Glad Game.

眞壁 暁大

第1話

 子供の頃は、ただ日々を過ごすだけでおめでとうと言われてきた。


 覚えているのは誕生した時。

 生まれておめでとうと言われた。

 母の方がたくさん、おめでとうを貰っていたけれども、私もおめでとうと言われた。

 母は私にありがとうと言っていた。

 それで、私は「ありがとう」と「おめでとう」は一揃いの双子のようなものなのだと悟った。

 それから。誕生日が廻るたび、「おめでとう」と言われた。生まれたあの日のことを思い出して嬉しかった。


 少しだけ大きくなって、「何事かをなした時」にも「おめでとう」は貰えるのだと学んだ。


 徒競走で一番になった時。

 志望校に受かった時。

 主席卒業が決まった時。

 皆が、よくやったね、おめでとうと褒めてくれた。

 生まれたあの時、ただ存在するだけで祝福されていたのとは違う、誇らしさと嬉しさが入り混じった心地よさがあった。

 存在し、努力を重ねることの価値を、私は知った。


 けれども。

「それでは、足りない」


 周囲の皆から祝福され、おめでとうの有頂天のあげくに到達した入社式で、社長は言った。


「世界中で、地球上で、一番、おめでとうを集めなさい」


 社長の宣告を聞いた私は、雷に打たれたような気分だった。

 存在し、努力を重ねる。それが祝福に繋がる日々。それは心地よくもあったが、どこか退屈でもあった。

 社長の言葉が四肢に染みわたる。祝福されるだけでは足りない。「おめでとう」――それは自ら求めて、かき集める対象であるのだ。

 目の前がさあっ……と、拓けたような気がした。


 私は働いた。

 私は努力した。

 すべては「おめでとう」を集めるために。


 しかし、「おめでとう」は滅多にもらえなかった。

 新人で最初にノルマを達成しても、貰えない。

 同期で一位の売り上げに達しても、貰えない。

 新人だけでなく先輩も含めてトップスリーの売り上げに達しても、貰えない。

 おめでとうが、集まらない。


 焦る私に、社長はなにも言わなかった。ただ

『そうじゃあ、ないんだよ』

 社長の目は語っていた。そこで気づく。

 私は、おめでとうを言わせようとガムシャラになりすぎていた。おめでとうを言わせるために、私は頑張ってきた。

 おめでとうと祝福せざるを得ないような、感服せざるを得なくなるような、そんな圧倒的な成果を残せばしぜんに「おめでとう」は集まるものだと思っていた。

 そうではない。

 それだけで足りるのであれば、圧倒的なスピードでこの会社を大きくした社長は、その成果だけでもっとたくさん「おめでとう」を集めているに決まっている。

 成績にモノを言わせて無理強いするのではなくて、当人が思わず「おめでとう」と、そう言ってしまいたくなるような、そんな風にしないとダメなんだ。

 存在するだけではなく、努力するだけではなく。

 それ以外の方法で「おめでとう」を集める。

 そんなことは可能なのだろうか?


 おめでとう集めに奔走する日々。

 社員たちは疲弊しきっていた。狂っていた、と言っていいかもしれない。

 私も、どうやってこれ以上の「おめでとう」を集めればいいのか、次の手が見つからずに悩んでいた。

 それでも会社は成長しつづけている。

 思ったほど伸びていないにせよ、たしかに「おめでとう」は集まっているのだから上手く回っていると言ってよかった。

 生産量は順調に伸びているから、労災の絶えない明るい職場だった。

 揚げ物生産量の拡大に次ぐ拡大のために、フライヤーはメンテナンスフリー。整備不良という言葉は社長が嫌っている。

 そんなある日、事故は起こった。


 揚げ物生産の増強のために、普段営業に回っている私も、「応援部隊」として揚げ物工場に入ったちょうどその日。

 高回転率を追求してメンテナンスフリーで酷使し続けていたフライヤーの油切りアミの回転軸の受け金が砕けた。

 支えを失った油切りアミが、揚げかけの唐揚げ100㎏超と、酸化しきってどす黒く変色した油と共に同僚に雪崩れかかる。

 即死だった。

 誰かが呟く。

「おめでとう。もうこれで仕事しなくていいんだね」

 その言葉に振り返ると、透き通った瞳をした先輩が居た。社長から「おめでとう」を貰った数少ない社員。憧れの人でもあった。

 どろどろのコンクリの上で油を浴びて、ついさっきまでのたうち回っていた同期が少しだけ妬ましかった。

 さいきん貰えていなかった「おめでとう」を、先輩からいともたやすくもらっている。

 これから先貰える「おめでとう」は増えないにせよ、それでも自分よりも多く「おめでとう」を集めている。


 焦りが募った。

 どうすればおめでとうと言ってもらえるのか。

 死ねば貰えるのは間違いないのだろうが、それでも自分が死んだときに、同期よりもたくさんもらえるかどうかは分からない。

 それに同期を上回っても、地球上で一番の「おめでとう」には全然足りない気がする。

 死ぬ以外に、おめでとうをもらう方法を考えなければ。――なんだろう? 死ぬ? 生まれるの反対?

 なにか分かりかけている気がした。


「先輩」

「んー?」

「死んだらおめでとうってなるんですか」

「生きてるほうが辛いからねー、みんな」

「先輩も死ねたら、おめでとうって思いますか?」

「ああ、おもうy―――」

 

 言い終わる前に、調理場の包丁で先輩を刺していた。

 しまった。おめでとうって言ってもらってない。けれど手遅れ。肺を貫いて心臓をぶち抜いたから、もう先輩は血に溺れてしまっている。

 このやり方じゃダメ。ちゃんとおめでとうって言ってもらわないと。


 それにしても。

 なんで今の今までこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。


 産まれておめでとうが貰えるのなら。

 死ぬことでおめでとうが貰えるのなら。


 産んだことでおめでとうが貰えるのなら。

 殺すことでもおめでとうを貰えるのも、道理じゃないか。


 私が生まれたあの日。

 たしかに私は「おめでとう」と祝福されていた。それはたしかだった。間違いなく覚えている。

 だがそれ以上に、私の何倍も母は祝われてはいなかったか?

 先輩のエプロンで包丁を拭うと、自らのエプロンで包丁を包む。そのまま更衣室へ行く。事故にはまだ誰も気づいていないようだった。

 皆が仕事に没頭している。やはりこの会社は良い会社だ。目標に向かって一致団結している。私も頑張らねば。

 決意を新たにして、着替え終わった私はスマホを取り出し、母に電話をかけた。


「もしもし、母さん?」

「なんだい? 珍しいねこんな時間に」

「うん。特に何かあったわけじゃないんだけど、気になったことがあって」

「うん?」

「母さんは、生きてて辛いな、って思ったことある?」

 母はいつものように、豪快に笑うと言った。そりゃああるさ、と。

 ありがとう、と返事をして電話を切る。


 やっぱりそうなんだ。

 そう思った。

 だって、みんな生きているのは辛いのだから。

 そこから解放してあげたら「良いことをした」ってことになる。ありがとうって感謝されるし、きっと褒められる。

 わたしを産んだ母のように、よくやったね、おめでとう、って言ってもらえる。

 きっともっと、たくさんのおめでとうを集めよう。



 包丁の血を、あらためて丁寧に拭って、私は思いなおす。

 これは少し使い難い。私はフライヤー室に戻り備え付けのより大振りな、切っ先のもう少し鋭い肉切り包丁を手にとった。

 包丁を抱え、先輩の血と同期の油でベタツク床に靴の底がへばりつかないように、つま先立ちで歩く。ペンギンになったような気分。

 けれど心は大空を飛ぶ鳥のごとく、どこまでも浮ついている。自分でも昂奮が抑えきれない。

 何人も、何人も。たくさん、たくさん殺してあげよう。



 私は工場を出る。

 通りに出るとたくさんの人が歩いていた。

 生きるのが辛い人たちの群れ。

 この人たち全部殺したら、いったいどれだけのおめでとうを集められるだろうか。

 

 私は嬉しくなった。全部、全部殺して、地球上のおめでとうを独り占めするのだ。

 地球上で、一番の、おめでとうを、集めるのだ。



「おめでとう」

 白刃をぎらつかせながら微笑みかけると、皆、答えてくれた。

「ありがとう」

 期待した答えとは少し違うけれど、私も笑みを返す。すると

「おめでとう・・・?」

 欲しかった答えをもらえる。喜びが心を満たす。

 私は刺す。ありがとうの言葉に代えて、心を込めて。刃は彼/彼女の真芯を貫く。

 生まれ落ちたその時と同じ言葉を、死にゆく彼/彼女に捧げる。

「おめでとう」


 通りの人が逃げていく。

 逃げなくてもいいのに。

 死ぬことは辛くない。辛いのは生きること。

 先輩も言っていた。

 母も言っていた。

 死は悲しくない。生と同じくらいの祝福ですらあるのだ。

 逃げる人の背を追いかけて、私は通りを駆ける。



 今宵、私は人を殺す。

 世界中の「おめでとう」のために。


 この地獄から彼らを救うために。

 人を救い、褒められるために。

 母がこの地獄に私を産み落として「おめでとう」と言われたように。

 私もまた、人を殺し、新たな地獄へ送り出すことで「おめでとう」と言われるのだ。


 きっと、社長も褒めてくれるだろう。

 社長から「おめでとう」と言ってもらえる、その瞬間を想起しながら、私は恍惚と夜の街を駆け抜ける。

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