉は、もとは那覇基地で防空任務についていた、F-15イーグルのパイロットだ。最近は色々ときな臭くなってきた西南の空には、一人でも多くのベテランパイロットがほしいというのが現場の声なんだろう。


「因幡一尉は納得ずみなんですか?」

「ああ。本来あいつは、昨年度いっぱいで那覇に戻る予定だったのは知ってるだろ?」

「はい」


 因幡一尉の後継に予定されていたパイロットが、諸事情でブルーから急遽きゅうきょはずれることになったのは、一年ほど前のこと。そのせいで因幡一尉は、本来の任期期間である三年をこえた今も、ブルーで飛んでいた。


「それをこっちの事情でのばしてもらっているんだ。うちとしても、これ以上は引き留められない。白勢にしても当初は二番機にって話だったんだが、まあ、例外はなんにでもあるってことだな」

「白勢一尉がスムーズに、訓練を終えることができると良いんですが」

「少なくとも玉置たまきはそのつもりでいる」


 玉置というのは、ブルーインパルスの飛行隊長である、玉置いさむ二等空佐のことだ。坂東三佐と玉置隊長は、高校の同級生でいわゆる幼馴染みというやつらしい。それを指摘すると、なぜか二人してイヤそうな顔をするのが、笑ってしまうんだけど。


「そうなんですか。でも残念だな。白勢一尉のアナウンスは、なかなかお客さん達に評判良いですよ。ブルーのイケボ担当でもやっていけるんじゃないかって、思っていたんですが」

「そんな芸人みたいな担当なんてあるか。それに、ドルフィンライダーは飛んでなんぼって話だろ」

「アナウンスだって、大事な広報活動の一つなのに」

「とにかくだ、半年後には白勢が三番機のライダーになる。それまでに、きちんと仲直りしておけよ?」


 そう言って坂東三佐は私の肩をポンッとたたくと、私達に気づいたお客さん達に囲まれないうちにと、関係者以外立入禁止のハンガー奥へと足早に戻っていった。


「仲直りって、別に白勢一尉とけんかしているわけじゃないんだけどな、私」


 坂東三佐が言っているのは、きっと、私が白勢一尉が着任した時にうっかり呟いてしまった一言のことだと思う。



+++++



 新しい年度になり立ての朝、白勢一尉をふくめた数名のパイロットが、新しく松島まつしま基地の第11飛行隊にやってきた。全員が高度な飛行資格を取得したパイロット達だ。だけどこの全員が、ドルフィンライダーとして活躍できるかどうかはわからない。ここにやってきても、控えのままで飛行展示に出ることなく、任期を終えるパイロットもいるのだから。


「紹介しておこう。まずは新田原にゅうたばるから来た白勢拓真一等空尉。タックネームはタック。それから小松こまつから来た……」


「タックネームがタックさんって、なんだかダジャレみたい……」


 隊長の言葉を聞いて、思わずボソリとつぶやいてしまった。


「なにか発言でも、浜路?」


 地獄耳の隊長がこっちに視線を向けたので、慌てて首を横に振る。


「いいえ。なにもありません!」


 隊長は私の返答によろしいとうなづくと、ふたたび新しくやってきたパイロット達の紹介を再開した。


「……」


 チラリと白勢一尉の方に視線を向けると、一尉とバッチリ目が合ってしまった。どうやら、今のつぶやきを聞かれてしまったらしい。なにか言われたらすっとぼけておこう。



+++++



 たったそれだけの発言だったのに、いまだに白勢一尉は、このことを根に持っているらしかった。なぜそんなことが分かるかって? なぜなら、私を呼ぶ時に限って「ハナヂさん」とか「ハマチさん」とか言い間違えるから。しかもあの爽やかイケボ声で、ニコニコしながら、サラッとさりげなく。


 「ハマチ」はともかく、「ハナヂ」と言い間違えるなんて、あの時のことを根に持っているとしか思えない。


「おとなげないなあ、もう。イケボ枠なんだからイケボらしく、さっさと忘れてくれたら良いのに……」


 これがどういう理屈なのかといわれると説明が難しい。


 だけどこっちは一言しか言ってないのだから、いい加減に言い間違え攻撃をやめてもらわないと、割に合わないと思う今日この頃なのだ。

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