#005:現金かっ(あるいは、ハブユーエバシーンザダメ)
「……そのダメ何とかで『日本一』になってやろうと、そういうわけかっ」
日本酒に切り替えてからは、さらに世界が狭く歪んで感じる。視界も、聞こえる音も。
片膝を立てて、そこに盃を危なっかしく持った腕を置き、首を動かす度に、がくんがくんと振り回されるようになっている私は、もう相当酔いに毒されている。
けれど、何故だかそれを体の中から俯瞰するかのような(変だけど)もうひとりの自分がいるみたいで、呑んでも呑んでも気分は晴れない。
はぁーっと酒臭い息を対面の丸男に吐きかけ、頭をがしがしと掻き毟る。のけぞる丸男。だがその手には女将のおばあちゃんによそってもらった白米が山盛りになっていてそれを先ほどから掻き込むようにして飲み込んでいるんだけど、お前は炭水化物を肴に炭水化物を呑むのかっ?
「へ、へいっ、そういう寸法でやんす」
あらぬ方向に曲がっていた人差し指を必死で握って戻しながら、長髪男、アオナギはそう追従笑いをしながらいってくるけど、お前も口調が定まらなくなってきたな?
と、心でつっこみを入れ続けるも、それらももう、上っ面を滑るかのように、手ごたえなくかき消えてしまうかのように感じている。
……ダメだ。やっぱり私はもうダメだ。全てが面倒くさくなって来ている。今この瞬間も、おまけのような時間に思えてきていて……
ぐらり、と頭がひときわ大きく前に傾いて、ごつりと座卓に打ち付けてしまった。でもあんまり痛みは感じない。それよりも、そこから頭を……顔を持ち上げられない自分に気づいてしまう。何だかわからないけど、目から零れ落ちてきてたから。
「じゃねえだろっ。『日本一』? バカじゃないの? ……バカやろうっ」
言葉ももう、ままならなくなってきた。ダメだよ、私はもう。
……でも、
「……あねさん。あねさんは、世間を見返してやりたくはねえか?」
そんな私の後頭部に、投げかけられるかのように、降ってくるかのように、ぽんと軽やかに叩くかのように、言葉が落ちてくる。自然な、響きを伴って。
「……いや、見返すっていうか、その、どうでもいい、自分がやらずとも問題ねえ仕事とか、自意識だけが肥大しちまった個人と個人の馴れ合いみてえな人付き合いとかからよ? あるいはその……ままならねえ七面倒くせえ色恋沙汰ってやつからよう、解放されたくは……ねえかい?」
アオナギの、酒で枯れて掠れた声に、何故かふわりといい気分になっていく自分がいる。なかなか夢に満ちた言葉じゃない? 不可能ってところに目をつぶれば。
「解放って……どう」
湿った声になってしまったけど、純粋に聞いてみたかったから聞いた。もしかしたら、こいつは、って思ったからかも知れない。
「カネさ。この世に存在する、たったひとつの見える魔法」
またしても芝居がかった口調でそうのたまうけど、金、ね。
急に心が萎むような感覚。お金がなんぼのもんだって言うのよ。おかげさまでの三十路過ぎ独身女の預貯金をなめんじゃないわよ。一千万あっても、それでも、
……それでも死にたくなるんだから。
「カネなんて……あってもあってもそれに縛られるだけじゃないのよっ。そんなもんで解放? 笑わせんなっ」
手探りで掴んだ山椒の入った瓢箪らしきものを腹立ちまぎれにアオナギの方へとぶん投げる。おぽっさむ、みたいな短い叫びが聞こえてきたけど、
「2億……2億を掴む。そいつで人生を……買い直さねえかい、買い戻さねえかい、あねさん」
ひるまず続けてきたその言葉は、馬鹿馬鹿しいほどに現実味がなくて、突拍子もないから笑うにも笑えなくて。
……そして私の心をおかしなくらいに揺さぶったわけで。
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