カタリ

テキスト工房

カタリ

 トリは心配だった。

 カタリの様子がおかしい。

 いや、まえから、行先をまちがえたり、突然大声で叫んだりして、おかしいといえばおかしかったのだが、今回のはそれとはちがう、おかしさだ。

 行先をまちがえたのは、カタリィ・ノヴェルが方向オンチだからだし、絶叫したのは、小説の格闘シーンで「いやぁああああ」「とあああ」「ちぇーーーすと」としか書かれてなかったからで、それぞれ理由がある。

 だが、気がつくと、2時間でも3時間も動かずにぼーっとしているというのは、普通ではない。

「おい、起きろ」

 放心状態となったカタリのほおを、トリが翼ではたく。

「なにがあった」

「え、ああ」

 我にかえったカタリは首をふった。

「なんだろう、あの本は」

「おまえ、詠目(ヨメ)を使ってたのか」

 もともとフクロウに似て丸いトリの目が、さらに真ん丸になる。

「とても、本を読んでるようには見えなかったぞ。口をぽかんとあけて、よだれたらして、遠い目をして。詰め込まれる知識量に、ついに脳がパンクしてしまったかと…」

「失礼だな。ぼくの脳はまだまだ全然余裕さ」

「おまえ、かたっぱしから忘れるからな」

「よけいなお世話だ。そうじゃなくて」

 考え事をすると、首をかしげるのがカタリの癖だった。

「あれ、どんな話なんだろう」

 カタリに与えられた能力、詠目(ヨメ)は、人の心に入り込んで、隠された物語を見つけ出す。

 その力は言語を超越しているから、その人が使っている言語がなんであっても関係ない。

「おかしいなあ。これ、こわれたのかあ」

 左手で、詠目(ヨメ)の力が宿る左目をこするカタリ。

「そんな簡単にこわれるものか。立ったまま居眠りして、夢でも見てたんじゃないか」

「まさか、トリじゃあるまいし。でも、どっかで似たような本、見た覚えがあるんだよなあ」

「どこで見たんだ。日本か、アメリカか、中国か、ドイツか」

 カタリとトリは、人の心の中で紡がれた本を入手すると、その物語を必要としている人が、世界中どこにいても届けることができるのだが、たまに、同じ本を必要とする人がたくさんいると、世界中を飛び回ることになる。

 たとえば、クリスマスの時期になると、多くの子どもたちがサンタクロースの物語を必要とするといった具合だ。

「それが、どこでもなくて、どこでもあるんだよ」

「なんだそれ。詠目(ヨメ)の力がはたらくのは、これまでにない物語が生まれた時。そして、それがどこであれ、すぐにその場所へ呼ばれるはずだ」

「それは知ってるよ。でも、さっきからぼく、どこにも呼ばれてないじゃないか。体はここにあるのに、近くにあるみたいに物語が見えるんだよ」

「いやいや。だから、本を読んでる風には見えなかったって。だいたい、どんな内容なんだ」

「それが、思い出せないんだ。でも、すっごくいい気持ちだった」

 たまに、カタリは、小説ではない本の誕生に立ち会うことがある。熟練したコックが思いついた独創的な料理本とか、天才的な医者が考えついた画期的な医学書とか。

 それぞれ、必要とする人がたくさんいる本だが、今回のは、それらとはちょっとちがうようだった。

「言葉じゃないんだよ。心に入ってくるんだ」

「へんなこというな。言葉じゃなきゃ、なんで書かれてるんだ、その本は」

「もしかしたら、まだ言葉がしゃべれないのかも」

「しゃべれないって、赤ちゃんか」

 興奮したトリは、カタリの肩で、羽根をばたつかせた。

「心の中に本を持ってるって、どこにいるんだ、そんな赤ん坊」

 が、カタリが正しかった。

 そのとき、天上界より、人として生まれ変わったメシアが誕生したのだった。

 詠目(ヨメ)は、下界に降臨したメシアが大きくなったとき広めることになる、人々を救う経典を読みとったのだった。

「トリ、もしかしたら、見つかったかもしれないよ」

 嬉しそうにカタリはいった。

「至高の一篇」

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