3-1
「ぶっ……殺す……!」
三角との手合わせのときとは比べ物にならないほどに煌々と輝く竜爪を硬く握り締める。
「やれるもんならやってみぃや、ボンボン!」
高熱の竜爪が、存在するだけで他人を煽る眼鏡に届くまでに、そう時間は必要ない。
ことの始まりはこの日の昼休みに遡る。
○
未希は朝食を作ったあと、眠気眼の面目躍如といわんばかりに意識を失うように寝込んだので今日はついに登校すらしていない。
「さて、昨日は日向がノックアウトしてたので、結局私一人で作戦を立てました。二人とも何か言うことは?」
「「ご迷惑をおかけしました」」
そして、そんな日の昼休み、未希がいないということもあり日向が逃げ回る必要も無いので、日向、花蓮、桜の三人は机を合わせて弁当をつつきながらのブリーフィングを行なっていた。
日向と桜は午後の実技に備えて戦闘服に着替えている。花蓮は安定のブレザー。
四月の席順といえば出席番号順、十三番の白雪、十八番の七夕で、未希と花蓮が隣り合った席、春原は十四番で未希の後ろに桜となっており、出席番号一番の日向だけ四人組から切り離されていた。なので、今は未希の席を日向が借りている。
「ホントに昨日はどうしたのよ?」
「いや、桜との殴り合いで疲れて、見えてはいけないものが見えてしまってたっぽい」
「私のせい!?」
今も、日向の視界の端で腕組してるケイカを捉えているが、伊達に幽霊歴(?)二千年のベテランではないらしく、見えてる人間への配慮がしっかりしている。
約束通りジョギング以来一言も喋り掛けないどころか、ちょっかいの一つも掛けて来ない。ただ、興味を持って、外の世界を観察しているようだった。
「今大丈夫ならそれでいいわ。それでは、配ったレジュメの最初のページを開きなさい」
キランと反射して光る眼鏡――を掛けているポーズをとり、パワポで作成した分厚い資料を手に説明を始める。
「うへぇ、文字が敷き詰まってる」
「見てるだけで眠くなるな、これは……」
ぺらぺらと捲って中身を確認してうめき声を上げる頭が弱い二人。
だが、これは仕方ないだろう、絶望的なまでに花蓮の資料作成能力が低い、まとめ方が冗長で説明資料としては没レベルだ。
「こ・ん・な・の・は! 私の頭の中の整理のための小道具よ、私の能力を忘れたのかしら?」
豊満な胸に手を当て、本物のお嬢様によるわざとらしいお嬢様口調で花蓮は語る。
二人は花蓮の言葉に思わず感嘆の声を上げる。
なるほど、何かを媒介せず直接考えを伝えられる。というのを言い訳に情報整理の雑さを誤魔化しているつもりなのか、と。
「しかも、私だって日々進化してるの! 肉体接触が無くても、自分と相手が相互に知覚してたらワイヤレスでの同調が可能に、さらに同時に三人まで!」
どこかTV通販の販促のような煽り文句だが。確かにより強力なものになっている、ただ二人の手を重ねる必要がなくなったのが少し物悲しい。
「んじゃ、
花蓮がいつもの本を開くポーズと同時に感覚共有が行なわれようとしたそのときだった。
「ちっ――ええご身分やなぁ、ええとこの御曹司っちゅう奴は白昼堂々女子とランチタイムか。流石、女子相手の大立ち回りでイキっとるだけの奴は肝が据わっとるなぁ」
日向から見て隣、花蓮から見て後ろの席のシャープな銀縁眼鏡を掛けた男子の聞こえよがしに舌を打ち鳴らし、いかにも取ってつけたような似非関西弁で垂れた嫌味で、場の空気が一瞬滞る。
日向はその男子生徒のことをほとんど知らなかった。
本来最前列の角の席である日向は背後の同級生の顔を普段からあまり見れていない。そのため、未だに顔と名前が一致していないのだ。
それでも、うっすらとしたものだが日向は彼の印象を認識していた。その男子生徒は少し、他の生徒に比して浮いた存在だったから。
何が気に入らないのか、他の生徒によく噛み付いている。どうやらたまたま今回の標的に日向が選ばれたらしい。
いつもなら傍にストッパーがいるのだが、今はいないようだ。
これまでにも日向はその出自から、いわれのない僻みや嫉妬の声や視線に晒されてきたし、正面きっての悪口も陰湿な陰口も知っているものから知らないものまで数多く受けてきた。
なのでこの程度、日向の感情を逆立てるほどのモノではない。
つまり正解の動きは――
「花蓮、続けろ」
無視、である。
重圧に感じている身分であっても、日向はその身分に見合う意識を持っている。
護衛を従えるのも、他者からの僻みの対象になることも、名家の御曹司である以上は引き受けるべきものであるし、それを踏まえての余裕を持っている。
「シカトかよ、おい」
無視し続けていればいずれどこかに行くだろうと思っていたが、どうやら、男子生徒は日向の面倒くさそうな態度が感に触ったようで、今度は明らかに日向に言葉をぶつけたことがわかるように、肩を掴んだ。
「そんなに葵家の御曹司様はええご身分なんか」
「用があるなら後にしてくれ。こっちはこっちで話してんの、見たらわかるだろ」
馬鹿でも、とうっかり付け足して余計な煽りをしてしまいそうになるのをぐっと堪え、男子生徒に目を合わせないように気をつけながら仕方なし答える。
「その用っちゅうのは、女の子と一緒にお昼ご飯食べることか? そういうスカしたとこがムカつくつってんねん」
面倒くせぇ、というのを顔で表現できないことがもどかしい日が来るとは日向は露ほども思っていなかった。
さっきから花蓮はあからさまに面倒くさそうにしてるし、桜に至っては『コイツやっちゃおうか』という趣旨のアイコンタクトをしきりに日向に送っている。
「ちっとはこっち見ろや。ボンボンはお目々合わせてお話もでけんのか、ちょっと立って、こっち見て離せや」
さっさとどこかに行ってほしい日向は波風立てないように、言われるがままに立ち上がって少年と向き合う。
ちなみに、日向は同学年に比べて、というより全年代を通してみてもかなりの長身だ。
それに相対する少年は未希ほどの極小さではないにしても、高校一年生という括りでいえば平均を下回っていた。
なので、日向が立ち上がると少年の頭をゆうに見下ろせる形になるのだッ!
「……なに見下しとんねん、座れや」
どっちやねん、ツッコミを入れたい気持ちをぐっとこらえる。日向がんばれ。
「で? 結局アンタ、蔦原くんは日向になんの用なの、無意味に挑発しに来たわけでもないでしょ」
視線で人が殺せそうとはこういうことか、というような冷ややかな目で花蓮が男子生徒、蔦原と言うらしい少年を睨みつける。
もはや興味が薄れている桜と日向は「にらみつける」ってこうげきとぼうぎょどっち下げるんだっけ、とか考えてる。
「そんなん、昨日のアレが気に入らんからに決まってるやろ」
昨日のアレとは、やはり日向と桜の
「男の癖に、女相手にあんな本気出しよって、情けないと思わへんのか」
「え?」
日向は桜と自販機ジャンケンに勤しんでいて話を全く聞いてなかった。ちなみに、桜は必ずグーチョキパーの順で出すことを日向は熟知していたので三戦三勝だった。
さっと概要を花蓮が同調して教えてくれたので、あたかもちゃんと話を聞いていたかのように日向は答える。
「別に手ぇ抜いてたわけじゃねぇが、あんなん本気でもなんでもないだろ。ウォーミングアップの延長だよ」
葵家の鍛錬風景では、境内の石畳が捲れる、壊れる、抉れる、など日常茶飯事なのだ。
「へぇー、つまりはこう言いたいんか、お前らみたいな下賤な奴らとは格が違うって」
「お前の耳に入るまでに俺の言葉はどういう変換されてんだよ……」
相手の言葉を読み解こうとしすぎるのは日本人の悪いとこだ、とドイツ帰りの未希はよく口にしている通りだ。
『メーデ、メーデ、会話が成立しない、解決方法の提案を、オーバ』
同調状態を利用して花蓮に救難信号を送る。
『相手の気の済むまで言わせてやりなさい。一方的なサンドバッグやってたら飽きてどっか行くでしょうよ、オーバー』
面倒ごとを回避したい日向はこの意見に全面賛成、薊一刀流極意の一つ、忍耐こそ最大の武器なり。
「編入してきたときから気に食わんかったがな、昨日今日でもう我慢の限界や」
一方通行な敵意の果ては、蔦原が叩き付けたソレにあった。
『果たし状』
日向の前に出したのは表にデカデカとその文字が書いてある封書。
「いつの時代だよ……」
「放課後、一騎討ちしろや。ボンボン」
どうしよう、「デュエルしろよ」見たいな感覚で決闘申し込まれたんだけど? と打電。
受けてやりなさい、そして、気持ちよく負けてやりなさい、と返ってきた。
「おーけーおーけー、それで気が済むんなら、受けてたってやるよ……だから、もうどっかいけ」
波風を立てないためには、そもそも決闘なんて受けない方が得策だが、不良にしつこく付きまとわれるのもマイナスなので、こういうことは手っ取り早く終わらせてしまったほうがいい。
ついでに、花蓮は手酷くやられることでお涙頂戴を狙っている。
「はっ、その余裕そうな表情を吼え面に変えてやるよ」
多分、それは無い。
満足した(頭の)おかしな不良はどっかにいくのかと思われたが、どうしてか、しばらく留まっていた。
「どうした? さっさとどっかいけよ」
「いや、弁当、うまそうやなって」
感情が行き当たりばったり過ぎる上に、行動が感情に忠実過ぎて蔦原という存在に日向と花蓮はちょっとした恐怖を覚えた。
「やらねぇよ……」
日向たちの中で、蔦原の評価が、妙に絡んでくる不良から情緒不安定な危ない奴にランクアップしたのだった。
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