鎖国日本の日常

新座遊

俺の名は?は?

鎖国日本。閉じた系のエントロピーは増大する一方である。


人間社会でエントロピー増大といえば、秩序から無秩序へ向かっていく姿を思い浮かべる。歴史的に見て、それを防ごうと為政者は努力を重ねていた。

江戸時代の身分制度などは、秩序を維持するための道具だったといえる。


とは言ってもね、現代社会で身分制度なんて自由民権の成果を台無しにしてしまう。

そこで近代的思考の日本人は、鎖国を実施するうえで必要な秩序維持の制度を考案し、実行していた。キャラクター入れ替え法である。


「臨時ニュースを申し上げます。本日深夜12時より、キャラクター全取っ替えを実施いたします。皆様、新たなキャラクターに備えて、早めの就寝をお願いいたします」


あちゃあ、一年ぶりのキャラクター取っ替えだ。それもなんと日本人全員での取っ替えとのこと。これは大規模な混乱を巻き起こすな。

本当にこんなことで秩序維持ができるのか謎だが、世界最高のコンピュータが心理社会学的に構築したとされる制度だ。信じるしかあるまい。

俺は早々に寝床についた。明日、目覚めたら、どうなっていることか。


「さて、俺は誰になっているかな」

起床してすぐ洗面台の鏡を覗いてみる。なんだこりゃ。女の子?

「リンドバーグというキャラクターですね。ロールアイデンティティとキャラクターヒストリーログをご確認ください」

俺の身の回りの世話をする黒子がぼそぼそとつぶやくように教えてくれた。

「なんだそれ。聞いたことないぞ」

ともあれ、しばらくはそのキャラクターを演じなくてはいけないのは間違いなさそうである。早いところ、この人物の生い立ちを把握して、相応しい立ち回りをしなくてはならない。とにかく、ログを参照しよう。あれ?あれれ?



困った。これはシステムに問題が発生したようだ。つまり、このリンドバーグとやらの、今までの暮らしっぷりを記録したログが壊れていたのである。どういう人間関係を持ち、どういう性格で、どういう仕事をしているのかすらわからない。

黒装束の黒子に訴える。

「ちょっとさあ、ログが壊れてるんだけど。どうすりゃいいんだよ。女の子の振る舞いなんて、素では出来ないぞ、俺」

「承知しました。対策を確認します」黒子は何やら通信機を取り出し、高速言語でペチャクチャと誰かに向かってなにかの情報を伝え、何かの情報をもらったようで、納得したように頷いた。「では、そのようにリンドバーグ様にお伝えします」

「で、どうだった。ログ復旧するか、もう一度キャラクター戻してもらうか、どっちだ」

「はい、そのどちらでもありません。これは単に、記憶喪失の女の子、という役割でふるまっていただけば問題ないそうです」

「え?ということは、どういうことかな」

「リンドバーグという名前だけは憶えているが、それ以外のすべてを忘れた女の子として生活してください」

「いやいやいや、それはおかしいだろ。どこから手を付けていいかすらわからんわ。そもそも俺のオリジナルキャラクターは男だぞ。女の振る舞いなんてできるわけないだろ、ログとロールがなければ」

「ロールは壊れてないので、女の子にはなれますよ、大丈夫、頑張ってください」

「ちょっと無理。そんなこと言うなら、お前がやれよ。ロールは譲るからさ」

「はい?私は黒子ですよ。私がリンドバーグ様と入れ替えるということは、あなたは黒子になるということですが」

「別にいいよ、黒子の役割のほうが分かりやすいし、やったことあるし」

「まあそういうことなら」黒子はまた通信機を取り出し、高速言語でどこかと会話する。「はい、はい、そうです。前例はあるから大丈夫ですか。はい、了解しました。では、入れ替えを実行いたします」

そして俺に向かって黒装束の顔布を差し出した。「当局の了解を得ましたので、衣装を取り換えましょう」

顔布を取った黒子はかわいい女の子だった。ちょうどよい。キャラクターに相応しい姿である。

俺は黒装束をもらい、顔布を顔面に垂らした。これで俺が黒子だ。

「では、リンドバーグ様、日常生活をお送りください」と俺は言った。

リンドバーグは、ちょっと首を傾げて、どういうキャラクターで生活しようかとブツブツ呟いてから、一言、思いついたセリフを吐いた。

「翼よ、あれがパリの灯だ」


いや、それはたぶん違う、と俺は思ったが、黒子としては黙っているだけだった。








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