ダンジョン・ドッグラン (~魔王通り 逢魔横町 ヒャッハー怪隈奇譚・奇話もの編~)

樅垂木 白牛

第1話 とある冒険者の誕生

「冒険者登録をお願いします、なの!」


 その日は金曜日。後10分ほどで午後5時をまわり、冒険者ギルド品河環四しなかわかんよん迷宮入出管理支部、略称『環四支部』の一般事務対応は通常業務も終わろうという時刻であった。

 6人小隊チーム私設自警団クランという形態をとっても冒険者は基本、個人の自営業。特に営業時間が定められていない以上24時間営業であるし、そんな彼彼女らのサポート機関として運営される冒険者ギルドも当然のように24時間、休み無しでの運用となる。

 が、最近の世間では週休五日制が定着しつつある。それは稼ぎに余裕のある主力冒険者が実践しはじめ、徐々に若手や新人へも広がっていて体力的に無理をしがちな世代の存命率を上げ、全体的に好ましい変化と受け止められていた。

 それは単なる雇われ事務な受付嬢、A子(仮名)にも嬉しい状況だ。基本給は変わらずに休みが増えるから。性根は善人でも基本、馬鹿な言動と行動の多い冒険者ばかの相手で削れる精神は、純粋にそんな現場から離れられることでしか回復しないのだから。

 そんな本能的な癒しを求める擦り切れた精神が、まだかまだかと待ち焦がれる気持ちは無残に踏みにじられる。見目麗しい、天使のような眼前の少女によって。


「し……新規の登録でしょうか?」

「そーなの!」


 受付嬢A子(仮名)には少女の返事を聞くまでもなく解っていた。どう見てもまだ十代前半な外見。あわせて言動の幼さ。どれも演技ではなく素の仕草である。眼鏡型魔道具での視覚化した魔力が尋常じゃない規模の魔力放射を身体から放ってはいるが、この業界歴五年のA子(仮名)の観察眼は、この少女は冒険者には思えないと結論を出していた。故に、同業歴で築いた職業的反応は半端意識することもなく自動で言葉を紡ぎだす。受付嬢の対応は新規登録者と認めた者への定型文なのである。

 だがそれで一応、自分の中の気分を仕事モードに復帰した受付嬢は改めて少女の観察を深める。そして看破した中々の個性に脱帽した。

 身長は150に届くか届かないか、体重は細めの体格から平均よりも軽いだろう。金髪、白磁の肌といった特徴は北方大陸系人種に典型的なものだが、瞳が碧ではなく蒼なことから純潔種じゃないのが解る。というか、そんな特徴を完全否定する部位があることから純潔でないのは確実だ。


 (……犬耳? 獣人種ロアードじゃなくて獣症人ライカンスロープ?)


 少女には明らかに異貌といえる特徴があった。生粋の獣人系人種ならば北方系人種に似た特徴があったとしても必ずある部分が欠けているのだ。牙ともいえる八重歯が無い。地肌を隠す産毛も無い。例え素肌に観えようとも、ほぼ透明の産毛で全身を覆うのはどのような獣の特徴をもったとしても共通する獣人種の特性である。

 ならば残る可能性は病症としての獣の特徴。吸血魔獣系統の魔物から感染して獣の特徴を発症した者となる。それならば透けるような素肌のまま犬耳を生やす理由として十分。さらに――


 (あ、ちゃんと尻尾もあるわね。あらあら、まあまあ、気持ち良く振っちゃって)


 冒険者見習い定番の新品の革装備を着こんだ小柄な体躯の背後で揺れる大毛量の犬の尾。耳も含めて毛髪と同じ毛色のそれは、とても病気で生えたとは思えないくらい、おそらくは少女の感情に同期し動いている。非常に愛らしさを増強している反面、その反応は病状の深度が深いことも現し、仮に完治の処置をと考えたら膨大な医療費が必要になるのだとの雑学に思い至る。

 同時にA子(仮名)には、この少女の生い立ちが解った気にもなった。


「では身分証か、もしくは保護者からの許可証を提示して――」

「ほらこれ。許可証な」


 ――『提示してください。あと感染防護に関する保証書類もあれば提出を』とまで云おうとして途中で遮られたA子(仮名)は、その時はじめて、少女が独りではないのだと気づいた。

 少女の背後には二人の人物。一人は影色のフードつきコートを被った外見からの正体は不明としか言いようのない人物。高めの背丈と辛うじて解る骨格、くわえて先程の言葉の質から男性だとは半明するも、それだけだ。フードで顔の上半分が隠れているため人相すら解らない。せいぜい、唯一確認できた口元は無精ひげが多めというくらい。それでは脳内のデータベースに収めた都内で活動する冒険者と精査する情報たりえない。

 今すぐの判別は不可能と諦め、視線は彼から出された許可証へと。紙質、印刷インクからの魔力波長の反応、加えて眼鏡に視覚化されたコピー妨害用の図印は、この許可証が偽造品ではない正式なものだと証明する。記載された内容も並行して確認し、同じく偽られたものではないと判断した。記載の中に感染処置への対応済み情報が記されていたのには、単純に手間が減って助かる。


「許可証を確認しました。それと一応の確認ですが、貴方が彼女の保護者ですか?」

「あー、いや。保護者からこいつを監督するよう言われた代理人だな。同じチームで登録することになる」

「なの!」

「ああ、なるほど。ではもう一人の方も?」

「そうです、ね」


 男性に半歩下がって並ぶもう一人の人物。特に外見を隠してはいないので女性なのは確実だ。背が高く大人びているが推定できる年齢は二十歳前。おそらくは17~18。同性だからこそ解るそんな仕草が端々に出ている。ただ正体までが解るかというと、そこは完全に解らない。

 ちょっとこう、奇抜な馬鹿の多いこの業界にあっても、彼女の風体は異様過ぎるのだ。

 基本のデザインをと例えるならば、巫女装束。上半身は白系、下半身は赤系の配色からそう連想する。だが素材は布ではない。金属だ。しかも巫女には必須といえる要素が真逆。女性的に隠すべき部分がまったく隠せていないという姿である。それいわゆる、ビキニアーマーというやつだ。女性云々以前に、胸と股間しか防御していない部分にアーマーとしてどうなの? と問いたくなる特殊装備である。セパレートトップが和服の前襟を模しているホルターネックで一応は首元をガードしているとか、パレオパーツの一種かウエスト前面をギリギリ隠す部分も含めればモノキニ風でガード率なくね? という意見はA子(仮名)的には無しの要素である。むしろ観ようによっては一部オッサン冒険者が渇望するという『裸エプロン』を連想しかねないのだから戦犯ものとの判断からだ。あの連中にはエプロンを着けてくれる嫁という概念自体が欠損しているのだから、彼女の姿は今、この場に居合わせた冒険者の何割かを原因不明のトラウマなフラバで再起不能にしかねない、まるで見た者を石に変えるメデューサに並ぶが如くの、実に危険なものなのである。


 (というか、あれこぼれる。走れば確実にポロリだから!)


 A子内命名、『痴女巫女』の脅威の胸部装甲軟質緩衝材。緋色のロングヘアをかき分け隆起し、ハーフカップのお椀にただ乗せているだけともいえる二つの小玉西瓜なソレは、嘘偽り無く己の呼吸だけですら揺れるという凶悪さである。自覚無くうっかり下唇を噛み切りかねない仕草をしていたA子(仮名)は、その時になって初めて、自分ではけっして知りえない未知の次元の堕肉を渇望していたのだと自覚して恐怖した。『あの偶像悪をネジモギリたい!!』という自分の暗黒面を直視してしまい、SAN値の超変動に正気を失いかけていたのに驚愕した。

 さらには、そんな恰好の当人へんたいが自分の姿に多少なり羞恥心を抱えていて、それが不思議と清楚さを醸していることを理解してしまい、あんな変態が自分では到底到達しえない遥かな高みの存在なのだと認識し、そこに至れない己の矮小さに心の中で真から泣いた。


 (ううう、女王様な仮面無しの素顔とかなら全国に晒してやるのに……)


 もはや社会人としての人格諸共女性としてのプライドを粉砕されたA子(仮名)である。だがそれでも、受付嬢として培った能力は失われていない。内心はともかく表層的には事務的な作業にそつはない。

 最初の少女の冒険者登録を済ます傍ら、同じチームとなる二人の身分証、この場合は冒険者登録を記載した冒険者証カードタグの確認とチーム結成処理をする。

 その時点で男性が『ジョン』、痴女巫女が『アン』と確認したが、ほぼ同時に少女がジョンのことを『かり……』と呼びかけて拳骨で止められたことから偽名なのだと推察する。というか、A子(仮名)が『お二人の身分証を』と問うた時点で『ああ、ちょっと待て』とジョンが言いつつ、ローブ内の懐で暫し探るようにしてからアンのも含め二人分を取り出したのだからバレバレである。

 もっとも、冒険者証は身分証として使え個人の情報を記すものではあっても絶対に真実を記載しなければならないものではない。あくまでこの国、この都市で活動する際の個人情報でさえあればいいのである。冒険者証内に記録される賞罰記録や換金記録が重複し、複数人分の課税対象となっても当人の自己責任なのだから、ギルド側で深く追求する問題でもないのである。A子の中ではそれ以前に、今の無力感に押し潰された心情では追求する余裕が無いのであるが。

 全ての事務が終わり、後は仕事の範疇からは外れるがこの業界に生きるものの義務として、新人冒険者へと贈るギルドとしての儀式となる。


「では、ただ今より貴女は冒険者となりました。我が冒険者ギルドは、今日この日よりの貴女の働きが人々の糧となり富となり、なにより貴女の名声を高め、やがては英雄、勇者へと至る道となることを、切に祈ります」

「はいっ、なの!」

「では冒険者『ワンカ』、その証をどうぞ」


 出来たてホヤホヤの冒険者証を犬耳の少女改め、ワンカに手渡すA子(仮名)。この儀式はギルドでは定番の一幕であり、純粋無垢の喜びの姿は感動の気持ちを生む。

 だが明け透けに言ってしまうと、この儀式は別段珍しいものではない。特に時期によっては同じ儀式を数分おきに繰り返すA子(仮名)にとっては、場合によってはウンザリともとれる内容だ。

 しかしこの日は違った。純粋無垢と同じ言葉で綴ってみても内包された密度、もしくはレベルの桁が違う。まるでワンカの喜びの感情が光の魔術に変換されたが如くの、A子(仮名)の視界そのものを眩しく塗り潰す事態である。

 さらにワンカの外見がA子(仮名)に幻視を見せた。それは生後半年ほどのゴールデンレトリーバーが見た目は成犬になりながらも中身は幼犬のまま、御主人の足下から見上げてボールで遊ぼうと強請る幻視である。つい、手渡すはずのボール……もとい冒険者証を『ほら取ってこーい』と放りそうになったA子(仮名)は、受付嬢としての鋼の精神と鉄面皮(スマイル付与)を全開にして幻視に精神抵抗し、辛うじて成功する。見た目だけはなんとか取り繕い、自分の冒険者証を手にしたワンカの喜びように密かに安堵したA子(仮名)である。

 ワンカの背後でこちらから顔を背け、小刻みに肩を震わせているジョンは意図的に無視しつつ受付嬢としての職務のまま冒険者御法度を説明するが、それをまた子犬のような反応で返すワンカにA子(仮名)の心が乱される。ジョンの肩の震えが大きくなり、アンが実に気まづい雰囲気を醸すのが気になる。


(なんかあのジョン、『スゲー鼻息』とか言いましたか?)


 確かにと、言われてはじめて自分が過呼吸気味と自覚するも止まらない。なにか自分でも知らないスイッチが入ったように、異様な興奮を襲われていたA子(仮名)である。


「あー、素人さんにリン……いえワンカちゃんの魅了効果は猛毒ですよねえ」

「うーむ、最近見ない新鮮な反応にマジ笑える」


 誰かが何かを言ってたようだが、残念ながらA子(仮名)の耳には届いていなかった。意識が謎のモヤに包まれボヤけていくのを止められないまま、外面だけは受付嬢の責務を取り繕い自動的に状況を進める、残念な機械に成り下がっていたのである。

 それが突然、ワンカの一行が去ろうという時に復帰したのは、彼女等の周囲に初見でこれまた未知の、本来こんな場所に存在してはいけないモノを見てしまったからだった。


「あ……あの、すみませんが、貴方方の足下のソレは……?」


 A子(仮名)の言葉に反応したのはジョン、アン、ワンカの順ではあるが、それよりなにより、即応とばかりに反応したのはその当事者たちである。


「ひーの!」

「ふーの!」

「みーの!」


 それぞれ小さく細い右手を上げての元気のいいお返事。三人ともに瓜二つの見た目をした、三つ子の幼児にしかみえない子供たちである。

 年齢はせいぜい3~4歳。肩に届く程度の若草色のボブヘアに黄色みの地色なままの生成りのスモック風のワンピース。オムツが外れてないのかとも思えるかぼちゃパンツを穿いて何故か足元は裸足であった。

 どうやらA子(仮名)の対応中は彼らの足下で静かにしてたかでカウンターの影になり、居るのを認識できなかったのだと思い至る。だがそれよりも、そんな幼児たちが何故ここにいるのかという疑問のほうが大きい。父兄同伴という状況が皆無とは言わないまでも、ギルド内は幼児にとって危険となる要素も多いのである。なにより、ワンカによって変な刺激に敏感化したA子(仮名)には、その幼児三人が完全に庇護対象に写っていたのである。

 だからこそ、ジョンが発した言葉を即座に理解することができなかった。


「ああ、こいつ等はオプション、な」

「……は?」


 思考停止中のA子(仮名)にヒントとでも言うつもりか、三つ子はワンカを中心にして『おーぷしょん、おーぷしょん』と唱和しながらスキップつきで回り始める。惑星の周りを公転する衛星のような絵面に誰ともなく『それオブションちゃう、オービーターやろ』と言葉にならないツッコミが出た気もするが、状況的にはただ微笑ましいお遊戯の披露だけで時間が過ぎた。A子(仮名)が復帰したのは、三つ子がたっぷり30周を終えたあたりである。


「え……あ、オプション……ですか?」

「いや、その前に鼻血。拭けな」

「なの」


 アンがそっと出したティッシュがA子(仮名)の顔面に二本の葉巻のような紙縒りとなって突きささる。女性的に実に無残としかいえないが、A子(仮名)自身は実に癒された印象なので問題は無かった。

 結局、A子(仮名)の通常業務はおおいに超過し、気づけば二時間以上の残業である。ワンカ関連の作業自体は30分程度で終わり当事者たちも帰ったものの、その後のA子(仮名)が正気に帰らなかったための無駄残業となった結果であった。当然、管理主任からは無慈悲なサービス残業に処されている。

 だがしかし、A子(仮名)には不満が欠片も無い。仕事の疲れがまったく無いのだ。癒された……という言葉が生温いほどに、今のA子(仮名)は癒されていた。茫然自失の役立たずと化していたのは残念だが、最終的にギルド職員の仮眠室に放り込まれた翌日より、異様に仕事に精を出す将来有望な職員が誕生したのである。


 この一幕は、そんな切っ掛けを生んだとある冒険者チーム誕生にまつわる一節。


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