第18話 二人のオフは、あと二日。

 〇二階堂 海


 二人のオフは、あと二日。

 て事は、俺のオフもあと二日。


 最初はあんなに嫌だったのに…

 今では、あと二日しかないのか。などと思えてしまう。



 夜通しポーカーをして、疲れた俺はソファーで眠った。

 いつもは警戒しまくってるはずなのに、周りにマスコットのような物を並べて写真を撮られて、今朝それを見せられた時は泣くほど笑った。


 たった一日…仕事から離れただけなのに。

 今までも、そんな事はあったのに。

 何とも…今の俺は、恐ろしく自由な気がした。

 これがオフのスイッチって事か?

 仕事の事が…全く気にならない。


 …それはそれで問題な気がするんだが。

 まあ…今はしっかり休もう。



「わりーけど、ちょっとだけ留守番してもらってていいか?」


 ハナオトがそう言ったのは、ブランチを食った後だった。


「ああ。構わない。」


「んじゃ、沙都。行くぞ。」


「海くん、よろしくねー。行ってきまーす。」


「おう。」



 二人が出かけて…本当は少しつまらない。

 何なら俺も一緒に出掛けたかった。などと思った。



 …さて…

 何をしてみよう?

 家の事は、ハナオトと沙都がテキパキとこなしてしまうがために、なかなか俺の腕は見せ所が来ない。

 …まあ、あの二人に勝てるような見せ所もないのだが。



 ソファーに横になってみたものの…一人でのそれはつまらない。

 何となく手持無沙汰になった俺は、わけもなく家の中を歩いてみたり、二階から外の景色を眺めたりした。


 ハナオトと沙都がいないだけで、とてつもなく広く感じてしまう空間。

 長年連れ添ったわけでもないのに、どことなく物足りなさを感じてしまっているこの瞬間に小さく笑いながら、再びリビングのソファーに戻って横になった。



 …もしかして、あいつら…紅美のとこに行ったのかな。

 急に引っ越したって言ってたし。


 紅美…


 歌ってる紅美は…本当に…眩しかった。

 さくらさんは垣根を越えろと言ったが、やはり…紅美との将来は望めない。

 あの目の輝きを、奪いたくない。



 コンコンコン


 ノックが聞こえて、俺はソファーから起き上がると玄関に向かった。

 今までなら、もっと警戒していたであろう自分に首をすくめながら。



「どちら様ですか?」


 ドアの外に声をかけると。


『早乙女です。』


「…え?」


 思いがけないその声に…

 俺の心臓は、跳ね上がった。



「や。元気かい?」


 ドアを開けると、そこには笑顔の早乙女さん。


「…は…はい…」


 え…えーと…

 なぜ…?

 なぜ早乙女さんがここに…?



「あ、どうぞ…」


「お邪魔します。」


 早乙女さんは家に入ると。


「へー…ここが親父が住んでた家か…」


 小さくつぶやいた。


「え?」


「さくらさんに聞いたんだ。昔、丹野さんと、うちの親父と一緒に暮らしてたって。」


 早乙女さんはそう言って、家の中をウロウロと歩いた。


『うちの親父』…

 えーと…

 それは、浅井晋さんの事を言ってる…んだよな?

 親父…って呼んでるんだ…?



「お茶でも入れましょうか。」


「あー、ビールがいいかな。」


「…ビール?」


「飲もう。一緒に。」


「……」


 変な気分だった。

 つい先日親父と飲んで…

 今日は…早乙女さんと…?



 俺達は外にあるベンチで、乾杯をした。

 二人で並んで、穏やかな陽射しにどことなく笑顔になった。



「いつだったか…電話、ありがとう。」


「え?」


「園と泉ちゃんの事で。」


「あ…ああ、あれですか。結局実りませんでしたけどね。」


「ま、泉ちゃんも園も幸せになってるみたいだから、それはそれで。」


 早乙女さんを見る。


 長い黒髪。

 丸いメガネ。

 ビールを持つ手の指は…しなやかで長い。



「俺は、早乙女の父の事は『父さん』って呼んで、浅井晋の事は『親父』って呼んでる。」


 ふいに早乙女さんがそう言って笑った。


「……」


 これは…

 自分もそう呼べ…と?


「親父とは…バンドで渡米した時に、一緒に暮らしたんだ。」


「え…?」


「しかも、あれが初対面だった。」


「……」



 早乙女さんは…

 浅井晋さんとの思い出を話してくれた。

 お互い、親子と言うよりは同士と言うか、友達のようだった、と。

 一晩中一緒にギターを弾いたり、恋愛の話に花を咲かせたり。

 その話は…どれもすごく優しかった。



 どうしても、親父とは仕事や二階堂の仲間、家族の話が中心になる。

 それは当然だし、その会話に不満もないし、何より俺は親父を尊敬してやまない。



 だけど…

 早乙女さんとの会話は、俺を何とも言えない気持ちにした。


 今まで自分を苦しめていた罪悪感。

 なぜ…あんなに意識して自分の首を絞めていたんだろう。

 そんな気持ちになった。



「海くん、俺の事を『しゃおとめ!!』って叫びながら、髪の毛引っ張ってたの覚えてる?」


「えっ。」


「ははっ。覚えてないのか。まあ、仕方ないな~。まだちっちゃかったし。」


「そ…そんな失礼な事を…」


 さーっと血の気が引いた気がした。

 親父の事を『環』って呼び捨てにしてたのは…何となく覚えてる。

 それは、親父が護衛をしてたからだし、万里さんと沙耶さんの事も呼び捨てにしてたのは覚えてる。


 でも…早乙女さんまで…


 つい、頭を抱えてうなだれると。

 早乙女さんは、声を出して笑った。



「あの…」


「ん?」


「俺に…会いたくないって思いませんでしたか?」


 昔から気になっていた。

 家柄や、しがらみ…夢で結ばれなかった。

 俺は…そんな二人の子供。

 半ば無理矢理引き離されたのに…



「思ってたさ。」


 早乙女さんは、三本目のビールを開けた。


「でも、何かと陸が誘うんだよなー。うちに来い。って。」


「…陸兄が?」


「超荒治療だったな。目の前で、環さんと織と海くん…三人の幸せそうな姿を見せ付けられるのは、地獄だった。」


「……」


 それは…

 本当に地獄だっただろう。


「だけど、それがあったから…環さんを認める事が出来たのも確かなんだ。」


「…どういう事ですか?」


 俺の問いかけに、早乙女さんは俺の顔を見て。


「環さんは、男の俺でも惚れるいい男だよ。」


 優しく笑った。


「ずっと、葛藤してた。」


「…葛藤?」


「君に、会いたい…いや、会いたくない…父親だと名乗りたい…いや、許されない…ってね。」


「……」


「そんな時に、環さんが言ってくれたんだ。海くんの心が育って色んな事を受け入れられる年齢になったら、俺の事を話すつもりだ…って。」


 親父がそんな事を話してたと聞いて…俺の胸は震えた。


「おまけに…父親が二人いる事は、幸せだと思う。って言ってくれた。」


「……」


「勝ち負けじゃないんだけど、負けた。って思うと同時に、この人なら。って思いも出たし…もちろん、俺も…少なくとも君に恥じない男にならなくてはって思えた。」


 親父も早乙女さんも…そんな風に思ってくれてたんだと思うと、感動した。

 この気持ちをなんて表現すれば…

 親父に対しても、早乙女さんに対しても。

 この、今の俺の気持ちを…

 だけど、早乙女さんを目の前にしていると言うのに、俺はうまく言葉を出す事も出来ず。

 だけど何か伝えたい…いや、この際だ。

 ずっと思って来た事を…


「実は…俺は、あなたに良く思われてないと…」


 正直に胸の内を明かす。


「えっ?なんで?」


 早乙女さんは、丸い目で俺を見る。


「音楽の道で成功されて…奥さんも子供さんもいらっしゃって。俺の事は汚点とされてないかって。」


「……」


 早乙女さんは優しい顔を引っ込めて。


 ぐい。


 と…


「え…」


 俺の頭を片手で抱き寄せた。


「……」


「…事務所の部屋の、俺のロッカー…」


「…はい…」


「暗証番号…ずーっと…3580だよ。」


「……」


 3580…思い当たりのある数字だった。


「何かあった時のために、バンドメンバーはみんな暗証番号知ってるんだけどさ。陸にだけは、何の数字かバレた。」


「……」


 それは…

 俺の、産まれた時の体重。


「君は環さんの息子だけど、俺の息子でもある。今も、詩生達と同じぐらい大事に想ってるし…愛してるよ。」


「……」


 涙が…溢れた。



 家族を愛してる。

 だけど早乙女さんにも愛されたい。

 きっと…俺はそう思ってた。


 優しく穏やかな笑顔の持ち主。

 昔から、大勢の中にいても…その姿を目で追った。



 彼の子供達が愛しい。

 その反面、羨ましい。

 俺は…なんて欲にまみれてるんだ…と。

 最高と思える家族がいるのに。

 これ以上を望むなんて…と。



「…すみません。」


 涙を拭ってそう言うと。


「もう一本、行くか?」


 早乙女さんは優しく笑って、空になった瓶を持ち上げた。



 酔えないと思ってたが、何となく酔っ払った。

 同じく酔っ払った早乙女さんが。


「ああ、そう言えば、お茶を点てようと思って一式持って来たんだ。」


 玄関の横にあった、風呂敷包みを持って来て。


「よし。お茶を飲むぞ。」


 俺をリビングに座らせた。


 そんな時に…


「ただいまー。」


 沙都と、ハナオトが帰って来た。


「よお。」


「えっ、早乙女さん?」


「何してるんすか。」


「茶を点てる。」


「えーすごい。」


「マジで?ちょい、俺もまぜてくださいよ。」


「いいぞ。」


 そんな感じで…

 結局、四人で正座して…


「あー…僕…もう足ダメかも…」


 すぐに足を崩した沙都に、現代っ子だな…と三人が目を細めた。


「海くんもノンくんも、正座慣れてるね…」


「俺は稽古の時にするからな…」


「あ、そっか。」


「華音は、華道も茶道も書道もするもんな。」


 ハナオトの代わりに、早乙女さんが言った。


「えっ、ノンくん、華道と茶道は知ってたけど…書道もしてんの?」


 沙都にそう言われたハナオトは、首をすくめる。


 …なんていうか…

 ハナオトは、二階堂の人間のようだと思った。

 さくらさんが、無意識にそう育てたのかもしれないが…。



 お茶の後、ハナオトがギターを取りだして。


「早乙女さん、『Gold』のソロの後半、どうやって弾いてるんすか?」


 質問をして…

 リビングで、ギタークリニックが始まった。

 それにはベーシストの沙都もギターを手にして。

 ハナオトと二人で真剣に弾いている。

 俺はそれを微笑ましく思いながら、晩飯でも作るか…と、冷蔵庫を開いたが…


 何もない。


「……」


 買い物にでも行くか。


「…冷蔵庫に何もないから、買い物に行って来る。」


 リビングにそう声をかけると。


「え?」


 ハナオトが俺を見て、時計を見て、もう一度俺を見て。


「あんた飲んでんだろ。車出すからみんなで行こうぜ。」


 ギターを置いて立ち上がった。


「え?いや、いい。練習しててくれ。」


「いーよ。肝心なとこは教えてもらえたから。早乙女さん、ホテルどこ。送って行きますよ。」


 ハナオトはついでのように早乙女さんに言ったけど。


「えー、なんか楽しそうだから、今夜泊めてもらおうかな。」


 え。


 俺は…目を見開いたけど。


「あ、そりゃいいや。んじゃ、酔っ払い親子の料理でも食わせてもらおう。」


 ハナオトがさらっとそう言った。


 …酔っ払い親子の料理…



 ハナオトと沙都は何でもないように、車のキーを持って外に出た。

 俺が無言で早乙女さんを見ると。


「沙都は何となく知ってたみたいなんだけど、華音は先週用があって電話してた時に、『最近早乙女さんと同じ声の奴と飲んだ』って言われて、息子だって言った。」


 笑顔。


 …同じ声…

 確か…紅美が俺と早乙女さんが親子だと気付いたのも…

 俺の声が、詩生や園と似てるからだと言った。



「何してんだ。早く来いよ。」


 庭から、ハナオトの声。


「一緒に暮らすなら、気を付けろよ?華音の耳はスパイ並みだからな。」


 早乙女さんはそう言って俺と肩を組むと。


「何の料理作ろうか。」


 楽しそうに歩き始めた。




 初めて…

 男四人で、という買い物を経験した。

 沙都とハナオトが真面目に買い物をしている所に、早乙女さんが余計な物をカートに入れて叱られたり。

 いくら酔っ払ってるからとは言え…早乙女さんの意外な一面を見た気がした。


 それを見てると…

 なんて言うか。

 俺、もっと力を抜いていいのか?なんて思った。



 ずっと…オフの間も、自分の時間は仕事に費やす事が多かった。

 それが当たり前だったし、それを惜しむこともなかった。

 変な言い方だが…

 外の世界をそんなに知らなかったからだと思う。

 関係ないと思っていたし。


 教師として桜花に行っていた時も、任務とはいえ楽しむ事もあったが…

 完全に、外の世界の事。と、壁を立てていたように思う。

 だからこそ…

 紅美といた頃は、特別な日々に思えていた。

 夢のようだ、とも。



 買い物を済ませて家に戻ると、家の前に誰かがいた。


「あ。」


 声を出したのは、沙都だった。

 そして、運転してたハナオトに。


「ノンくん、あれって…あの人じゃない?」


 そう言って指差した。

 するとハナオトは…


「……ったく…」


 車を降りて、その人物に歩いて…そして走って…


「よお!!キリ!!デビューおめでとう!!」


「何しに来やがった!!てめぇ!!」


 い…

 言ってる事が、何か…噛みあわない気がするが…

 二人はそう言って…


「いてっ!!」


「あたっ!!」


 なぜか同時に叩き合って。


「何しやがる!!」


「おまえが先にやったんだろ!!」


 ポカポカと…子供のケンカのように殴り合った。


「……」


 俺が途方に暮れてると。


「あの人、ノンくんの友達。」


 沙都が苦笑いしながら言った。



「こいつ、曽根。」


 若干頬を赤くしたハナオトが、友人を紹介した。


「はじめまして。曽根です。」


 曽根くんとやらは、俺達一人一人にペコペコと頭を下げた。


 二人は肩を組んで家に入る。

 その姿に…何となく、モヤモヤする俺がいて…

 これはヤキモチなんだろうな。なんて苦笑いをした。



 それから…

 本当に、俺と早乙女さんで料理をする事になった。


「家でも料理を?」


「いや、全部嫁さんがしてくれる。」


「それにしては、手際がいいですね。」


「親父と暮らしてた時は、全部やってたからね。」


 早乙女さんと並んで、カレーとサラダを作った。

 凝ったものは作れない。と言うと、じゃあカレーで。と、ハナオトが言ったからだ。


 料理をしながら、腹違いの弟妹達の話を聞いた。

 詩生は少し潔癖症な所があって…とか。

 園は自分のコピーみたいだから、気を抜けない…とか。

 留学先から帰国した千世子が、見違えるほどたくましくなっていた…とか。



 テーブルにカレーとサラダを並べて。

 5人で『いただきます』をした。


 食事の最中に、曽根くんが。


「…もしかして、SHE'S-HE'Sのギターの人ですか…?」


 と、早乙女さんに聞いて。


「ぶはっ!!おまえ、今頃気付いたのかよ!!」


 ハナオトが、曽根くんの背中を叩く。


「いや…だって、ステージでのオーラと違うから…」


「今はオフだから余計なオーラは出さないよ。」


「えー…早乙女さん、普通にしてても雰囲気あるけどなあ。」


「まあ、この風貌じゃ、普通のオッサンにしては怪しいよな。」


「…沙都にはソーセージをやろう。華音にはわさびを見舞ってやる。」


 早乙女さんがハナオトのカレーに、なぜ買ったのか分からないわさびを入れた。


「あー!!」


「残さず食えよ。」


「曽根!!おまえのせいだ!!責任取れ!!」


「しっ…知らねーよ!!」


 こんなに賑やかな食卓は初めてで。

 俺は、こんなオフをくれた親父と…

 この全てを与えてくれたさくらさんに、感謝した。

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