第三章 3.
不意に沸き上がってきた感情が、記憶のパスを繋げる。あれは確か、冬の日だった。今のように雪が降り、そして今よりもずっと暖かだった日。
何を飲んだのか、覚えていない。ただ、グラスに注がれた透明でとろりとした酒を飲み下しただけだ。美味いとは思わなかった。感じたのは、酔う、という感覚が思ったほど心地いいものではなかったということだけ。なるほど、確かに感情が蒙昧となって、嫌なことは忘れられるだろう。だがそれは、一時の逃避に過ぎない。
だが彼女には、その一時の逃避が必要だったのだ。
(……酒、か)
少女は、トウヤと同じ年だった。だというのに、すでに酒の味を知っていて、彼の知る限り、酔っていない日などなかったはずだ。年の離れた兄に教わったらしいが、ついに最後まで、彼女が何を飲んでいたのかは知らずに終わってしまった。
終わってしまった。そう、終わってしまったのだ。彼女は――殺された。そしてその兄も、両親も。住んでいた家ごと、周辺の街ごと――そしてトウヤの家族も、まとめて焼き尽くされた。吹き飛ばされた。
――魔法使いによって。
《壊す》ことしか能がない、魔法使いによって、殺されてしまった。
戦えなかった。いや、戦うことは、できたのではないか? 勝つことが目的ではない。一矢報いて、そして散ることだってできたはずだ。自滅覚悟でなら、たとえ相手が超一流の戦闘魔法使いであっても、手傷を負わせることくらいはできたはずだ。
しかし、それはできなかった。意味のない後悔。彼女は死んだ。彼女は殺された。彼女は死んだのに、――僕は生きている。守ると約束したのに、守れず、そして、僕は逃げた。逃げて、逃げて、逃げて……どことも知れないこの森の中、雪の中にうずくまり、悔やんで生きている。
「トウヤさん……?」
はっとした。
それはトウヤが看病していた少女の声で、そして少女はこの森に踏み入ってきた人間で、トウヤは悔やみ、そして無様にも生きている。
「……目が、醒めた?」
思っていたより、平坦な声が出せた。物思いに耽っていた風を装いながら、椅子から立ち上がる。床が、黒く腐った沼のように思えた。足を絡め取ろうとするのは、きっと憎悪の感情。しかし大丈夫だ。平静は装えている。彼女に、この腐った沼は見えないはず。
ティセの額に手を乗せてみる。熱は下がったようだった。ティセが弱々しい目線で見上げてくるので、どうかしたのか、と問いかけた。
「……誰を思って、泣いていたんですか?」
背中に爪を立てられたような、微かな焦り。顔が引き攣りそうになるのをこらえ、微笑んだ。我ながら、薄っぺらい微笑みだと思いながら。
「僕は、泣いてないよ」
「でも、泣いてるように見えました……」
「錯覚さ」
ティセは、少しだけ黙った。今まで眠っていたせいだろうか、少し潤んだ目でトウヤのことを見上げてくる。
「分かりました、泣いていなかった。でも、誰かのことを想っていたのは、間違いないですよね?」
「どうしてそう思うの? 精霊がそう言っている、とか?」
「いいえ、勘です」
きっぱりと、断じる。そしてトウヤは、動じる。
勘などという、不確定要素によって見抜かれた内心を、どう包み隠せばいいのか分からない。
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