少年の絶望

「どうすれば記憶を取り戻せるの? ザラムは自然に思い出したの? それとも何かしたら思い出せたの?」


 気が焦って、早口で一気にまくし立てた。

 ザラムは困ったように微笑んで、一呼吸置いてから口を開いた。


「強い、絶望」

「えぇ……?」

「そのようなもの、思い出しとうないという顔じゃの」

「アレ、どう? 武術大会」

「ふむ……良いかもしれぬな」

「絶望するような事があったの?」


 答えは聞くまでもなかった。その一言だけで、トールがとても困ったような顔をしたから。




「何と言えば良いかのぅ……。ロムは武術大会の決勝を、どのように覚えておる?」

「え、えぇと……ザラムと、戦ったよね? 俺が勝った……よね?」

「試合、後は?」

「後? 後は特に……」

「やはり例の件だけが、すっぽり抜け落ちておるのう」

「武術大会、アイラスも見に来てたの? だから、俺の記憶にない何かがあるの?」

「そう」

「アイラスがの、とある刀に取り付かれてな……」

「自分、刺した」




 心臓が縮みあがる思いがした。息も苦しくなった。

 いや違う。過去の話だと、自分で自分に言い聞かせた。今アイラスは無事なのだから。


 呼吸を整えていると、トールがじっと見つめてきた。ザラムも様子をうかがっている。




「どうじゃ?」

「思い出した?」

「ううん……ただ、びっくりした、だけで……」


 二人が大きなため息をついた。自分が悪いとは思わないけれど、なんとなく申し訳ない気持ちになった。

 自分だけ知らない過去がある。その事実が寂しかった。いや、悔しかった。




「焦らずともよい。魔法をかけた本人……つまりアイラスならば、巻き戻す事ができるからの」

「戻せるの? それなら……」




 ——なんで、今すぐ戻してくれないの?




 そう言いかけて気がついた。戻さないのは理由があるからだ。


 また心臓が酷く痛んだ。

 口にしたくないその理由を、力を振り絞って吐き出した。






「……アイラスは、まだ死ぬ気なの?」






 二人は返事をしなかった。しつこいと思いつつ、重ねて聞いた。


「アイラスは、分霊の方法が見つかると思ってないの?」

「あまり期待はしておらんようじゃの……」




 腹の底から怒りが湧き上がってきた。希望を抱いているのは自分だけかと思うと虚しかった。




「じゃあ、なんで? ……なんでアイラスは、ついてきてくれたの?」

「……最期におぬしと共に旅が出来て嬉しいと……言っておった」

「何それ……」




 仲が良かったというのは本当なんだろうか。心がじわじわと喜んでいて、今度は単純な自分に腹が立った。

 気持ちが混乱して、思ってもいない事が口をついて出た。




「トールは、それを、はいそうですかって、聞いてたわけ?」

「そんなわけがなかろう! ロムは諦めておらんと抗議したわ!」




 想定以上にトールはトールで、我知らず苦笑した。

 彼にそう言われた時の、困ったように笑うアイラスの姿が目に浮かんだ。


 思えば、そんなに親しくないうちから気になっていた。

 今も反応が自然と目に浮かぶのは、自分ではわからない心のどこかが、彼女を覚えているせいかもしれない。






 力が抜けて、また寝台に倒れこんだ。涙の跡は少し乾いていた。




「なんか俺、馬鹿みたい……」

「諦めてる、アイラスだけ。死なせない」

「その通りじゃ。あやつとて、術が見つかれば記憶も戻してくれるであろう」




 今度はロムが返答できなかった。


 見つけてみせる。死なせない。そう思っていても、上手くいく保証はない。シンは存在しないのだから。

 分霊の方法が見つからなければ、アイラスは魔法と共に消えてしまう。もう後がない。






 細い蜘蛛の糸を掴んでいるような気持ちだった。切れたら二度と繋がらない。


 遠くからトールの声が聞こえた。でも聞き取れず、聞き返す気にもなれなかった。


 ロムは目を閉じ、絶望的な気分でまどろみに落ちていった。誰かが布団をかけてくれた気がしたが、まぶたは重くて開かなかった。






 真っ暗な闇の中で、光を拾う夢を見た。

 アイラスとの思い出を取り戻した夢だった。






 翌朝は早くに目が覚めた。寝入りは悪かったけれど、夢見は良かった。起きたら内容はすっかり忘れていたのだけど。


 そんなもんだよなという想いが、ため息になって口から零れ落ちた。




 まだ薄暗かったけれど、起きたからには二度寝する気になれなかった。服を着替えて部屋を出ると、東の空が薄ら明るくなりかけていた。でも、まだ日は出ていなかった。


 水場はどこだろうと探していたら、遠くにホンジョウを見つけた。あくびをしている。




「おはようございます」

「あー、ロム。おはよ、早いね」

「ホンジョウこそ」

「早朝の謁見があるからねー」

「皇帝に、ですか? こんな朝早くから?」


 驚いたけれど、早速奏上してもらえるのかと嬉しくなった。


「あー、違う違う。これは朝の儀式みたいなもんだよ。冬場は勘弁して欲しいんだけどな」


 何も言っていないのに、期待の気持ちを言い当てられた。顔に出ていたかと思うと恥ずかしい。




「もう少し寝てていいよ? 朝食は謁見の後だから、まだ時間あるし」

「い、いえ、大丈夫です。少し身体を動かそうかと思って、起きてきただけなので……」

「真面目だねー」


 苦笑しながら、そばに居た老人に何か耳打ちした。




「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

「お気をつけて」

「ちゃんとした会議は朝食の後だよ。昨日書いた文書は、その時に奏上するからね」


 下げた頭を勢いよく上げると、目が合って微笑まれた。色々見透かされている気がした。

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