最期の声 ~結婚おめでとう、そして献盃…。~

@oshizu0609

第1話

「ねぇ、随分と男の人が多いね…、康裕さんの招待客…」


 新郎新婦席からはそれぞれの招待客が良く見渡せる。なるほど、新婦である豊倉静香の言う通り、新郎である田島康裕が招待した客の大半が男であった。


「高校時代のダチを結構、呼んだからな…」


「ダチって…、康裕さん、何だか男らしい…」


 ウエディングドレス姿の静香に微笑まれると、康裕としても悪い気はしない。それどころか男らしさをさらにアピールしたくなる。


「それに俺、結構、ヤンチャしてからな…」


 実際、その通りであった。大学こそ、いわゆるAランと呼ばれる国立大卒だが、高校時代は偏差値もそこそこの地元の公立男子校であった。


「ヤンチャってヤンキーってこと?」


 静香が小声で尋ねた。


「いや、そこまではいかねぇけど、でも…」


「でも?」


 答えて良いものかどうか、康裕は逡巡したが、妻となるべき人間に隠し事はしたくはなかった。それに言葉を濁して女々しいと思われるのも癪であった。


「クラスメイトをいじめたりとか…」


「例えばカツアゲとか?」


 康裕はギクリとした。その通りであったからだ。果たして首肯すべきか否か、康裕は隣に座る静香の顔を覗き見た。すると静香は悪戯っぽい笑みを浮かべていたので、康裕もホッとすると同時に、正直にぶちまけることにした。


「ああ。その通りだ。弱っちいヤツだったな…」


「弱いのが悪いのよ。いじめられる方が…」


 静香がそう答えてくれたので、康裕はホッとすると同時に、いよいよ調子に乗った。


「そうなんだよ。男だしな…、いじめられたくなかったら、強くなれば良いだけなんだよ…、その努力を怠る方が悪いんだ…、弱いのが悪いんだ…」


 康裕は自分にそう言い聞かせると、一瞬、谷田光雄の顔が脳裏に浮かんだ。だがそれも一瞬のことで、これでこの話はお終いとそう言わんばかりに、「ところで静香の招待客だが…」と話を変えた。


「女が多いな…」


 言ってしまってから康裕は後悔した。静香は母子家庭で育った。父はいないそうだ。静香曰く、両親は離婚したそうで、その後間もなく、母も亡くなり、以来、静香は母方の祖父母に育てられ、やはりAラン大である女子大を卒業後、今の康裕が勤める商社に総合職として就職したのだ。


 そのようなあまり恵まれない家庭事情ゆえ、静香の招待客は主に、女子大やその前に通っていた女子高の友人ばかりであった。


「まぁ、招待客は関係ねぇな…」


 康裕が静香を気遣うようにそう言うと、静香はニコリと微笑んでくれたので、康裕はホッとした。


「ねぇ、康裕さん」


「なに?」


「結婚おめでとう」


「えっ?」


「私と結婚できて…」


「それ、自分で言っちゃう?」


 康裕は思わず苦笑した。が、事実その通りであったので、「でもそうだよな」と付け加えた。


 式を終えた後、二人は式を挙げたホテルのスイートルームで初夜を迎えることにした。もっとも実際にはこれが初夜というわけではない。その前から既に幾度も体を重ねていたのだが…。


「はい…」


 ベッドに横たわる前、静香は康裕にコップに注いだ冷えた水を差し出した。


「ありがと…」


 康裕は風呂上りであり、喉が渇いていたので素直にコップを受け取ると、それを飲み干した。


「今日は疲れたでしょ…」


「ああ…」


 静香にそう言われて康裕は何だか急に疲労感に襲われた。これではいわゆる、初夜を迎えるのは無理かも知れない…。


「そうそう、康裕さん、あなたに一つだけ、隠していたことがあるの…」


「えっ?」


 急に何を言い出すのだろうか…、康裕は不安に襲われたが、体の方はよほど疲れているのか、既にいうことをきかず、ベッドに横たわった。


「私、実は弟がいるの…」


「弟?」


 初耳であった。確か、静香は一人っ子ではなかったか…。


「うん。弟…、正確には弟がいたの…」


 死別したということか…、それなら合点がいくが、しかしわざわざ今、打ち明けることなのか…。


「谷田光雄…、覚えてる?」


 静香の口から急にその名が出て、康裕はギクリとした。勿論、覚えていた。


「あっ…、ああ…」


「私の弟だったの…」


「なっ、何だって…」


 康裕は本能的に恐怖心に襲われた。早くこの場から逃げ出さないと…、そう思ったが、体に力が入らなかった。


「ああ、あなたが口にした冷たいお水ね、実はあれには少し、強めの筋弛緩作用がある睡眠導入剤を混入しておいたの…、看護婦の友達から手に入れたの。眠れないからって…、女の友情よね…、それはそうと、だからあなたが意識を失う前に全部、教えてあげるね」


 静香はニッコリと微笑んだ。それは康裕が今まで見たこともないほどの、ニッコリとした、そして恐ろしいまでの笑みであった。


「私の弟、高校1年時に自殺したの。あなたに…、ううん…、あなたと、あなたの取り巻き連中に謂れのない暴力を振るわれて、お金をせびられて、それでもうこのままでは生き地獄だって…」


 康裕は頭を振ろうとした。違う。ほんのお遊びだったんだと…。


「あなた方にしてみれば、きっとお遊びだったんでしょうね…、でも弟にしてみれば地獄だったわ…、だから校舎から身を投じたの…、普通ならきっと遺書がある筈だけど、でも遺書はなかった…、きっと学校サイドが揉み消したのよね。だから学校はいじめの事実はなかった。自殺は成績不振によるものと、好き勝手ほざいてくれたわ。教育委員会もまたこれを追認して…、そのおかげで私たち一家は白い目で見られ、父は酒びたりになり、それで両親は離婚し…、その後、私は母に引き取られたけれど、その母も間もなく自殺し、以来、私は祖父母に育てられ、今に至ったわ…、まさか入社した会社であなたと巡り会えるとはね…、これこそ天の配剤というやつかしらね…、あなた、もうすっかり忘れていたようだけど、弟の告別式であなた、私と顔を合わせてるのよ。だけどあなた、それも忘れていたのか、私に言い寄るなんて…、私にはすぐに分かったわ。あなたが弟を…、たった一人の大事な弟をいじめ殺した男だってね…」


 静香はそう言うと、バッグの中からカミソリを取り出した。それも普通のカミソリではなく、床屋で見かけるカミソリであった…。


「ああ、このカミソリはね、私の父が愛用していたカミソリなの…、父は理容師でね…、光雄も将来は理容師になってもらって店を継がせたい…、ずっとそう願っていたの…、でももう、それも叶わぬ夢…、両親が分かれる際、形見分けってわけでもないけど、母に引き取られるから父の思い出の品が欲しいって、父に頼んで、そうしたらこのカミソリをくれたってわけよ…、光雄がいつの日か、握る筈だったカミソリをね…」


「あっ、あっ…」


「良いわよ、大声を出しても、でも、このお部屋、さすがにスイートルームだけあって防音装置が施されているから、外には漏れないでしょうけれど…」


 静香はそのカミソリの刃を康裕の喉仏に当てた。


「いや…」


「あなた、私が光雄の姉だとも気付かずにプロポーズしてくれたわね…、その時はもう腸が煮えくり返ったけれど、でも千載一遇のチャンス…、復讐のチャンスが巡ってきたんだって、思い直して、あなたのプロポーズを受け入れたのよ…、この日のためにね…」


 康裕は頭を左右に振っていやいやをした。


「今のあなた…、とても弱い…、あなた私に言ったわよね…、弱いのが悪いんだって…、本当にそうよね…、だから今の弱いあなたを殺しても、私が悪いわけじゃなくって、弱いあなたが悪いのよね…」


「ゆっ…」


 許してくれ…、そう言おうとしたものの、既に言葉にならなかった。


「まさか、許してくれだなんて、言うつもりじゃないわよね?だってあなた、ヤンチャしてたぐらいに強いんだから…」

 

 静香のカミソリを持つ手に力が入ったらしく、康裕の喉仏にカミソリの刃がくい込んだ。痛いといより、何だか生暖かい感触が康裕の肌に感じられた。


「結婚おめでとう…、そして献盃…。私のかわいい、愛する弟のためにね…」


 それがこの世で康裕が耳にした最期の声であった。

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