マーチにのって
ふじの
マーチに乗って
夜というのは青いものなんだと思った。
2月初めの山形の夜は雪原の中でうすく青く光っていた。
昼に連絡を受けてすぐに向かったけれど、すでに重たげな夜に包まれて雪に埋もれたホームはしんと静まり返っていた。人どころか生き物の気配すら感じなかった。プラットホームに積もった雪の上を歩いている自分の気配すら信じられない気がした。俺は本当に今ここにいるんだろうか? そんな風に自分の存在すら揺らめきそうな夜だった。
さっきまで乗っていた列車が去っていった方を振り返る。夜の先に消えてとうの昔に見えなくなっているあの列車すら恋しい。列車の中も驚くほどの静けさが満ちてはいたけれど、少なくとも何人か、俺以外の人がいた。人? そこまで考えて違う考えが頭をよぎった。バカバカしいと思いながら。本当に彼らは人だったのだろうか。東北の山奥の村に向かう列車にこんな時間に乗っているなんて。誰かが言葉らしきものを漏らした記憶もない。ただひたすらみんなお互いの気配を押し殺すようにして、窓の向こうを覗き込んでいた。俺も含めて。
「いやぁ、思ったより早かったじゃん!」
無人の改札を抜けた途端、よくなじんだ声が耳に飛び込んできた。
「さとし」
従兄弟のさとしだった。
「久々! 乗っけてってあげるよ」
だるまストーブ、木製の椅子、無人改札と言った時を止めたような駅舎の中で明らかに場違いなくらい能天気な笑顔で立っていた。蛍光緑のようなダサいダウンジャケットを着て、記憶の中とちっとも変わらない彼の姿にホッとした。
さとしのマーチはほとんど雪に埋もれるような状態で止めてあった。
「これ、ちゃんと走るんだろうなぁ」
彼の愛車は旧型マーチ。20年は前の型だろう。
「だいじょーぶ。僕、家からこれできたんだから」
どれだけかけてたどり着いたんだよ。突っ込もうと思ったけど止めておいた。走り出してすぐに周囲から電灯も消え、ただぽっかりと広がる白い道が青い夜の中に続いていた。
「じいちゃんに会うの久しぶりだなぁ」
さとしが小さく呟いた。
「そうだな」
不意に沈黙が訪れた。気まずさは感じない。必要な何かが通りすぎるための時間だった。
俺たちのじいさんがなくなった。いろいろあったけれど、まぁ、大往生だろう。
子供の頃は夏休みと冬休みをほとんどここで過ごしていた。じいさんとさとしと3人で。裏の山、家の横の川、田んぼ。じいさんについて存分に探検したはずのこの場所だが、窓の外を流れる景色には全く見覚えがない。闇に沈んでいるから仕方ないが。
「あんだけ来てたのに知らないもんだな」
俺のつぶやきにさとしが深くうなずく。
「庭から出なかったじゃん。そう! 僕、川で流されてあん時は死ぬかと思ったなぁ」
「俺は田んぼの横の肥溜めに落ちた時は人生終わったと思った」
「あったねぇ」
さとしが昔と変わらない能天気な声で笑う。
「あの川も田んぼもまだあるのかなぁ」
懐かしそうに目を細めながらさとしが呟いた。あの川は……。俺はゆっくりと目をつむる。数年前にコンクリートで護岸工事がされた川は俺たちの過ごした場所とは全く違う景色となっている。田んぼもとうの昔に手放した。
「まだあるぞ、あの川。少しも変わってない」
そう言うと、さとしが嬉しそうに笑う気配がした。
「あと、田んぼな。肥溜めはさすがにないかもな」
俺はできるだけ過去の話をしようと務めた。今の時間を見つめたくはなかった。
「あとさぁ、僕たち裏山で迷子になったねぇ」
「あったなぁ」
さとしと俺の会話は途切れることなく思い出の中を泳いでいく。
「じいちゃんが助けてくれたんだよなぁ」
じっと前を向いたまま、どこか遠くから聞こえるような声でさとしが呟いた。あの日、泣いていたさとしをじいちゃんがぎゅっと抱き上げた記憶が蘇る。いつでもじいちゃんが見つけてやるからな、そう言って笑っていた。お前が……。
「じいちゃん、ずっとお前に会いたがってたからな」
ポロリと言葉を落としてしまった。伝えるつもりはなかったのに。今に引き戻す気はなかったのに。
「知ってる」
さとしは俺の方をちらりと見てそうこたえた。落ち着いた声だった。そして続ける。
「だからさ、今度は早めに来たんだよ。急がないで、無事にちゃんとこれるように」
「道はバッチリか?」
茶化すように訪ねた俺の声はうまく笑えているだろうか。
「だって2回目だぜ?」
さとしが笑う。初めの1回目はたどりつかなかったくせに。そう言いかけたけど、今度は言葉をぐっと飲み込むことに成功した。
雪の中にぼんやりとした提灯の明かりが浮かび上がる。家紋が入った提灯は前にも見たことがある。着いた。明かりをたどるようにしてさとしが車を家の前につける。廊下の明かりが灯る。誰か出迎えにでてくれるようだ。
「じゃ、ね」
さとしが俺に手を振る。
「あぁ」
それしか言えなかった。
「祐一くん、雪すごかったでしょ?タクシーで来たの?」
出迎えてくれた伯母が遠い雪の向こうを透かすようにして見る。
「うん、ちょっと昔の知り合いがね」
俺がそう言うと少し不思議そうな顔はしたけれど、それ以上は何も聞かないでいてくれた。
じいさんは仏間にいた。葬儀の準備が整った部屋に横たわるじいちゃんは、俺の知っているじいちゃんによく似ていたけれど、すでに違うものという感じがした。あの時と同じだな、と思った。
俺は仏間の壁に目をやる。そこには何人もの写真が飾られていて、小さな頃は怖くて見ることができなかった。もうすぐ、じいさんもここに加わる。ほとんどは俺の知らない誰かの写真。白黒で軍服や着物姿だ。唯一。カラー写真が飾られている。じいちゃんの写真が置かれるだろう隣の場所。派手な緑色のダウンジャケット。天然そうな笑顔。さとしだ。
20年前、ここに来る途中で事故で死んだ。愛車のマーチは廃車になった。さとしが大学に入った年、じいさんを連れてドライブに行くんだと張り切っていた。じいさんも、さとしが来るのをずっと今か今かと待っていた。
遠い昔の約束が、ようやく果たされる。
「よかったな……。おめでとう」
俺は小さく呟いた。
マーチにのって ふじの @saikei17253
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