終わりなきモラトリアム

抜きあざらし

終わりのサレナ

 私は今、十年来の友人にを切り出されている。

 昨日まで一緒に遊んでいた。なんならデートコースの暗唱もできる。そもそも、今日も彼女の誕生日プレゼントを買いにブティックを巡っていたところだ。まさか休憩がてら入った喫茶店でこんな話をされるとは思ってもみなかった。

「言いにくいんだけど、あたし別にレズビアンじゃなかった。でもユカリだってそうでしょ? ごめんね、付き合わせちゃって」

 別れ話というのは、何かの比喩表現ではない。若気の至りと言うのだろうか、私達は同性でありながら交際していて、肉体関係も結んでいた。彼女の発案だ。どうやら自分の性自認に自信がなかったらしく、一緒にいると楽しいらしい私に告白してきた。

「ああ、やっぱり? 私もそんな気はしてた。美紅みくはビアンって感じじゃないよね」

「そうそう。なんかねー、運命だって思ったんだけどねー。まあ、モラトリアムってやつ?」

 彼女の我儘に付き合ったのはこれが初めてではない。恩着せがましく一つ一つを覚えているわけではないが、ワンオペ明けに初日の出を見に高台まで運転させられたのはよく覚えている。助手席で騒ぐ彼女を見ているのは楽しかったし、水平線の彼方から浮かび上がる陽光も綺麗だった。そのあと車中泊をして関節がボロボロになったのは苦い思い出だが。

 それから私は、彼女の話に適当に相槌を打ちながら気持ちの整理をしていた。

 彼女は、職場の先輩の話をしていたと思う。これが本当の恋なんだとか、そんな話だったと思う。半分も聞いていなかったので、細かいことはわからない。

「それでさー、最近別れたらしくて……ユカリ、聞いてる?」

 これだけ長い話に付き合ってやったのだ。少しぐらい我儘を言ってもいいだろう。

「んにゃ……聞いてなかったかも」

「ちょっとー。ユカリにしかこういうこと話せないんだからさー」

 昔から彼女は同性に嫌われやすかった。男ウケのいい顔の作りをしていたことと、甘えるような声がそうさせたのだろう。今でもその御多分に漏れず、職場でも浮いているのだという。

 そんな彼女を好きな私は、きっと少し……いや、かなり変な人間なのだろう。あまり周囲を気にしたことはないが、友達はこれまでの人生を通してほとんど居なかった。

「ごめんごめん。ちょっといろいろあって」

 胸の内で渦巻くようなどす黒い感情を、なんとか喉元で塞き止める。いつ決壊してもおかしくはない感情のダムに、この場の空気と私達の関係は支えられているのだ。

 そう。


 私は本気だったのだ。


 同じ高校に上がったあの日、もう来ることもない三年生の教室で、彼女は私に告白した。ずっと前から悩んでいたこと、二人で居ると何よりも楽しいこと、きっとこれが本当の恋なのだということ。その情熱的なアプローチは、十年近く経った今でも忘れることはできない。いや、今の今まで忘れる必要はないと思っていた。だってそうだろう、二人の大切な思い出なのだから。

 でもそれは彼女にとって、いつもの我儘の一つ、彼女の言葉を借りるなら、モラトリアムの発露でしかなかったのだ。デリケートな問題だから、少しは真剣だったのかもしれないけれど。

 ――あの日の言葉、「女だったら誰でも良かったわけじゃない」……それは私も彼女も同じことだと思っていた。いや、きっとそれは事実だったのだろう。彼女にとってのそれは、私とは少し意味が違っていたというだけで。随分な皮肉ではないだろうか。

 私の返答からなにかを感じ取ったのだろう。彼女は可愛く首をかしげてこう言った。

「ユカリに悩みなんてあったんだ。どれどれ、あたしに話してごらん?」

 それがどれだけ残酷な言葉であったのか、きっと彼女は微塵も理解していない。感情のダムが、危うく壊れそうになる。

「……いいの? 話して」

「友達でしょ?」

 そうだね。私達は友達だね。

「明日の仕事がちょっとね、面倒くさくって。別に大したことじゃないよ」

 ぐっとこらえて、そう言った。

「なーんだそんなこと。まあ、明後日は祝日だし、ゆっくり休みなよ」

「うん、そうするつもり」

 そう簡単にこぼしてなるものか。意固地になった理性が、本音の濁流を押し留める。彼女の我儘に振り回されて鍛え抜かれたその忍耐力が、今は頼もしくもあり憎らしくもあった。

 紅茶を飲み干した彼女は、とうに空になった私のコーヒーカップをちらりと覗いてから言う。

「じゃ、そろそろ買い物に戻ろっか」

「そうだね」

 私が頷くと、彼女は不意にもじもじと身を捩り始める。なんのことかと首をかしげると、上目遣いでこう言った。

「そ、その……ほんとごめんね。いろいろ振り回しちゃって。あたしも、あんまり我儘言っちゃ駄目だと思ってるんだけど、その、ユカリが相手だと、どうしてもっていうか……」

「大丈夫だよ。気にしてないから」

「ほんと? 怒ってない?」

「怒ってないよ」

「そ、そう? 良かった。……それじゃあさ、これからも友達で居てくれるかな?」

 自覚、あったのか。

 酷いことをしていると、わかってやっていたのか。

「友達……ね」

 意外だった。私はもう少し忍耐力のある人間だと思っていた。

「私は恋人だと思ってたんだけどなあ」

「え? どうしたの急に」

「……帰る」

 顔を見られたくない。

「ちょ、ちょっとユカリ、どうしちゃったの!?」

「じゃあね」

 残された彼女は、果たして呆然と立ち尽くしていたのだろうか。そうだったらいいな。でもきっと美紅のことだからすぐ帰っちゃったんだろうな。

 そうだとしたら寂しいな。我儘だとは思うのだけれど。

 これから私はどうなるのかな。

 彼女となにを話そうかな。

 どう接したらいいのかな。

 もう会うこともないのかな。

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