幸せのタイミング

遠野歩

告白

 吉場よしば里美さとみは人生の転機を迎えていた。


 職場の先輩で2歳年上の三田みたから、去年のクリスマスの夜、告白されたのだ。


――プロポーズだった。


 口下手だけど誠実で、周囲を見ていないようでいて、必要な時にはそっと手を差しのべる……そんな三田に対して、里美は少なからず恋心を抱いていた。


ただ、問題があった。


「そ、その、まず、お付き合いをしてみてから。その…」


「そうですよね。突然、困らせるようなことを言って…すいません。それにもう決まったお相手だって

……えっ!?

あの、ぼくと付き合って頂けるということでしょうか?」


「は、はい。よろしくおねがいしますっ」


 ※


 奥手で、口下手同士の恋である。きっと今時の小学生女子の方がよっぽど恋愛レベルが高いだろう…


平日の夕方の公園でブランコに乗る子ども達の背中を横目で見ながら、里美はサンドイッチを食べ終えると、三田に話しかけた。


「いきなり “結婚”だなんて言うから、正直、わたしびっくりしちゃいました。会社でもほとんど喋ったことなかったし…」


「驚かせてごめんなさい。あまり…面と向かって女性と話をした経験がなくて。でも、里美さんのことが真剣に好きで。気持ちだけは…ちゃんと伝えようと思って」


 まだ、お互いにそれほど知らない仲だというのに下の名前で呼ばれ、戸惑っていると、


「今度の週末、ふたりで…温泉に行きませんか?」


「え!? それって…日帰りでですか」


「いや、1泊2日で。ぼく…車、しますんで」


「……」


 ※


「お姉ちゃん、そのひと…完全に“コミュ障”だよ」


「美樹。“コミュ障”とか、そういう言葉 やめなさい」


「はい、はい。それで、その相手とは何回ぐらいホテル行ったの?」


「ホテルって?……馬鹿!!まだ手もつないだこともないのに」


「なに、それ? そんなよく分からない人とお泊まりデートに行くの!? ちょっと、順番おかしいんじゃない」


 正論だ。でも、その正論で自分をがんじがらめにし、この年まで男性とまともに付き合ったことのない自分を変えたいとも…思っていた。


しょうそう”という二文字が頭のなかをぐるぐるする。


「まだ返事だってしてないし、べつに行くとは言ってないけど…」


「…好きなんだったら、行っちゃえば。昔から、ここぞっていうときの行動力がお姉ちゃんの唯一ゆいいつの取り柄なんだから。おとうさんとおかあさんには、あたしから適当に言っておくからさ。もう、行っちゃえ、行っちゃえ」


「美樹、あんた…ちょっと楽しんでるでしょ…」


 ※


 とても快適なドライブだった。


 職場では、あまりスマートな印象のない三田の運転は、意外になめらかなものだった。しかし駐車場に着くなり、急にあたふたし出し、前に戻っては切り返し、また前に戻り…を永遠と繰り返すので、たまらず、

「三田さんもずっと運転で疲れてると思いますし…それにわたし車庫入れだけは、得意なんです」と言って交代し、無事に、“草津温泉 はなの宿”に到着した。


 小柄でベテラン風の仲居さんに部屋まで案内され、ふすまを開けると、十畳ほどの和室のど真ん中に、二組の布団がぴったりくっ付いて並んでいた。


 動揺している里美を余所よそに、三田は廊下に出て、仲居さんに向かって、何か必死に説明している。


「それでは…ごゆっくり」


 二人きりになった部屋を気まずく思ったのか、荷物もそのままに、「とりあえず、ばたけへ散歩に行きませんか?」と、三田が言った。


 ※


 外の風が火照ほてったほおに冷たく刺さる。湯畑をひとまわりした後、里美たちは足湯に行った。


「ここなら、ゆっくり話せるかな」


 三田はそう言って靴を脱ぐと、そのまま足湯に入ろうとする。


「ちょ、ちょっと。待って、待って」


 慌てて里美は、三田を足湯の外に立たせ、彼の紺色のソックスを慣れない手つきで脱がした。


「三田さんって…ちょっと抜けたところ、あるよね」


「そっか。やっぱり、そうだよね。いつもこんな感じになっちゃうんだ。気持ちばっかり前のめりになって。今回だって…」


 正直、今晩何があるのか想像したら不安しか起きて来ないのだけれど、

彼の純朴な、裏表のない表情を見ているうちに、自然と心がやわらいでいっている自分もいた。



「草津、よく来るの?」


「ううん。はじめてちゃんと来たかな?

でも、子どもの頃、この辺に住んでたから何となくなら分かるけど…」


「そうなんだ。三田さんって、実家ずっと東京なんだって思ってた」


「小5の途中に父の転勤で引っ越したんだ。それから、色々な場所を転々として…高3の頃に今の家に落ち着いた。だからって訳じゃないけど、他人と話す時、うまく自然体でいられなくて。気の置けない友だちもいないしね。

――草津、本当なら修学旅行で来るはずだったんだ。今はSNSとかあるから、その気になれば小学校時代の仲間に会える可能性だってあるんだけど…何だか、怖くて。

でも、里美さんとだったら、こんな自分…変えられるかなって思ったんだ」


「そっか、実はね。わたし、男の人と接するの、すこし苦手なんだ。中学からずっと女子校だったからかな…

だから、あんな風にまっすぐに告白されたのも、こうやって旅行に来るのも全部はじめてで。

だけど、わたしも…

三田さんと一緒に居たら、少しずつかもだけど、変わっていけるような気がしたよ」


 足湯のリラックス効果もあるのだろうか。

二人ともせきを切ったように、お互いの趣味や家族のことから、幼い頃、流行った遊びやアニメの話など他愛のないことまで夢中になって話しつづけた。


 ※


 宿に帰ると、そのまま大広間へ向かった。

既に、ツアーの団体客や子ども連れの家族が夕食のバイキングを楽しんでいる。


「サトル、わたしたちも並ぼっか」


 はじめて男の人を下の名前で呼んだ気がする。


――無意識だった。


「うん。お腹空いてるからいっぱい食べよ。里美も…ね♪」


 ※


 部屋に戻ると、たたみいっぱいに布団がかれていた。その上には、数え切れない程の枕が山になっている。


「里美、“まくら投げ” やらない?」


 仲居さんに、話していたのはこれだったのか。自然と笑みがこぼれる…


「よしっ。のぞむところよ」


 その晩、心ゆくまで遊びふけった二人はそのまま眠りに落ちた。


 結局、草津のお風呂は、旅行に持ち越されることになりました、とさ。


(終)

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幸せのタイミング 遠野歩 @tohno1980

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