#003:残虐かっ(あるいは、代官山不条理ギャング)

 カン、と即座に酔いが回るのが私の体質だ。周囲から降り落ちてくるような、酔客の笑い声とかも、もううわんうわんと響くかのように感じられてくる。


 でも表面上の分かりやすい酔い方とは裏腹に、私の腹の底の底は、冷えてぐずぐずに固まった澱のような物が堆積しているかのように、じんめりと嫌な感触を保っている。


 受け入れがたい現実から、酒へと逃げられなかった理由はこれだ。呑んでも呑んでも、奥底のしこりは発散されてはいかないから。


「ね、ねえさん……一気に顔真っ赤になりやしたが……大丈夫ですかい?」


 丸男がこちらを気遣うような口調で言ってくるが、構わずロング缶に残った300ほどを、澱んだ夜空を眺めつつ喉奥へとぐいぐい送り込んでいく。


 そして空になったアルミ缶を丸男の顔目掛け投げつけると、


「……ばっかやろうぅぅぅ!! あたひはなあ、仕事もプライベートもどん底のどんつきまで落ちに落とされてだなあぁぁぁぁ、こんな小汚い雑居ビルの屋上くんだりまで、わざわざ死にに来たんだっ!! ……どこが大丈夫に見える? ねえどこ? ……どっこも大丈夫なわけっ……ねえだろうがぁぁぁぁぁっ!!」


 自分の体が震えるほど、わめき散らした。多分こういうところが駄目なんだろうと思う。仕事でもプライベートでも、追い詰められるほどに真っ向から歯向かっていった。周囲から差し伸べられていたのだろう優しい手たちを、邪魔すんなとばかりに振り払って突っ走ってきた。


 挙句がこれだ。考えてみれば知れ切った最期なのかも知れないけど。あと「あたひ」は無かったな、と少し洟をすすって反省してみる。


 ―ぼ、ボク怒られるコトした? 面罵される流れだった?

 ―う、うううん、いたわりだったよね? やすらぎだったよね?


 少年のような曇りのない目と目で言葉を交わす気持ちの悪い中年たちを尻目に、私は袋から最後の一本を掴みだしてぷしゅりと開ける。


 ……にしても、こいつらは何よ。


「おい、その方、名と職業を述べい」


 酔うと口調が大時代的に変わるのも、社会的には大きなマイナスポイントであったろうな、と思う。


 おまけに宴の席では、おっさんの上司も引くほどのMAXボルテージのセクハラ発言、男女問わず新人社員へのボディチェックと称したAV未満まがいの狼藉、などを毎回繰り広げていたわけで、陰では「エロ代官」の異名を欲しいままにしていた。駄目だ、駄目な意味で私はもう駄目だったんだ。


 と、酩酊感と嫌悪感に包まれながらも、胸か腹の奥底が冷え切ってきた私の前で、丸男の方が、は、はいですっ、といい返事をしながら直立不動の体勢を取った。


「じ、自分はぁぁぁっ、藤堂というぅぅぅ、自由業を営む者でありまぁぁぁすっ!! 夏場は自然に親しむためぇぇぇっ、主に路上や公園にて生活を嗜む、ナチュラリストの一面も持つアーシーな都会派という新ジャンルを標榜している次第でございま」


 そこで丸男の言葉は途切れた。むき出しの汚い毛脛めがけ、今度はヒールでのストンピングを撃ち込んだからだ。


 てごます、のような呻き声を上げて、うずくまる丸男。


「……手短に無職のホームレスと言え。次」


 据わってきていると思われる、気の弱い人間なら殺せるんじゃないかくらいの私の眼力を受け、長髪男の方も渋々ながら立ち上がった。


「……俺はアオナギ。自由人だふっ」


 「だふっ」のところは、私が的確にさっきの着弾点と同位置に再びの右ローを撃ち込んだのでぶれたのだろう。


 りぼそぉむ、のような断末魔の声を響かせ、崩れ落ちる長髪男。


「自由人『です』、な?」


 私は丁寧に訂正してあげる。こんな優しさも時には必要よね?


 ―じ、『自由人』についてじゃなくて、語尾を指摘されたよ?

 ―お、おかしいねえ、何もかもおかしいよぉ。逃げようか?


 再び目で会話を交わし始める二人の背後、エレベータへと続く金属扉の前に、私はイスに付いた車輪をしょわぁぁぁと響かせながら回り込み、立ち(座り?)塞がる。


「どこかで飲み直しましょうか? お酒も無くなっちゃったことだし、ね?」


 カラコン、と私の手から離れた缶がコンクリートの床で音を立てると共に、絶望的な表情に変わった二人を、私は満面の笑みで見返してやる。


 どうせなら、とことん付き合ってもらうわよ。


 そして私はそのキャスター付き肘掛椅子に腰かけたまま、アオナギと丸男にその椅子を肩に担ぎ上げさせ、すれ違う人達の奇異の視線を物ともせずに、お神輿のように新橋の街を闊歩していくのであった。


 ……この選択が、

 ……なかば無理やりに、この二人と飲みに繰り出した事が、


 その日終わるはずだった私の人生を大きく変えることになるとは思いもしなかったわけで。

 私の人生の歯車は、耳障りな音を立てながら再び廻り始めようとしていた。

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