#039:開眼かっ(あるいは、伝説/懇切/抹殺ューセッツ)

「……ムロト。久しいな」


 荒い呼吸をしているその「少年」に、少し驚いたような声を掛けられるカワミナミ様。


「少年」は淡い黄緑色のTシャツに、同系色の淡いチェックのシャツを羽織って、下も淡い色のジーンズを穿いてらっしゃいますけれど。顔の特徴も含めて、全てが「淡い」印象の方ですのよ。


 何故かシャツはあちこちから引っ張られたかのように着乱れていて、外ハネ気味のウルフカットは多分意図していないうねりが加えられていますけれど。


「か、カワミナミさん……良かった、やっとまともな人に会えた……」


 その「ムロト」と呼ばれた「少年」さんは、胸の前に大事そうに抱えていたボロボロの紙袋を降ろし、大きく息をついて室内に入って来られるのですわ。すると今までその付近で揉み合っていた対局者たちが、何故かぴたりと騒ぎを止めますの。どうされたというのでしょう?


「あ……」


「れ……」


伝説レジェンド……」


「オーバーキル……」


「む、『ムロト ミサキ』!!」


 口々に驚愕からの呻くような声を絞り出してらっしゃいますけれど。誰ですの。


「え、あ、ち違います、全然違いますよっ。僕は通りすがりのただの傍観者バイスタンダーですからねっ。だから触っても御利益とか何もありませんからね……僕は無関係……ダメとは無関係……」


 自分に言い聞かせるように、周りを牽制するかのようにぶつぶつ呟き出したその「少年」さんは、慌てた手つきで紙袋から透明なアクリルの箱を取り出すと、私の顔を認め、差し出してきますのよ。


「あなたが『ワカクサ』さん……話は少しだけ聞きましたけれど、僕には何もアドバイスは出来ないですけれど……オープンユアハート。全部を全力を出し尽くせば、何かが必ず見えるはずです」


 ふっ、と「少年」さんは、アオナギさんが時折見せるような自然体の笑みで、私の目を優しく覗き込むようにしますの。私は胸のどこかをアイスピックのような物で突かれたような気がしたのですわ。


「……では僕はこれで。これ以上この場の空気を吸うのは危険だ」


 一瞬後、真顔になった「少年」さんは、圧倒されて立ち尽くしている五人の対局者たちを、動かないでッ、と両手で制しながらじりじりと出口へと向かいますの。摺り足の警戒姿勢で何とかたどり着いて廊下に出ると、こちらに向かって軽く会釈をしてくれますものの、


「お!! あんなとこに!! おお~い、ムロトよぉぉぉぉい、なぁんで逃げるんだっつーの。つーのつーの」


 外廊下の左側から丸男さんの馬鹿でかい声が響き渡るや否や、さよならッと言い残した余韻も収まらない内に、「少年」さんは脱兎のごとく逆方向に向けて全力で逃走を開始しましたの。


「……」


 後に残された私たちはめいめいが色々な思惑を孕んだ真顔で、医務室内が一瞬、深海のような静けさに支配されますわ。


「……とにかく、これ以上おめおめと醜態を晒されるのだけは、ご勘弁願いたいのですわよっ」


「……ま、どの道、次戦でツブしてやるから。せいぜいその腫れまくったツラでも冷やしておきな」


 テンプレ気味の台詞をのたまいながら、憤慨した顔のユズランさんと、もうひとかた、「次戦」……ということは「シズル」さん、でしょうか。こちらを小馬鹿にするような嘲笑を残し、医務室を出ていくのですわ。


「おいどんは、正々堂々の勝負をもっとしたかった。それだけでごわす」


 浴衣姿のセンコさんは少し名残惜しそうに、のしのしと歩み去るだけですけど。


「……格闘に自信あったか知らないけど、ここでのルールに乗れてないなら無駄も無駄。一発も当てられねぇで、ん? オバさん、キックの撃ち方知ってんの? 今度教えてあげよぉか? 授業料はお高いですけどぉ」


 ダテミさんは最早本性むき出しの顔で、私の髪を掴んでぐりぐり引き回すのですけれど。


「きゃっは!! もう腑抜けてんじゃんよ~、でも棄権なんかすんじゃねえわよっ、リングに上がりゃいいだけの簡単な仕事だろ!? 電撃喰らって裸に剥かれたら、高いカネ払って観に来てくれてるお客様のご機嫌くらいは伺えんだろーしよぉ。いいか、逃げたらどこまでも追いつめて追い込んでやっからよぉ、ケジメつけて最後まで対局はしろよなぁ?」


 カリヤさんもそのネズミのようなご尊顔を近づけ、腐った玉ねぎを一度腐った生卵にくぐらせてから低温で焼き上げたかのような口臭を私に吹きかけつつ、そう凄みますけれども。


 ……それどころじゃないのですわ。


 私は「少年」さんにいただいたアクリル箱をずっと眺めていましたの。


 「オープンユアハート」。


 心に響きましたのよ。


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