犠牲執行

オセロット

第1話

 全ての法律の目的は、社会の幸福の統計を増大させ、害悪を除去することである。 

——ジェレミ=ベンサム




 転校生という肩書を与えられれば人は大抵、二種類に分かれる。

 物珍しさから周囲にちやほやされ、そのまま良好な地位を獲得するパターンが一つ。そしてもう一つは、周囲に敬遠されて孤立してしまうパターンだ。

 そういう意味では、狩宮純夏かりみやすみかは完全に後者だった。

 背河内せこうち高等学校に転校して、一週間が経っていた。

 もちろん最初は周りの方から興味を示してくれていたし、ありがちに様々なことを訊かれた。しかし人間関係というものは所詮、損得の関係なのだ。

 「こいつと話していれば楽しい」という利益を提示できなければ、人は離れていく。内気な上にろくな趣味も持たない純夏がそうなるのに、三日もかからなかった。

 これがいっそイジメにまでエスカレートしてくれれば大手を振って現状を他人のせいにできるのだが、幸か不幸か、この学校の生徒たちは、それなりに善良らしい。

 だから純夏は今日も、自分が悪いという結論に至って、一人ぽつんと座っている。

 ところが今日は、そんな彼女に話しかけてくる者がいた。

「暇かな?」

 よく通る爽やかな声でそう声をかけてきたのは、学級委員長の高倉憲明たかくらのりあきだった。やや幼顔の美男子で、異性からの人気は高い生徒。

「なっ、何?」

 しどろもどろな返答に嫌な顔一つせず、高倉ははにかむような笑みを返す。教室でも多くの女子を虜にしている柔らかい笑顔だ。

「暇そうだね、良かった。ちょっと、委員会のことで話があるんだ」

「委員会?」

「うちの学校では、クラスの全員が何かしらの委員をやる決まりなんだ。僕が委員長やってるみたいに、図書委員とか保健委員とか。でも狩宮さん、転校生だから何もやってないだろう?」

「ご……ごめんなさい。私、そんな決まりがあったなんて知らなくて」

 言われた通り純夏は、この一週間クラスには何も貢献せずに、ただそこにいただけだ。

「いや、責めてるわけじゃないんだけど……正直もう十月だし、なくてもいいような委員だってたくさんあるから、このままでも良いかなって思ったんだけどね。そんな時に、一つ人数が足りてない委員があったのを思い出して」

 言いながら高倉は、純夏の前に一枚のプリントを差し出した。つらつらと連絡事項の綴られた一番上には、大きめのフォントで「白山祭・文化の部のお知らせ」と書かれている。

「狩宮さん、二週間後に文化祭が控えてるの、知ってるかな」

「えっと……一応は」

「その実行委員がね、規定だと二人必要なんだけど、今うちのクラスは一人しかいないんだよ。で、狩宮さんにやってもらえないかと思って」

 高倉の話を聞きながら、純夏は差し出されたプリントに目を通す。日程のお知らせや有志展示の募集など、「文化祭といえば」という感じの要項が並べられている。

「それって、どんなことをするの?その、実行委員って」

「大したことじゃないよ。予算決めたり、準備の日程立てたり……出し物は君が転校してくる前にお化け屋敷って決まったから、大方は雑務ってことになるのかな。大して時間もかからないような下準備ばかりだよ」

 高倉はどうやら、純夏が「自分の時間」というやつを惜しむことを心配しているらしい。

 しかし、それは見当違いというものだ。純夏は「自分の時間」を使って身をやつすような趣味など持っていない。家に帰ればすることもなく、日がなぼうっとしているだけだ。

 そういう意味で言えば、純夏は焦っていた。

 毎日決まった時間に下校し、休日に出かけることも一切ないこの生活は、高校二年生という時期を考えればかなり歪といえる。

 今はまだそんな様子はないが、このままではお世話になっている祖父母が、自分たちの孫娘は友達の一人もつくれないのかと心配し始める日も遠くないだろう。別に友達が出来なくても困ることはないが、彼らに心配をかけるのは心苦しい。

 だから高倉の相談は渡りに船とすら言えた。

 やることが出来るのは、素直に嬉しい。あわよくば、そのもう一人の実行委員とやらとも仲良くなれるかもしれない……とまでは思っていなかったが、ともかく純夏は高倉に、「分かった、引き受ける」と返した。

 すると高倉は安心したように、

「良かった。それじゃあ悪いんだけど、詳しいことはもう一人に訊いてくれるかな」

「分かった。……あ、そのもう一人って誰なの?」

「もうそろそろ登校してくるはずだよ。……ああほら、ちょうど来たみたいだ」

 そう言って高倉は、今しがた教室に入ってきた生徒の方を向き、

「おい神村、ちょっと良いか?」

 と右手を挙げて呼びかけた。それを聞いて、純夏は思わず「えっ」と声を漏らす。

 そんな様子に気づいてか気づかずか、呼ばれた生徒――神村総司かみむらそうじは、返事もせずに無造作に鞄を下ろし、いかにも不機嫌そうにこちらに近づいてきた。

「何だよ?来て早々に。俺、朝は眠いんだけど」

 言葉とは裏腹に、その声ははっきりとした存在を帯びていた。少なくとも聞いていて眠そうという感想は出てこない。

「そりゃあ悪いな。もう一人の実行委員、狩宮さんがやってくれるって言うから、伝えとこうと思ったんだが」

「……転校生が?」

 答えながら総司は、じろりとした視線をこちらに寄こしてきた。長く伸びた前髪の隙間から値踏みするような目が覗き、純夏は委縮する。

 純夏がこの神村総司という生徒を恐れるのは、彼が不良のレッテルを貼られている人物だからだ。

 別に総司は暴力的な人間というわけではない。だが頻繁に教師を困らせ、周囲にも全く協調しようとしないのだから、不良と呼んで差し支えないだろう。

 純夏が実際に聞いた話で言えば、彼は進路志望調査用紙を白紙で提出したという。もちろん担任教師はきちんと書くよう何度も言ったが、聞く耳を持たず、いまだ彼の進路志望は空白のままらしい。

 教室でも、総司は完全に孤立している。彼が座る席は教室のなかでもほぼ真ん中だというのに、彼はまるで、周りから完全に隔離されているようだった。誰とも話さないし、関わらない。

 その浮ききった存在感は、転校して間もない純夏ですら空恐ろしいと思うほどだった。

 そんな総司が、不機嫌そうな表情を隠そうともせずに立っている。怖いのが態度に出てしまうのも当然と言えた。

「……おい」

「はっ、はい」

 短く切り揃えられた刺々しい髪型や、常に学ランの前を開けるというスタイルは、それだけで見る者を威圧する。純夏は事実、呼びかけられただけで身が強張り不自然な返事を返してしまった。

 しかしそんな態度を、総司はさして興味も無さげに見ていた。

「今日の放課後残れよ、転校生。作業進めるから」

「あ……う、うん」

 はっきりしない声音で答えると、総司は、もう用は済んだとばかりに背を向ける。

 純夏は、悶着もなく話が通ったことに胸を撫で下ろす。しかしそこで、不意に高倉が総司を呼び止めた。

「おい神村、放課後にやるつもりなのか?それは……」

「別に、日が沈む前なら問題ないだろ。システムが出てくるのは夜なんだから」

 システム?と純夏は首を傾げる。しかし訊き返す前に、総司は自分の席に戻ってしまっていた。

 残った高倉は、「まあそうなんだけどさ……」と困ったような表情を作り、頭を掻いていた。

「あの、高倉くん。今のって……」

「狩宮さん。あいつはああ言ってるけど、君が怖いならさっさと帰って良いんだからね。この町で放課後居残りなんて、不健全にもほどがある」

「……怖い?」

 純夏はますます困惑した面持ちで、眉を顰める。高倉はあくまで爽やかな顔で「ああ」と頷き、

「誰だって、殺されたくは無いだろう、、、、、、、、、、、?」

 ——そう、言った。


 

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