ハッピーバースデー

楸 茉夕

君が生まれてきてくれたことに祝福を

「ヒロイン死にすぎ」

 彼女は一言で切って捨てた。

 映画鑑賞は僕の数少ない、と言うか殆ど唯一の趣味だ。彼女はどうやって察知するのか、大抵僕が映画を見ている最中に限ってやってくる。

「感情が動くと書いて感動よ。人が死ねば感動するのよ。当たり前でしょ? 恋人が死んで心が動かなかったら立派なサイコパスじゃない」

「ちょっと黙って」

「前の映画もその前の映画もヒロイン死んでなかった? なんで? あの男は相手が死にかけないと素直になれない病気なの? 失って初めて気付くって、バカなの?」

「耳が痛いな」

「余命一年、余命半年、余命三箇月! 毎回毎回よく飽きないわね」

「黙ってってば」

 僕は彼女の言葉を否定できない。

 ここ最近は邦画、それも恋愛映画が続いていた。映画を見終わった後に「あなたへのおすすめ」欄に出てきた中から次の映画を決める、というマイルールのせいだ。

 勿論、ヒロインが死なない映画もある。だが、僕が見るのは大体死ぬ。病気だったり、事故だったり、自死だったり。主人公はそれを救えなくて涙する。僕もうっかりもらい泣きをする。

 人の死は感動だという彼女の言葉には同意する。良くも悪くも感情を揺さぶられる。それはおそらく、死というものが生きている限り避けられないものだから。

 映画が終わる。ヒロインを救えなかった主人公は後悔を胸に、だが前を向いて生きていく。最後はカメラが引いていき、青空のカット。どこかで見たことがある、と言うか前もこんな終わりだった。たしか、その前も。どこから吹かれてきたのか、花びらなんか舞ったりして。あれ、桜の季節の話だったっけ?

 今回もなかなかの雰囲気映画だった。不治の病のヒロインと、薄暗い主人公。鬱々と話が進んで、ヒロインは死ぬ。そして主人公はヒロインが自分にとってどれだけ大切な存在だったかを痛感する―――テンプレ過ぎてヒロインの病名も思い出せない。

 やたら明るい女性ボーカルの主題歌と共にスタッフロールが流れ、僕は動画の再生を止めた。月額数百円で好きな映画が見放題とは、いい時代になったものだ。

「ねえ、次は明るいのにしてよ。ミュージカルみたいな」

「こないだのミュージカル映画には、ご都合主義って言ってなかった?」

「あれはご都合主義もいいところじゃない。ヒロインのピンチには必ず颯爽と現れるヒーロー。しかも歌いながら。歌って踊ってれば騙されると思わないで欲しいわ」

「いや、歌って踊らなかったらミュージカルじゃないでしょ」

 そもそも、僕はミュージカルが苦手だ。どんなに喧嘩していても男女は手を取り合って踊り出し、シリアスなシーンでも歌いながら罵り合う。しばしばついて行けなくなる。こないだのミュージカル映画を見る気になったのは、物凄く話題になっていたからだ。結果はまあ、話題先行という感じだった。冒頭がピークってどいうことだ。

「じゃあ、人が死なない映画にして」

「それこそ限定されると思うけど……日常ものでも死ぬときは死ぬし。てか、見たことない映画を見るんだから、死ぬかどうかわからないよ」

「漫画の実写版とか」

「少年漫画は結構死ぬよ。少女漫画は好きじゃないだろ、君」

「そんなことないわよ。わたしはあり得ない設定が嫌いなだけ。なんで顔も中身も平凡な女子が学園で五本の指に入る男子にモテまくるのよ。彼らは彼女のどこに惹かれたのよ」

「……彼らにしかわからない、主人公の内面の良さがあるんじゃないかな」

「ならそれを出しなさいよ、学園の王子様たちを魅了する美しい心を。読んでると大抵そうでもないのよね。ライバルに意地悪するし嫉妬するし」

「僕に言われても」

 彼女は本が好きで、暇に倦かせて小説や漫画を山ほど読んだのだという。なので、物語には人一倍辛口だ。単に、自分好みではないストーリーに文句を言っているだけだろうというのは、口に出すと怖そうなので言っていない。

「次は……これ」

「ええー、それ知ってる。原作読んだわ」

「僕は知らない」

「しかもまた恋愛ものじゃない」

「仕方ないじゃないか、おすすめに恋愛ものしか出ないんだから」

「恋愛ものばっか見るからでしょ。もう、一回リセットしたら? ストーリー教えてあげるから。それ、実はヒロインがね」

「やめてよ。これから見るってのに、なんでネタバレするんだよ」

 遮って顔を顰めれば、彼女は不満げに唇をとがらせた。

「もう、そのおすすめから選ぶルールやめたら?」

「でもルールはルールだし」

「出た、牡牛座。一度決めたら動かない」

「牡牛座関係ある? ただの星座じゃないか」

「あら、バカにしたものでもないのよ。結構当たるんだから」

 そうか、と興味なさそうにしながら、僕は内心でガッツポーズをしていた。どう切り出すか迷っていたのだ。ありがたいことに彼女の方からきっかけを作ってくれた。

「そこまで言うなら次の映画、君が選ぶかい?」

 尋ねれば、彼女は大きな目を瞬いた。そして、胡乱なものでも見るような顔になる。

「……どういう風の吹き回し?」

「星座で思い出したんだよ。来週誕生日だろ、君」

「ええー? 映画を選ぶ権利がプレゼントってわけ?」

 言葉とは裏腹に、彼女は嬉しそうにしている。ちょっと良心が痛んだ。もっといいものをプレゼントできたらよかったのに。

「他のがいいなら……」

「ううん、いいわ。それがいい」

 彼女はとても嬉しそうに、にっこりと笑った。僕はそれに見とれてしまう。彼女は可愛い。とても可愛い。

「来週までに考えておくわね」

 一瞬返事が遅れた。見とれていたから。

「……ちょっと早いけど、誕生日、おめでとう」

 彼女は、言葉を噛みしめるように少しだけ目を伏せた。そして、とびきりの笑顔になる。

「ありがとう」


 彼女は笑んだまま、すうっと薄くなって空気に溶けるように消えてしまった。


「お疲れ様でした」

 どこからともなく男が現れる。僕は立ち上がって身体ごと振り返った。

 男は所謂「死神」の使いなのだという。役目は、迷える魂を在るべき場所へ導くこと。僕は、安っぽく聞こえるのを承知で言えば、「霊感の強い」人間。

 死神の使いは、世間一般のイメージとは違い、大鎌を振り回したりはしないらしい。できるだけ穏便に魂を導きたいので協力してくれと言われたときは、さすがの僕も驚いた。体質のせいで小さな頃からいろいろなものを見聞きしてきたけれど、死神の使いに会ったのも、協力を乞われたのも初めてのことだ。

「先程の彼女の未練は、『恋人と映画を見る』と『誕生日を祝って貰う』の二つでした。入院中の一時外泊で、誕生日の映画館デートに向かう途中、事故に遭ったとのこと」

 男は、やはりどこからともなく取り出したノートを捲りながら言う。

「始める前に聞きました」

「言いましたっけ。それは失礼。案件を幾つも抱えているもので」

 これまで見た紋切り型の映画よりも、彼女の人生のほうがよほど悲劇だ。いつもの僕ならば断っていたであろう話を引き受けたのは、彼女を気の毒に思ってしまったからに他ならない。

「……これでよかったんでしょうか。僕は彼女の恋人でもなんでもないのに」

「重要なのは事実の在処ではありません。彼女が何を未練とし、こちらに留まっているのかということです。彼女は満足して消えた。ご協力ありがとうございました」

 濃いグレーを基調にした、変わった形のコートを着た若い男は、片手を胸に当てて軽く頭を下げた。そして顔を上げ、営業用っぽい笑顔を浮かべる。

「またよろしくお願いします」

「いやですよ」

「まあそう言わずに。せっかくの縁です」

「いやです。僕は平穏に生きたい」

「はっはっは。面白い冗談を仰る」

「……もういいですか? 帰って欲しいんですけど」

 面倒臭くなってストレートに言えば、彼は気にしたふうでもなく頷いた。

「ではまた」

 男は普通に部屋を出て行った。もう二度と会いたくはないのに、演技でもないことを言う。

 一つ息をついて、僕はソファに近付いた。彼女が座っていた場所に触れる。

 当然ながら温もりは残っていない。それどころか、ここに彼女がいた証は何一つ。とても曖昧で頼りない僕の記憶だけだ。

 だからというわけではないが、僕は目を閉じた。祈りに代えて、呟く。

「誕生日、おめでとう」

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