第二章 10.

「ちょっと待って下さい……トウヤさんのいた世界では、その並行世界という場所に、自由に行けるんですか?」

「いや、さすがに無理だよ。ソラを飛ぶのがやっとっていう時代だった」

「つまり、並行世界は仮定でしかないってことですよね?」

「そう、だね。誰も見たことがないものだし、あるんじゃないかな、くらいにしか、僕は捉えていない」

「でも、トウヤさんはここにやってきた。それって、すごいことじゃないんですか?」

 言いながら、ティセの目が見る間に輝き始めた。対照的に、トウヤはその輝きが意味するところを悟って、気分が沈んでいくのを自覚する。あくまで一般論だ、という意図も込めて、淡々と答える。

「仮に、ここが本当に並行世界であれば、快挙だと言っていいだろうね。ただ、ここにいて、同時に僕のいた世界を観測することは、僕にはできない。だから、並行世界『かも知れない』くらいの見解に留めておくよ」

「いいなぁ、立派だと思います」ティセはしかし、トウヤの内心には気付かないようだった。「トウヤさん、私を、連れて行って下さい。トウヤさんの住んでいた世界に。知らない世界を見られるんだから、この世界の国々を旅するよりも、ずっといろんなことを学べるはずです」

 きらきらした輝きを求めるかのような、純粋な子どもに似た目。トウヤにはその目に見覚えがあって、そして、同時にそれは彼の傷を抉る記憶だった。

「……いや、だめだ。連れて行くことは、できない」

「えぇ、どうしてです? ここよりも、ずっと文明が進んでいるんでしょう? 着ている物を見れば分かります、毛皮じゃないんだもの」

「だめだよ……僕は、あの世界から、逃げてきたんだ。もうあそこに、あの現実に立ち向かう勇気は、僕には、ない……」

 血を吐くような、あるいは内腑を蝕まれるような、そんな声だった。

「……僕はもう、誰も失いたくない。だから、誰にも干渉したくないんだよ」ティセとは対照的な、ドロドロに濁った目が、彼女を見上げる。「もちろん、君とだって……」

 干渉したくなかった、と言われて、ティセは強いショックを受けていた。体の中から、錆びた刃物が突き出してくるような、重さを伴った痛み。しかしそれと同時に、ほんの少しだけ嬉しく思っている自分がいることに気付く。どうして嬉しいのかしら、少しだけ考えて、それはすぐに閃いた。少しだけ、微笑む。

「やっと、本心を言ってくれましたね」

 トウヤが今までとっていた、どこか距離のある態度。それもそのはず、不必要な干渉をしたくなかったからだ。しかし。

「でも、あなたは助けてくれたじゃないですか、私を。魔物に襲われた私を、二度も助けてくれた」

 トウヤは、答えに窮したように瞳を揺らす。ややあって、なけなしのお金を差し出すような声で言った。

「……目の前で、誰かが傷付けられるのが、嫌だったんだ。なんていうか、自分の傷を、思い出すから」

「それのどこが悪いんです? どんな理由であっても、人を守れる人っていうのは、優しい人じゃないとできない。優しくて、強い人じゃないと、できません……!」

「…………」

「そしてあなたは、自分のその優しさに、気付いていないだけなんです。あるいは、気付かないように目を反らしているだけなんですよ」

 ピン、と。

 トウヤの心の中で何かが弾かれる。その音ならぬ音の正体を知るより早く、彼の心は決壊していた。

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