『我慢』と『自己中』

『我慢』という言葉の対義語は存在しない。

ネットで調べてみると、いろんな人がいろんな意見を言っている。

その全てが私の感覚と合わなかった。


私は『我慢』という言葉の対義語は『自己中』だと思っている。

要するに我慢できない人のことだ。

時と場合にもよるが、世間はそんな連中を、軽蔑し、見下すことが多い。

実際はどうだろうか?


『我慢』と『自己中』、それぞれ言葉の使い方について、客観的定義は存在していない。

人それぞれが、自分の主観で、その言葉を使っているだけ……。

それに『我慢』って言葉は、そんなに美化されていいものか?

私は、家族なし、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なしで1回きりの人生を終えた。

結果的に、我慢に我慢を重ね、さらに我慢に我慢を重ね、もっと我慢に我慢を重ね、気が付いたら、何もできずに人生が終わっていた。

おかげで、精神は崩壊し、身体も故障し、生きる意味・気力・目的・希望の全てが無くなった。

残ったのは、殺人願望と自殺願望のみ……、そこに異常なまでのレイプ願望が割って入ってくる感じだ。

これが『我慢』を重ねた人間の行き着いた先だ。


だから健全に生きたいのなら、『自己中』になることをお薦めする。

誰かが自分の『我慢』を見てくれていて、こっそり自分を評価してくれたり、恋をしてくれるわけではないからね。

日本は、自分(家族)さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない民族だ。

『自己中』でなければ、良い人生は送れない。

『我慢』の美学なんか、この国では何の役にも立たない。

まぁ、そうは言っても、『我慢』も『自己中』も、生まれ育った過程の中で必然的に生じる不可抗力の一部でしかない。

自分の意思で会得したり、コントロールできるものではない。

『我慢』できない奴は『我慢』できないし、『自己中』をしたくても、できない奴はできない。

出る杭は打たれ、出過ぎた杭は打たれない、というのは、どちらも『自己中』だ。

出ない杭だけが、他人から見えないまま、無関心のまま、消えていく。

つまり『我慢』という奴だ。

私が、生涯、誰とも出会えないのは、私の存在が誰にも見えていないからだろう。

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