007.安全圏へ




 リンとフェンは、立ち上る凄まじい規模の煙を呆然と眺めていた。二人の心には困惑の念が広がっていた。ほとんど現実感の無い光景を目にして、二人はただただ曖昧な思いを心に抱くしかなかった。

 続いて、天地がシェイクされているような巨大な揺れがフェン達を襲った。フェンはリンを抱き寄せ、揺れが収まるのを待った。

 揺れはじわじわと消えていき、ついに収まった。フェンが慎重に外の様子を確認すると、空へ立ち上る雲を背景にして、荒野の向こうから風に吹かれたオフロードが走ってきていた。人型機の足元にそれは止まり、運転席からキーラが顔を出した。


「さっさと乗れ!」


 フェン達は色々と聞きたい事があったが、とりあえずはこの場を離れる事が先決だと思えた。


「大丈夫か? 少し我慢しろ」

「えっ!? ちょ、ちょっと……」


 フェンはリンの体を優しく持ち上げると、コックピットの出口から見える荒野の景色の中へ飛び込んだ。急激な落下の感覚にもかかわらず、リンの体にはいかほどの衝撃もなかった。フェンはオフロードの前にしっかりと着地しており、そのまま車の中にリンを労って運んだ。

 車内にリンを寝かせる時、フェンの目には初めて見る、怯えた少女――カムニエの姿が入ってきた。緊張と恐怖で声も出せずにフェンとリンを見る、この幼い拾い物については、フェンは何も言わなかった。しかし、彼の苦笑交じりの微笑みは、カムニエの緊張を幾分かほぐすのには役立った事だろう。

 フェンは車の助手席に乗り込むと、ベルトを締めながらキーラに口を開いた。その時にはもう既に、車は人型機を置き去りにして、凄まじい速度で出発していた。


「キーラ、お前マジで何やったんだ?」

「知るかよ。そんな事より飛ばすぞ。しっかり捕まってろ」


 キーラの運転の荒っぽさを知っているフェンは、後ろの二人へ注意喚起をした。リンはすぐにその指示を飲み込んだが、カムニエには言語の関係上伝わっていないようだった。

 そして、さらに車は加速した。Gの中和機構が壊れた人型機程ではないが、シートに体が引っ張られる感覚が彼らを襲った。窓から外の景色が瞬間的に流れてゆく。


「ちょっと、加減しなさいよ! こんな小さな子もいるんだから!」


 カムニエを抱きしめてあやしながら、リンが後部座席からキーラに文句を言った。カムニエはそのあまりの速度に驚いているのか、はたまた地震の恐怖にまだ怯えているのか、リンを抱きしめ返して、びくびくと震えていた。


「馬鹿野郎! ちんたらしてられねえんだよ! さっさと街に入らなきゃ、手遅れになる」


 フェンにはその懸念はよくわかった。

 あの爆発はすぐさま共和国の政府に伝わり、早ければすぐにでも、この辺りの街は厳戒態勢をとるだろう。街に入れなくなるということは十分にあり得る。

 フェン自身、切らした煙草の補充のためにも、さっさと街に入りたいのが本音だったので、特に何も言うことはなく、レッドまで振り切ったメーターを横目に座っていた。


「で、あの女の子は?」


 後部座席の褐色肌の少女を、バックミラー越しに眺めて、フェンはそう言った。


「拾ってきた」

「ふうん。名前は?」

「カムニエ」


 カムニエへの疑問は、この言葉だけで終わった。キーラが何かを拾ってくることには、大抵理由も意味もないことを、フェンはよく知っていた。なので、名前を聞ければそれで充分なのだった。


「ああ、一つ聞き忘れてた」

「なんだよ」


 ミラーに映るリンとカムニエの姿。リンよりも年下であろうその姿に、湧いて当然の疑問。


「誘拐じゃないよな?」

「親無しだ。俺はあいつから頼まれたんだぜ?」

「なら、問題ないな」


 フェンは今度こそ聞くべきことを聞き終わり、それっきり口を開くことは無かった。しかし、その憂鬱を湛えた瞳は、リンとカムニエの、言葉はつたなくも励まし合っているやり取りを、しばらく眺めていたのだった。




 ◆




 四人はなんとか入れなくなる前に街に辿り着くと、安堵の息を吐いた。

 フェンは煙草切れがそろそろ限界に近かったし、リンを病院に放り込まなくてはならなかった。リンもひとまずは命の危機が去ったことを、街中の慌ただしくも秩序だった様子で実感した。

 カムニエは言うに及ばず、キーラはとにかく今は酒が飲みたかった。ウカナへの出発前には、安物の酒をたらふく飲んでいたというのに。

 四人を乗せたオフロードは、駐車場にプスプス言いながら停まった。ボンネットは信じられないほどに熱くなり、ステーキもウェルダンに焼けそうだった。


「よし、とりあえず解散!」


 キーラは車を停めるなり、さっさと運転席から出て行った。フェンはいつもの事としてそれを眺めていたが、リンは恨みがましくその去っていく背を睨んでいた。乱暴な運転が何度か彼女の傷に障る事があったので、その恨みだろう。

 リンは立ち上がったり、四つん這いで動くことは出来たが、まだ歩く事は出来なかった。フェンはひとまずは彼女を医療機関へ預けることにした。


「まずは病院に行こう。君も、少し我慢してくれよ」


 今度のフェンの言葉は非常に分かりやすいバルト語だったので、カムニエも頷いた。


「ちょ、ちょっと待って。私のお金、首都の保管所に預けてあるの。取り寄せの申請するから、一度保管所に寄ってくれない?」

「なに、金なんて気にするな。そんな事よりも、さっさと病院に行こう」


 フェンは運転席に移動すると、休息に浸っていた車をすぐさまたたき起こし、無理やり働かせ始めた。エンジンの音は変質し始めていたが、結局は乗り捨てる予定の車だ。フェンは容赦なくギアを入れてアクセルを踏んだ。車は道路に入り、行き交う車の中に汚れた車体を馴染ませた。


「お金がなきゃ、入院できないわよ」

「心配するな、金ならある」

「いや、それ貴方のお金でしょ? まあ、立て替えてくれるって言うんなら、悪いけど甘えるわ。後で払うから、取り寄せ申請用紙を持ってきてね」


 三人を乗せた車は、静かに病院の駐車場に入った。フェンは車を停めて外へ出ると、二人に待っているように言いつけて、病院の中に入って行った。


「痛たた……痛み止めが切れちゃったかしら?」


 リンは身動きしないままでも、全身へ痛みが響いているのを感じた。シートに触れている肌は熱を持ち、鋭い激痛が絶え間なく広がってくる。大きく深呼吸しながら、頭痛がじんわりと湧き上がってきたのを懸命に抑えていた。


「大丈夫ですか……?」


 リンは隣の席に座る少女を見た。青い瞳が心配そうに、苦しげなリンを見つめている。


「大丈夫よ。病院だから、すぐにお医者さんが来てくれるから」


 リンは笑顔を作ってカムニエに笑いかけた。カムニエの目は少し安心したように揺れたが、それでも、全身を苛む真っ赤な火傷は、やはり心配な様子だった。


「待たせたな」


 車の扉が開き、フェンの顔が現れた。外には白い服の看護師が数人おり、ローラー式の担架が運ばれてきていた。彼らの視線はリンに向けられていたが、カムニエのはしたない姿を見て、フェンに不審げな目を向ける者もいた。


「なるほど、このお嬢さんですか。確かに酷い」

「ああ、よろしく頼む」

「ええ。皆さん、お連れしてください」


 看護師達が丁寧にリンを抱き抱えて、担架の上に横たえた。看護師達は点滴や消毒などの処置を簡単に済ませ、リンは病院の中へ運ばれていった。フェンは車に寄りかかってそれを見送っていた。


「ついて行かなくていいんですか?」


 おずおずとしたカムニエの言葉に、フェンは答えた。


「キーラを回収しなきゃならん」


 その言葉に、カムニエの顔は少し引きつった。フェンはそれを見て、彼女がキーラに何かしらのトラウマでも植え付けられた事を察した。

 しかし、彼を回収しなければならないのは事実だ。それに、まだやるべき事もある。


「君の服も買いに行こう。酷い身なりだぞ」

「え……あっ」


 カムニエの服は、破れてみっともない布切れと化していた。フェン達は全く気にしないが、公序良俗的には不味い。カムニエは全身を縮めて、恥ずかしそうに腕で体を隠した。

 フェンはカムニエの頭を撫でると、運転席に乗り込んで出発した。




 ◆




 キーラを見つけるのはそう難しい事ではなかった。彼は酒場以外の場所で見かけることの方が難しい人種なのだ。


「おうフェン。どうしたんだよ、え?」


 カウンターで酒を飲み、マスター相手に管を巻いていたキーラは、フェンの姿に陽気に手を振った。迷惑な酔っ払いの仲間と思われたのか、フェンは話に付き合わされていたマスターから少し睨まれた。


「お前を連れに来たんだよ。勝手にどっか行きやがって」

「何だよ、連絡なら……」


 キーラはポケットを叩いて、意外というふうな表情をした。


「あれ? デバイスどこだ?」

「車に置きっぱなしだったぞ」


 フェンの放り投げたデバイスを、キーラは上手くキャッチした。「ああ、そうだったな!」と快活に笑うキーラを、フェンは無理やり立たせて連れ出した。支払いは勿論キーラのカードである。


「ったく、酒くらい好きに飲ませろっての」

「これからの事は決めておくべきだろう。それに、あの爆発の件もあるしな」

「ああー、アレか。人型機置きっぱなしにしてきたからなあ」


 人型機の刻印マークから、フェンとキーラの事はまず間違いなく特定される。あの機体は軍の機体であり、傭兵登録情報と紐付けられて管理されている。爆発のあったウカナの近くに放置してきたので、何かしらのゴタゴタはあるはずだ。

 二人は車に戻り、酔っているキーラは助手席に、素面のフェンは運転席に座った。キーラは助手席に腰を下ろすと、後部座席に座るカムニエを見て、疑問に満ちた表情になった。


「何であいつまだいるんだ?」

「お前、自分で拾ってきてそれを言うのか」

「まさかあいつ連れ回す気か? ガキなんざ、足が鈍るだけだぞ」

「拾っちまったもんは、面倒見るしかないだろう。院に入れるにしたって、手続きもある」

「門の前に捨ててりゃ、面倒な事なんてないぞ。職員が勝手に面倒見てくれる」


 キーラは酷い言葉を吐いた後、席を倒して眠り始めた。帽子を顔に被せて、周りの光を遮断している。

 フェンはその姿を見て溜息を吐くと、買った煙草の封を開けた。一本取り出して口にくわえ、火をつけて、煙を吸い込む。その一動作が終わった後、車を発進させた。


「で、どこ行くんだ?」

「服屋だ」

「服屋ァ?」


 酩酊がいよいよ極まってきたキーラは放っておいて、フェンはショッピングセンターへ車を走らせた。服が買えるならどこでもいいのだが、フェンはショッピングセンター以外に服屋の場所を知らなかった。この街の地図はあまり頭に入っていないのである。


 ショッピングセンターに着くと、フェンは自身の上着をカムニエに着せて、二人で降りた。キーラは車の中で寝ておくらしい。

 ダボッとした黒い上着を着たカムニエは、ぎりぎり腰まで隠れている姿で、服の裾を少しめくれば露わになってしまいそうな危うさがある。

 この姿もこれはこれで不味いのではないか、とフェンは思ったが、少なくとも隠せてはいるので、よしとした。


「それじゃあ、買いに行くとしよう。ついでに腹ごしらえも済ませるか」

「はい」


 カムニエは少しワクワクしたように答えて、広いそでから出した華奢な手を、フェンの大きく固い手に繋いだ。フェンはその手を優しく握り返し、まるで兄妹か親子のように、連れ立って歩き始めた。



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