少年は物見塔に行った
次の日、朝食を食べてお弁当をもらい、三人はすぐ保護区を出た。
「授業出られなくなって、ごめんね」
「いいノ! 授業より、大切!」
「今日はどこへ行くのじゃ?」
「あそこだよ」
ロムは遠くに見える、物見塔のある丘を指差した。
「景色がいいんだ。前はよく行ってた」
そういえば、アイラス達が来てから全然行ってなかった。前はどうやって時間をつぶしてたんだろうと思ってたけど、あそこに行ってたなと今更思い出した。住み込みのおじさんは元気だろうか。
「遠いネ……。塔にも登るノ?」
「その方が、遠くまでは見えるね。でもきつかったら無理しなくていいよ」
「ううん、登りたイ。ロムと同じ景色、見たイ」
「じゃあ、休憩しながら登ってみようね」
丘のふもとの森までは楽に来れた。でも森に入って坂道を登り始めると、アイラスはすぐにバテてしまった。
「この道は、他に人が通る事はあるのか?」
「ほとんど居ないと思う。俺は見た事ない。物見塔に住んでるおじさんが、食料の調達に通るくらいかな」
「それなら良かろう、乗れ」
そう言って、トールが何かを呟いた。彼の輪郭が淡く光り、大きく変化していった。光が消えた後には、白い虎が居た。
「それが、トールの本当の姿……?」
真っ白な虎は大きく、たくましく、そして美しかった。有彩色は蒼い目と赤い耳飾りだけで目立ち、より鮮やかに見えた。
ロムと同じように、アイラスも見惚れて動けないようだった。
トールがアイラスの隣にしゃがみこんで身体をすり寄せると、ようやく彼女は我に返った。苦労してその背に乗り、ロムを振り返る。
「ロムも、乗れっテ!」
「あ、そうか。虎だと喋れないか」
アイラスの後ろに乗ると、トールが立ち上がって歩き出した。揺れて落ちそうになるアイラスを後ろから抱きしめた。
こうやって虎の背に乗ると、初めて彼らに会った時の事を思い出した。あの時の虎は野生の猫で、その背に三人で乗っていたなと懐かしく思った。アイラスは気絶していたけれど。
あの時から全てが変わった。
「ねえトール、走ってよ」
乞われて、トールは軽やかに走り出した。アイラスが小さな叫び声をあげて、ロムにしがみついた。
景色が、森の木々が後ろに流れていく。風が気持ちいい。
見覚えのある景色に、ロムは気づいた。そろそろ森を抜ける。早く着きすぎたと残念に思った。
「トール、止まって。そろそろ物見塔から見えちゃうから。その姿はまずい」
ゆっくりとトールは立ち止まり、二人はその背から降りた。
「後少し、歩ける?」
「大丈夫! ありがとウ!」
トールが後ろ足で耳を掻いて、赤い耳飾りが揺れた。そうして人の形に戻った。
「ありがとう、トール」
「いや。それよりアイラスは、一人では乗れそうにないのう」
「うん……ロムが居なかったら、落ちてタ……」
「鐙がないと無理じゃないかなぁ」
「それ、なあニ?」
「騎乗する時に、足を引っかけるところだよ。それがあると安定して落ちにくい」
「馬用のやつは使えるかのう」
「欲しいの?」
「もし遠出をするなら、あれば便利かと思っただけじゃ」
話しながら歩いていると森を出て、視界が開けた。
物見塔に人影が見えた。
「おじさんだ。元気そう」
ロムは嬉しくなって走り出した。二人が走る音も後ろから聞こえてきた。
物見塔から眼鏡をかけた無精ひげの男が出てきた。
「ロム! 久しぶりだな」
「ご無沙汰してます」
「こんにちハ!」
「おう、こんにちは。 ……魔法使いと使い魔とは、珍しいな」
ロムは驚いて、男とアイラスとトールを順番に見た。別に隠すつもりはなかったが、言う前にわかったのは何故なんだろう。
「『繋がり』が見えるからのう」
言いながら、トールはフードを取った。
「どういう事?」
「その眼鏡じゃよ。魔法使いがガラスを通して見ると、魔法使い同士の『繋がり』が視認できるのじゃ。前にニーナが言っておったろう? 普通は見えない『繋がり』じゃが、見る方法はあると」
ロムはまた驚いた。ニーナがそう言っていた事は覚えているが、驚いたのは男が魔法使いであるという事だ。
「ロムには、言ってなかったかな? 便利なんだよ、魔法は。何か見つけた時も、すぐ城に詳細な連絡ができる。城にも宮廷魔術師が居るからな。……それで、今日は何の用なんだ?」
「特に、用事はないです。ただ、二人にここからの景色を見せたくて」
「……そうか。お前にもやっと、友達ができたんだな」
そんな事を気にされていたとは思わなかった。
誰にも迷惑も心配もかけず、問題なく日々を過ごしていると思っていた。でも周囲の大人達には、見抜かれていたのかもしれない。
きっとニーナもそうだったんだろうなと思う。だから大した用事がなくても、頻繁に呼び出されていたに違いない。以前ホークが言っていた、ニーナに頼まれたというのも、そういう事だったんだろう。
「俺って、子供だなぁ……」
「何言ってんだ、子供だろ?」
「そうですけど……」
「そんな事より、景色を見に来たのなら登るんだろ?」
「はい」
アイラスを振り返ると、明らかに落胆していた。
トールは登らないと言った。二人を乗せて短くはない距離を走ったので、疲れたのかなと思う。
アイラスはやっぱりすぐバテて、ロムに手を引かれながら、休み休みにようやく登り切った。
最後の扉を開けると、雄大な景色が広がった。
「すごーイ! 綺麗!」
「疲れたけど、登ったかいあったでしょ?」
「うん! ありがとウ!」
「お礼を言うのは、俺の方だよ。今日は付き合ってくれてありがとう」
「落ち着いタ?」
「うん。それに、俺が一人じゃない事も、改めてわかった。周りに助けられて、今の俺が居るんだ」
嬉しそうに笑うアイラスを見て、それから眼下の景色を見つめて言葉を続けた。
「俺、誰にも迷惑をかけずに、一人で生きてきたと思ってた。一人でも大丈夫だと思ってた。でも、そうじゃなかった」
「迷惑は、かけながらでしか、生きられないんだヨ。私だってソウ。ロムにも、すごく迷惑、かけテル」
「別に俺は、迷惑だなんて思ってないよ」
「それはロムが、私を許してくれてるかラ」
その言葉に驚いて、再びアイラスを見た。彼女も、遠く景色を見ていた。
「……人に迷惑かけて、生きているのだかラ、人の事も、許してあげなさいっテ、言われた事があるノ。そういう事、なんだヨ」
誰に言われたんだろう。ホークかレヴィか。それならそうと言いそうな気がする。もしかしてアイラスの記憶は、少し戻っているんだろうか。
いや、詮索するのはやめよう。もし記憶が戻っているなら、彼女の不安が少しは取り除かれているのだから、喜ぶべきだ。その内容までは、自分が気にする事じゃない。
「そろそろお腹空いたね。降りて、お弁当食べようか」
そう言うと、アイラスの顔に笑顔が戻った。
「それにしても、この街は魔法使いが多いのう。他ではあまり見ないぞ」
「それはニーナのお陰だろうな。彼女がこの街に来る前は、魔法使いは忌むべき存在として嫌われていたらしい」
「今でも魔法使いを嫌う風習は少なくない。アイラスがこの街に来られたのは、幸運だったかもしれんの」
「その嬢ちゃんは最近来たのかい?」
「えっと……アイラスは半年前に、多分、捨てられたんだと思う……」
記憶の事を何と言っていいかわからなくて、アイラスを見た。彼女はうつむいて、何も言わなかった。代わりにトールが話し始めた。
「その辺りは、ようわからんのじゃ。こやつの記憶は不自然に欠如しておってな。おそらく魔法で消されたのだと思う。捨てられたというのは、わしらの想像じゃ。ニーナが調べてくれておるが、未だはっきりせぬ」
「お前は嬢ちゃんの使い魔じゃないのか? 主人の事がわからないのか?」
「またその説明をせねばならんのか」
トールはため息をついて、以前ホークについた嘘をもう一度話した。二度目とあって、さらによどみなく説明できていて、ロムは何となく可笑しかった。
お昼ご飯を食べた後は、他愛のない話をしたり、アイラスは持ってきたスケッチブックに写生をしたりしてゆっくり過ごした。日が西に傾きかけてから、物見塔を後にした。
帰りは緩やかな下り坂なので、三人で歩いていた。
歩きながら、トールが聞いてきた。
「ロムは、明日からは大丈夫かの?」
「うん、大丈夫。不安は無くなった」
「無理をせぬようにな」
「まあ自分のためだからね。適当に頑張るよ」
本当はアイラスのためではあるが、その事はアドルしか知らない。
でも、無理はしないと思う。彼女のために無理をする事は、彼女自身も喜ばないと、今はよくわかっていた。
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