少年は巻き込まれた
「今日、会えるかな?」
歩きながら、アイラスが弾んだ声で言った。彼女とは少し、ほんの少しだけ、打ち解けて来た気がする。
少なくとも、今は隣を歩いてくれていた。
「どうかなぁ……。よく来るって言っても、仕事もあるだろうから、毎日とは限らないだろうし……」
「親王の仕事とは何じゃ?」
反対側から、フードを深く被ったトールが声をかけてきた。少し考えてから答えた。
「お祭り事とか、国の行事に関する事じゃないかなぁ。ほら、アドルだって祭主をしてたし」
「……騒がしい」
ザラムの刺さるような一声に、三人は会話を止めた。
「ご、ごめん……」
「違う。前」
彼が顔を向けた方に目をやると、人だかりができていた。少し上を見ると、目的の店の看板が見えた。
怒号が響いた。
「そいつを返せ!」
声の主は、恰幅が良い男だった。その視線を追って先を見ると、何かを抱えた人がうずくまっていた。
再び怒鳴った男を見た。旗服が昼の日差しを受けて、艶々と光っている。上質な絹に見えた。
うずくまった方を見ると、遠目でも布の糸目がわかった。麻の類だと思う。
どちらの身分が高いかは明らかだった。貧乏人が金持ちの所持品に手を出した、といったところだろう。
打算的に推測した。
ここは五親王がよく訪れるという店の前。下町に似つかわしくない身なりの男が、その人かもしれない。
だとしたら、あんなに機嫌の悪い時に会うのは得策ではない。
その読みが外れていても、勝手のわからない異国の地で目立ちたくないし、揉め事には関わらない方が良い。
そう思って、他の三人に手で遠ざかるよう合図をした。
「お前が酷い事するからだろ!」
強い口調に目を向けると、うずくまっていた人が顔を上げて叫んでいた。
若い男だった。顔には擦り傷ができていて、口端から血もにじんでいる。それでも目には、強い意志が宿っていた。
ここで初めて、その腕に抱えるものが見えた。
小さな灰色の猫だった。
ふんぞり返った男が二重アゴを揺らすと、側に控えた大男が棒を振り上げた。打つ気だ。いや、すでに何度も打っているのだろう。
アイラスが小さな悲鳴を上げた。猫を庇う姿が、いつかの彼女と重なった。考えるより先に身体が動いていた。
人垣を素早く抜けて、大男の軸足を目がけて右足を払った。
バランスを崩した手から棒をもぎ取り、倒れた大男の喉元に突きつけた。
一呼吸遅れて、周囲から歓声が沸き起こった。そこでようやく、自分がしでかした事を理解した。
身なりの良い男が五親王だった場合、皇帝への道は閉ざされたと言っていい。
でも無抵抗な者を痛めつける人に、助けを乞うのは気持ちがよくない。
さっきの寺に戻って、別の策がないか相談してみよう。
いやいや、まだ五親王だと決まったわけじゃない。
とりあえず、この場はどう切り抜けるのが正解なんだろう。
「手を出しちゃダメだ!」
若い男の鋭い声に、棒を持つ手が緩んだ。その隙に大男に棒を掴まれた。
奪い返されたそれは、すぐに唸りを上げながら迫ってきた。何度も振り下ろされる棒を紙一重で避けながら、アイラス達三人の姿を捜した。
彼女とトールは、傷だらけの男を助け起こしていた。側にザラムも立っている。
トールが顔を上げて、フードに半分隠れた目と合った。逃げるぞ、と言われている気がした。
腰の短刀に手を添え、迫ってきた棒を抜刀術で斬り捨てた。細切れになって落ちる木切れに、大男がうろたえている。その隙に三人、いや四人の元へ走った。
トールに近づくと、彼が何かを呟いているのがわかった。
地面から湯気のような煙が立ち上がり、周囲が見えなくなった。
前を行く四人の足音を追って、商店街を抜けるまで走った。
「もう、大丈夫」
後ろを振り返りもせず、ザラムが立ち止まった。
「しかしロム。わしらに遠ざかるよう示しながら、自身が飛び出すとはのう……」
「ホント、だヨォ……。ビックリ、しちゃった……!」
息を切らして言いながら、アイラスの顔は笑っていた。誰からともなく笑い出し、つられてロムも笑い出した。
「君達、外国人? 言葉、わかる?」
忘れていた存在に声をかけられ、慌てて取り繕うように言った。
「わ、わかります。すみません」
「良かったぁ。俺、外国語はさっぱりだからさ」
男は痛々しい顔で穏やかに笑った。背は高いが体は華奢で、女顔だけど口調は砕けていた。
「助けてくれて、ありがとう。若いのに強いね」
「いえ……。何故あんな事になってたんですか?」
「コイツさぁ……」
男は腕に抱えた子猫の頭を撫でた。喉を鳴らして甘えている。仕草が可愛らしく、緊張した心がほぐれていく気がした。
黄金の目と青みがかった灰色の毛並みは、クロンメル周辺ではよく見かけた。この地域では珍しいはずだ。愛玩動物として輸入でもされたのだろうか。
「アイツの猫なんだよね」
「……え!? じゃあ、盗ったんですか?」
「だってさ、思い通りにならないからって、蹴ってたんだぜ? 俺、見てられなくてさ……」
だからといって、勝ち目のない相手に挑むのか。無茶をする人だと思った。同時に好ましく思った。
「今はその子より、お主の方が酷い傷じゃぞ。見せてみよ」
「あんた、まやかしの術を使ってたな……。道士なんだ?」
「まあ、似たようなもんかのう」
「どっちにしても助かるよ。こんな傷こさえて帰ったら、家内に何て言われるか……」
治っていく傷を眺めながら考えた。この人は、手を出してはダメだと言った。つまり、あの男が何者か知っているんじゃないだろうか。
「あの……」
「ん?」
「……なぜ、止めたんですか?」
「ああ……。アイツね、そこそこ位の高いやつだからさ。手を出すと後々面倒なんだよな」
その辺りを詳しく知りたいのだけど、話を濁された気がする。
単刀直入に聞いてみる? だとしたら、どっちの呼称を言う? 五親王か、ホンジョウか。
この人は今、位が高いと言った。それならば。
「……五親王ですか?」
ずっと笑顔だった男の顔から、スッと表情が消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます