PHAZE2 Imagine?

1

「殺す気で来い、か」


 寮に戻った日向は自室で一人、ベッドに横たわり三角のアドバイスを反芻していた。

 誰かを殺したい。それほどに身を焦がす思いを日向は知っていた。

 家族を殺した男、トリガーを前に、薬で押さえつけていたはずの感情の波が堰を切り、脳が焼けるほどの熱の濁流で溢れかえった。


「殺意……けど、三角にアイツを投影しても、あの瞬間の感情には足りない」


 一ヶ月たった今でも、トリガーに対する怒りは冷めはしない。余熱のように尾を引いた微熱が日向の体をじわじわと蝕んでいた。


「いっそ、あの瞬間の熱を生み続けくれれば、術に転用できるのに」



「御した感情が持つ熱量など、たかが知れてるからな」



「けどドクターも言っていたしな。感情を武器にするなんて人のすることじゃない、って」

「ほう、その医師は良いことを言うな。しかし、そうも言っていられんのだろう」


 おかしい、そう気付くのが遅れたのは、あまりにも自然に謎の第三者の声が独り言に割り込んできたからだった。

 天井に向いていた頭を声のする方に向けると、そこには壁に背を預ける見知らぬ女性の姿があった。


「…………」


 一度、天井に視線を戻し、再び見直しても現実は変わっていなかった。

 その女性は日向より年上、二十歳より上くらいだろうか、腰まである濡烏の髪をポニーテールにしており、服装は黒のスラックスに白のカッターシャツ、中性的な衣装でありながらスタイルがよく出るとこは出てるためちゃんと女性らしさが表出している。

 髪色は桜に似ている。桜の親戚なら、目的はともかくとすれば音も無くこの場に現れたとしても何ら不思議ではない。


「どうした、小僧? 間が抜けた顔だな」


 違う、日向は直ぐに悟った。

 春原の家の人間は、│あるじ家系の葵家に対して腰が低い態度が特徴的だ。どれだけ日向が嫌がっても頑なにその態度を変えないあの連中が、突然日向に横柄な態度を取るはずもない。


「アンタ何者だ?」

「ああ、そうかお前とは初めましてだったな」


 敵意は感じられないが、警戒はする。

 そんな日向の心中を知ってか知らずか彼女は、ベッド脇に立てかけてあった日向の日本刀を手に取る。

 これは日向の失態、武器を手近なところに置いておきながら確保してなかったのは致命的だ。



「私は│魔導具レガシーアーツ、この刀『蛍火』に宿る人魂、幽霊と言ってもいいかもな。呼び方は好きにするといい、新たなる若き我が担い手」

 


 頭の回転は早い方の日向でも、彼女の言葉を咀嚼し、理解するのに幾許かの時間を要した。


「は?」


 そして、言葉をそのままの意味で飲み込んだ。はいいが、理解はしていなかった。


「面白みのない反応だな小僧、瀧貴はもっと大げさな反応で私を楽しませてくれたぞ」

「生憎、俺は無愛想らしいんでな。それに、幽霊なんてのを生まれてこの方見たことないんで、真偽を計りかねている」


 十中八九狂言であろうけど、未希曰く、未知のものを頭ごなしに否定するのは馬鹿のやることだ。と教わっていたので、検証もなしに否定するわけにもいかなかった。

 それに、どうやら害意はないようだし、会話する余裕があるなら腰を据えて話しをした方がなんであれ目的を推し量りやすい。


「冷静さは美徳だがつまらん、私は初見の相手の反応を見るのがこの刀に宿ってからの数百ある楽しみの一つだったのだ」

「割と楽しそうだな。で、蛍火だっけ、の幽霊さんが俺に何の用なわけ?」

「誤解しておるようだが、私は『蛍火の幽霊』ではなく、『蛍火に宿幽霊』だ、そこんとこ繊細だから気をつけろ」


 こだわりを持った筋金の入った幽霊らしい。

 この時点で、日向は彼女、幽霊を名乗る謎の女の正体にいくつかの仮説を立てていた。

 まず、幽霊でなくただの虚言癖のある人間、これだった場合が地味に一番怖い。

 次に、うたた寝の夢、白昼夢とでも言えば良いのだろうか。奇妙で何かの暗示的だが、これが一番無害で望ましい。

 そして、微熱が見せる幻覚の類、一番可能性として高いし、解りやすい禁断症状だ。気が進まないが、未希を受診すれば解決する。

 最後に、これは夢でも幻覚でもなく現実に起こってることで、ましや虚言癖のあるヤバイ人間でもなく、女の言う通り幽霊の場合。これはこれで無害な気もするが、話を聞かねば最終的な判断は出来ない。


 とにかく立ち話もあれだということで、日向は折りたたみ式のちゃぶ台と座布団を用意し話の席を設ける。

 日向に間食趣味はないので部屋に茶菓子の類は置いてないのでもてなしはない。


「用向き、と問われてもな……これといってないな」

「用もないのに現れたのか、アンタは」

「現れた。というのは適切でないな。私は常に蛍火の周囲に存在している。お前が傍にいる私を知覚できるようになったのだ」

「俺に霊感が身に付いたってことか? 寺育ちだけどそういうセンスはないはずなんだが……」 

「だろうな、私はお前が石山寺の離で療養しておる頃から知っているが、お前が私の気配を感じ取ったことは今の今までなかった」


 情報を入手、女は日向が病弱だった幼少期を知っている。しかも詳細な療養場所まで。


「お前が私を知覚できるようになったのは、蛍火の所有権が瀧貴からお前に切り替わって、一段階同期が完了したからだろう」

「蛍火の所有権?」

「知らんのか、蛍火。というか魔導具……その様子では魔導具も何のことか把握しておらんようだな」


 女はちゃぶ台の上に蛍火を載せて解説し始めた。


「魔導具。通称、『小型魔術使い』『生きた武器』。失われた太古の技術を用いて製造された、伝説や神話に記されてたりする強力な武器の総称だ。性質はそれぞれだが、共通して単体で魔力を生産、行使できる、という特徴を持つ」

「ふーん、伝説って?」

「ああ! 私の知り得る限り、現在世界中で確認され魔導具名鑑に登録されている数は二十、蛍火はその一つだ」


 再び情報を入手、日向が知らない情報を持っている。夢や幻覚であれば日向の知らない現実の情報が出てくる可能性は低い。

 これが日向の脳内設定である可能性は否定できないが、後から裏づけできる情報だ。

 古いアニメのテンプレートがばっちりなのは引っ掛かるが、とりあえずスルー。


「それで、魔導具というのは強力であるがゆえに担い手を選ぶ。適正があるかどうかを見定めるために魔力の同期が必要となるのだが、まあパッチテストのようなものだ。担い手の急な交替もあって、丸一月掛かったわけだが、お前は問題なく、この蛍火の担い手に選ばれた」

「これが、魔導具ねぇ……」


 どこからどうみてもただの日本刀。

 一応、祖父の瀧貴の形見で、葵家の伝家の宝刀……らしい。

 少なくとも日向はこの日本刀が特別な力を発したところを見たことがない。そもそも、これの名前が蛍火だということも今初めて知った。


「それで、アンタは結局どういった存在なんだ」

「蛍火の頭脳といったところだな。魔導具は自力で魔力を生み出すことは出来ても、術を組み上げるのは魔術使いにしかできんからな。差し詰め、蛍火は私の肉体のようなものだな」

「ってことは、元々は生きた人間だったんだな」

「そうだな、幽霊と名乗ってる以上は、すでに死人でなければおかしいだろう?」

「ディ○ロス見たいなもんか?」

「言いえて妙だな」


 ここまでは想定内の質問だろうか、言葉に詰まることがないところがかえって胡散臭い。


「少し質問を変えるが、なんだってアンタは蛍火に宿ってるんだ?」

「ふむ、面白い質問だな。まあいいだろう、蛍火に何故宿っているか、か。正直な話、器は何でも良かったのだ、地上に魂だけでも残っているなら、どうしても会いたい人がいたからな」


 女は思い出を振り返るように遠い目をしながら、感慨深げに語り始める。


「私の死は、いわゆる非業の死というものでな、無念だらけだった。この姿からもわかるだろう、人としての生は決して長いものではなく、くだらない争いに巻き込まれ死んだ、享年は十九だったか」


 見た目以上に若い、いつの時代かはわからないが、それでも大昔の人間の寿命がいくら短いといっても、あまりにも早すぎる。


「女らしからぬ剣客としての生であったが、恋をして、愛に応えてくれた想い人もいた。そんな、ただの少女であった。そんな青春を謳歌しようとした矢先に死したのだ、そんなの死んでも死に切れぬだろう」

「じゃあ、会いたかった人ってのは」

「ああ、想い人、婚約もしていた。こんな男勝りの女に愛を囁いてくれた、生きる意味を与えてくれた、かけがえのない大切な人。彼を置いて先立ってしまったのが、一番の心残りだった」


 澱みなく答えている。それでいながら質問を想定した台本で喋ってる様子ではなさそうだ。日向の記憶にない、目新しい情報も持っている。もしかして本当に、幽霊なのだろうか。


「その人には会えたのか?」

「いや、蛍火という器を得てから、千年は根気良く待ったが再び│まみえることはなかった。それからの千年は蛍火の一部として、薊や葵の一族を見守ってきた」

「千年!? よくそんだけ待てたな」

「なにせ旦那様は長命の種だったからな。私と出会った時点で二〇〇と聞いていた」

「何者なんだよ、その旦那様ってのは……」

「半龍だ」


 急に真実味を欠き始めた。

 いくら魔術が広く認知された現代社会といっても、龍や幻想の生き物はファンタジーの存在だ。過去に実在していたと主張する学者もいるが、どれも確証のない仮説に過ぎない。


「流石の半龍と言えど、いや龍であるが故か、近代の環境は適さないだろうから、もはや生存は望めないだろう」

「ああ、そうかい」


 日向は龍の話が出た途端、話半分に聞き流すことにしていた。

 魔術使いは、長命であることが多いが、さすがに千年は盛りすぎだろう。

 それに十九の生娘が二〇〇歳の老人に恋するというのも、彼女が相当な枯専でなければあり得ない。


「ふむ、小僧、信用していないな。割と二千年前の世界では龍とか魔獣とか、妖精とかうろついてんだからな」

「へぇ、そりゃ凄ぇな、ところで何か飲むか? コーヒーくらいなら淹れてきてやるよ」

「お前、まるで信じてないな……それに、飲み物などいらん、私は幽霊だといっているだろ!」


 どうやら十九というのは事実かもしれない。膨れっ面に若干の幼さが見える。


「はいはい、あとでゆっくり聞いてやるから、大人しく待っとけ」


 そう言って、日向が廊下に出た矢先――


「あうっ」


 何かとぶつかった。


「あ」


 目を下にやると、灰銀の頭。

 壁掛けの時計が七時を指していることに気が付いた日向は、晩ごはんの支度を終えた未希が自身を呼びに来たのだと悟る。


「もうこんな時間だったのか、悪い、直ぐ食堂に行く」

「あ、うん、それはいいんだけど……」


 ついでに自称幽霊に声を掛けておく。


「アンタも、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」

「んー……ふふっ、ああ、そうだな」


 妙なにやけ顔で幽霊は日向を眺める。


「んだよ気持ち悪ぃ」


 どうにも怪しげで不敵な笑みを浮かべる自称幽霊。


「あのさ、日向……さっきから、誰と話してるの?」

「え?」


 日向を見つめる瑠璃色の双眸は、どこか悲しげな上目遣いだった。

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