娘が大学を卒業しました

よたか

卒業式

 FacebookやTwitterで〝おめでとう〟とやり取りするのって結構苦手なんです。他の人がやっているのを否定するつもりは毛頭ないのだけど、自分が当事者だとなんとなく〝違う〟感じがしてしまいます。なので、SNSには誕生日を登録してませんし、友人の誕生日でもコメントを入れたりしません。そういえば年末年始の挨拶もしてないかもしれません。

 そんな私でも今回だけはメッセージをあげたんです。


 娘が大学を卒業して、もうすぐ家を出ていきます。


 会場近くの川岸に袴姿の娘を立たせて撮ってもらった一枚。照れくさそうに笑う娘をスマホに納めてもらいました。例年よりも暖かく、桜の開花も期待されましたが急に冷えこんで蕾のまま。残念ながら桜吹雪とはいきませんでした。それでも川の流れと雲ひとつない春の薄い青空に、若草色の留袖と抑え気味の深い紫の袴の娘はとても映えていました。

 コスプレが趣味の娘は、メイクもどことなく演技じみてます。娘が大学4年間で一番勉強していたのは化粧だと思います。娘に言うと猛反発されそうだけど、これから社会に出るための武器に使えるなら、悪いことではないでしょう。


 卒業式は広い国際会議場で行われるので、娘たちはアリーナ席へ、父兄は2階と3階へ分かれて座ります。式が始まるまでの短い間にふと感傷的になってしまい、娘が成長してきたことを思い返していました。

 保育園の時は口が遅くて何も語らず、コミニュケーションといえば笑顔だけだった。お兄ちゃんのお下がりのゲームで遊んでいた小学生の頃、父親の私は息子と思いっきり遊んだのでもう飽きてしまい娘とはそれほど遊んでなかったのが心残りでした。

 ほどなく〝絵〟を描くのが好きになり、1日に5時間以上も何かしら作品を作り続けてました。せっかくなので近くの〝美術研究所〟の小学生コースに行かせました。それほど裕福ではなかったものの、自分自身がやりたいことをできずに、断念したトラウマがあったので、子ども達には選択肢を広げて欲しかった。

 中学では運良く(?)ずっと美術の先生が担任でそのまま美術部に入部し、画力もどんどん上がっていきました。そして覚悟はしてましたけど、とうとう言い出します。


 ゲームとか作る人になりたい。


 両親ともにに企画、デザイン、プログラムなどのクリエイターよりの仕事をしてて、独立してからはそれほど楽でもない、収入も減る一方、というかなりブラックな状態で働き続けていましたから、それだけは避けて欲しかった。だけど頑固な娘は聞く耳持ちません。

 そんな頑固な面はクリエイターにとってとても武器になると認めつつも、もっと穏やかな人生を送って欲しいとも思ってました。


 高校は当然のように、県立の美術科を受験し、運良く〝推薦選抜〟で合格したので、一般試験免除で高校に通えるようになりました。娘の人生の中で高校3年間が一番充実していたように思えます。課題であれ創作物に向き合い、演劇部では新しい表現方法を身につけ、活発に活動する普通科の学生とディベートを繰り返すことは彼女の成長過程においてもっとも有意義な時間だったと思います。

 それでも高校は卒業しなければなりません。卒展では高い評価を受けるほどの技術を持ちながら、経済的な事情から美大への進学は諦めざるおえませんでした。国公立でも美大ともなれば普通科の倍以上の学費が掛かりますし、家を出ることになるので仕送りも半端な額ではありません。

 結局市立大の芸術工学部へ進学しました。一応理系なのでちゃんと勉強してこなかった数学や物理の勉強をし直さないといけません。でもこの学校であれば、結構大きな額の奨学金も出してもらえます。成績が良ければ減免制度もあります。

 娘は苦手な勉強も必死でクリアして合格したのですけど、1ヶ月も経たないうちに学校に失望してしまったようです。

 たいした説明もなく意図のわからない課題を押し付けられ、成果物は提出3日前に学校内で盗まれ、周りにはデッサンもできない学生ばかり。

 入学歓迎会で上級生から勝手につけられたニックネームが引き金になっり、それから芸工へは最低限の授業しか行かなくなりました。その反動でしょうか、発足したばかりの博物館のサポートを行うサークルに参加し、以前から興味のあったコスプレに本格的にのめり込みはじめます。

 顔パスで博物館の事務所へ出入りして掲示物やチラシ、キャラデザなどの仕事をかなりの高レベルで行ってました。

 舞台メイクを元にしたコスプレメイクはキャラや衣装に合わせていくうちに幅も広がり、母親からの衣装のサポートもあいまってそれなりに注目されるようにもなったみたいです。

 彼女の4年間はサークルとコスプレが6割くらいの比重だった気がします。学業はおおめに見ても3割程度でしょうか?

 そしてそのツケは就活の時に大きく跳ね返って来ることにまりました。


 彼女の制作物は素人の域は出ないものの、ワードやエクセルで作られたものからは比べ物にならないくらいレベルも高く、あちこちで褒められてました。多分そのせいです。彼女は自分自身の実力を見誤ってしまったようです。

 大手ゲーム会社ばかりを狙って、ことごとく祈られてしまい、どんどん自信を失い、焦りばかりが先行していました。

 今から思えば、大手ではなく手堅く中堅の会社を狙って入れば状況は変わっていたのかもしれません。

 最終的には地方のゲーム関連会社へ就職が決まりました。決して条件は良くありませんが、そこでちゃんと経験を積むことができればこの先どうにでもできると思います。そこが一般職とクリエーターの決定的な違いなんです。彼女が早い段階でそれに気がつくことができればそれほど悲観することもないでしょう。


 長い式の間、壇上では学長の最後の授業や、市長の聞きなれない方言パフォーマンスの演説などが繰り返されましたが、正直それほど覚えていません。ただただこれまでの娘のことを思い返しているだけでした。

 多くの方に助けていただいて、見守っていただいて感謝しかありません。みなさん本当にありがとうございました。そんな気持ちを込めて、今回は思い切って写真を添えてメッセージをあげさせていただきました。

 これで息子の誕生から続いた26年の子育ても終わります。お疲れ様でした。式が終わって広いロビーで慣れない草履を履いた娘がしずしずとやってきます。


「あぁ、疲れた。これから芸工まで卒業証書受け取りにいかんといかん」

「ちょっと大変やね」

「まとめてバスで運んでくれるみたい」

「だったらいいんだけど」

「おとうさん、見てくれた?」そう言って娘は私の写真に語りかけた。

「きっと見てたと思うよ。てか、お父さんだったら来るなって言っても見に来るよ」

「そうだね、そんなおとうさんだったもんね」

「あんたも、体には気をつけてね。無理はせんでね」

「うん。お母さんも体に気をつけてね。今までひとりで育ててくれて本当にありがとう」

「うん。いままでありがとう。おとうさんも見守ってくれたんだよ」

「知ってるよ。そんなお父さんだったもんね」


 私は娘の晴れの日を見届けて自分のあるべき場所へ帰った。

 これからひとりで生きていく女房と娘を心配しないわけではないけど、見守ることしかできない私にはもう口出しもできない。


 娘の卒業式の写真をFacebookにアップしたのは、そんな私のちょっとしたいたずら心でした。

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