愛しています、いつまでも

くれそん

第1話

 妻の恵は職場の同僚だった。彼女に振られて落ち込んでいたときも、仕事で失敗して仕事を首になりそうになったときにも、そばで支え続けてくれた。何よりも結婚を決めたのは、交通事故で片足をなくしてしまったときだった。


 まだ婚約もしていなかったのに、これから先の収入も怪しい男のために毎日病院まで励ましに来てくれた。リハビリが佳境に入ったときに、思わずプロポーズしてしまった。


 どんなときでもいつもにこにこしていた彼女が、初めて泣いているのを見た。ハラハラと涙を流す姿に思わず抱きしめていた。


「今までありがとう、愛してる」


「愛しています、いつまでも」


 6月某日、よく晴れた日のもとで俺たちは結婚した。

 



「また彼女に振られたんですか?」


「ああ、まだ付き合い始めたばっかりなのに……」


 あちらから告白してきたのに、たった数か月でそっけなくなった。何でも新しい彼ができたとか。


「じゃあ、私と付き合いません?」


「佐藤さんとですか?」


「私はモテないから大丈夫ですよ」


 すぐに付き合う気にはならなかったけど、彼女の熱意に押されて恋人になっていた。今思えば、恵を初めて意識したときだった。

 



 2月某日、彼は仕事に身が入っていないようだった。同僚と話しているのを端に聞いていると、6年付き合った彼女に振られたらしい。困った顔を浮かべながら、同僚は彼を慰めていた。1年かけた計画がようやく成った。


 運がいいことに私の家は裕福だった。父の企業の株式をいくらか持っているので、実際はあまり働く必要はなかった。それでも私はとある企業に就職していた。それは、彼に会いたい一心だった。


 彼を見かけたのは本当に偶然だった。父にどこかしらの大学くらい出ておけと言われたので、そこまで努力しなくても行け、父の名誉に大きな傷はつけない程度のところを選んだ。ダラダラと過ごしていた3年目の末、学内を歩いている彼を見かけた。イケメンだったわけではないけれど、何か目を惹く物があった。


 即座に彼の身辺調査を頼んだ。探偵はいい顔をしなかったが、大金の前ではそんなこだわりは意味がない。いろいろな情報を集めてくれた。彼の所属学科から、志望企業、彼女の有無まで。このときはまだ彼の姿を見ることだけで満足だった。


 4年目、たまに見かけるだけでは満足できなくなってきた私は、彼と同じ職場を求めた。彼が第一希望のところに入っていればそこまで苦労しなかったのに、彼は就職活動で非常に苦労してしまった。共通の友人から違和感なく聞き出すことにはそれなりに苦労したが、そのおかげで彼の職場に何とか紛れ込むことができた。


 今までは執着心が薄いほうだと思っていたけど、そんなことは全くないということが分かったのは就職した後だった。彼と毎日のように顔を合わせるうちに、彼と付き合っているらしい彼女に嫉妬するようになってきた。すぐさま行動に移した。


 社交的な従妹を見繕って、パーティに一緒に行くようにした。そこで、彼女に様々なことを教えながらうまいこと人脈を広げさせ、その一方で彼の彼女と偶然を装って親しくなった。彼女の趣味・趣向について情報を集め、同時に従妹に彼女のことを気に入りそうな男を見繕わせた。


 その中から危ない香りがする者をはじき、従妹が主催だという名目のパーティで彼女と彼らを何度か会わせ続けた。言っては悪いが、彼よりも将来性がある彼らを見せ続けたことで、彼女に彼のことを裏切らせた。一夜の間違いに悲しげな顔をする彼女を見るのは、愉快ですらあった。もちろん、彼女に悟らせるようなことはしない。


 彼女の相談に乗るふりをしながら、彼女が乗り換えるのは仕方がない、彼には悪いが情だけで結婚相手を選んではいけないと思わせた。また、その相手がロクデナシではないことも確認した。


 こうして、彼は何の憂いもなくほかの女性と付き合えるようにしてあげた。予想外だったのは、彼が後輩の毒牙にかかったことだったが、そいつの排除は彼女よりもはるかに容易だったが、職場で親しげにしているのは本当に腹立たしかった。


 同じ轍は踏まないように、彼が傷心のうち取り入り彼女の地位を築いた。




 予想外だった。


 他の企業から来た人たちのおかげで、何とかプロジェクトが佳境に差し掛かったとき、ある企業の粉飾決算が暴露された。そのせいでいつの間にかプロジェクトは凍結、俺は会社で白い目で見られるようになった。


「ごめん、恵。別れてくれないか……」


「なんで。嫌よ。別れないから。絶対」


 嫌と言い続ける恵に俺の現状を話した。何なら今にでも首になるかもしれないことも。それでも彼女は首を縦に振らなかった。


「待ってて、ちょっと電話してくるから」


 翌日、恵はある女性を連れてきた。彼女は今回のプロジェクトの企業群に渡りをつけてくれた。おかげで何とか首は免れた。他の企業がプロジェクトを完全に見放していなかったのが幸いだった。


「もう分れるなんて言わないでね」


「大丈夫」


 恵との結婚を意識し始めたのはこのころだっただろうか。




 最初のうちは彼の彼女というだけで満足だったが、次第に彼の職場に女性がいることにすら苛立ちを覚えるようになっていった。彼が仕事を止めれば、私のことだけを見てくれるだろうかと思い始めた。


 都合がいいことに、私たちの職場の取引相手には父の傘下がいくつか存在していた。彼が担当しているところもないわけではなかったので、それを引き上げさせるだけである程度営業成績に響かせられるが、そんなことでは首にならないだろうと思った。


 そんなある日、件の企業を中核としたプロジェクトが立ち上がった。これには彼がうちの責任者として参画していた。これがあれば……と思った。


 最初は情報を集めつつ、プロジェクトの進行を眺めていた。思ったより各社の責任者が優秀だったのか、プロジェクトはかなり順調に進んでいた。そんなタイミングで、ある参加企業の噂を全社に流した。あの企業は偽装で儲けていると……。


 たやすくプロジェクトは空中分解した。それに社運をかけている節があったわが社は、彼にその責任の一端を押し付けようとした。予想通りとほくそ笑んでいたところで、彼が首を吊りそうなほどに心が折れているのを見て、考えを改めた。


 金持ちの友達(従妹)の名前を借りながら、そのプロジェクトの立て直しのために奔走した。もちろん、傘下企業にはわが社のプロジェクト責任者として彼を指定するように圧力をかけた。これをまとめるのは大変だったが、それ以上に彼が別れを切り出してきたのが辛かった。余計なことを考えたことを後悔した。




「恵」


「はい」


 緊張した目で俺を見てくる。俺も緊張で口が乾いてくる。


「今まで本当にありがとう。情けない姿ばっかり見せてきたし、まだ満足に義足も動かせないけど……」


 言おうとすると恥ずかしくなってくる。そんなはずないって思っているけど、もし恵が拒絶したらと思うと、なかなか本題にたどり着けない。


「……何が言いたいかというとだな、愛してる。結婚してほしい」


「……はい」


 涙をハラハラと流しながらそう答える恵をぎゅっと抱きしめた。このとき、俺は彼女を守って生きていこうと決心した。




 なんとか彼が会社での地位を失わずに済んだと安心したころ、彼は交通事故にあっていた。彼が仕事をしなくなればいいのにと思ったことはあるが、これについて全く仕込みはなかった。


 片足が下敷きになり切断するしかなかった。片足を失った彼はまた別れを切り出そうとしてきて、らしくなく感情的に嫌だ嫌だと泣き叫んでしまった。落ち込んでいる彼に、無理して働かなくても大丈夫だからとか言っていると、彼は奮起してしまった。ただ本心を述べていたにもかかわらずにもだ。まあ、そういうところが好きだったのだが。


 治療が済み、リハビリが始まったが、その進行は思わしくなかった。彼も頑張っているのだろうが、30手前で唐突に足を失うのは、容易くどうこうできることではないということだ。


 彼のお見舞いと会社での仕事の日々を送っていたある日、従妹に呼び出された。彼女にはいろいろと黒い部分も手伝わせていたため、今回の事故も私が何かしたのではと疑っていたようだ。


 たとえ彼が灰になっても愛し続けられる自信はあるが、命の危機があることをするわけがない。そう訴えても、従妹は納得してくれない。彼女をどう始末しようか考えているときに彼からプロポーズされた。


 最初は何を言っているか理解できなかったが、それがやっとプロポーズの言葉であるとかみしめられたときに、自然と涙が溢れ出した。返事に悩むことはなかった。




「何を話していたんだい?」


「勘違いしていただけよ。気にしなくて大丈夫」


 恵は優しく微笑んで見せた。


「そのわりには切羽詰まって見えたけどな……」


 ほんの少しだけ胸にしこりが残った。




 そして、私たちは今日結婚する。


 彼を射止めるまでに多くの時間を費やした。自分が美人じゃないことはわかっていた。何もしなくても愛してもらえるような女ではないこともわかっていた。だから、彼にはいっぱい尽くしてきた。


 そんなときに、披露宴のさなか従妹が彼と会場を出ていくところが見えた。


 扉の外に出ると、「あの子には気をつけなさい」と従妹が言っているところだった。彼は何を言っているかわからないという顔をしていたが、従妹がさらに言い募ろうとしていたので……。


「あまり余計なことを言わないで」


 そう耳打ちしてあげた。「ひっ」と小さく悲鳴を上げた従妹を連れて、彼から離れる。


「あなたは信頼しているわ。だから、私に手を汚させることはしないでね?」


 彼に見せるとき以上にうまく笑えたと思う。


「ごめん……なさい。だから……」


「大丈夫。私、あなたのことは本当に大好きなの。だから……ね?」


「……は……い……」


 ひきつけでも起こしたみたいな情けない返事だったけど、私はすごく満足だった。今日はすごく気分がいいから。

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